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後悔、先に立たず1

 私は自室でファザと二人きりになっていた。

 毛足の長い絨毯の上には複雑な模様や文字の描かれた白布が敷かれ、その上に目を閉じながら座わっている。ファザが木杖を振り上げて質問を繰り返す。


 そんな事を昨日から食事と睡眠時間以外で繰り返していた。それは無くした記憶を思い出すための行為だという。

 目を閉じているため、闇の中でファザの声がする。


「ルリ君は忘れてしまっている記憶があるね」

「はい」


「それは無くなったのではない。忘れてしまっているだけだ。今から言う単語に何か違和感を覚えたら手を上げて。では、まず魔王」


 「アバイドワール」、「ニッポン」その後も言葉は続くが、特に何も感じない。


「では、星人(ほしびと)はどうかな」


 ――あっ、星人って何だっけ?

 そういえば前にもそんなことを思ったような気がする。私はすかさず手を上げた。


「そうか。――続けよう。世界、終焉」


 世界に続いて終焉と聞くと、今度は体がビクリと跳ねた。『世界が滅びる』なんて恐ろしい響きだろう。


「……ルリ君、世界というのはすぐに滅んだりするのさ」


「それはどういう意味ですか?」


「滅びや生死に対して過敏にならなくていいってことさ」


 ――ああ、そうそう。執着は恐ろしいんだったよね。ほら、複雑に絡んだ呪いみたいに……。


 その瞬間、過去の記憶が思い起こされた。

 以前に霊族領地(ヴァイオレトス)でファザと会話した場面が、波立つ荒い映像のように脳内に浮び上がったのだ。


「あれ、えっ?」


「どうだ。何か思い出せたかい?」


「あ、あれ。なんか思い出させそう。ここまで来てます!」


 そう言って首元を指さすと、ファザは豪快に笑う。


「はははっ。それは頭で思い出しなさい」


「確かにそうですね。お腹から上がってくるのかな、喉まで来てるのかもです。喉……っていうか首元?」


「さぁ、続けよう」

「はい」


 再び目を瞑って神経を一点に集中させた。


「では、そうだな。『いばら』はどうだ」


 それを聞いて体に電流が走ったような衝撃を受けた。「それは嫌だ!」と誰かが叫ぶように拒否反応をみせる。私の内面を見透かしたようなファザの声が響く。


「それは束縛さ。ルリ君、呪いというものはね、強い執着のようなものなのだ。そんなもの無い方がもっと楽に生きられるよな」


「……そう、ですね」


「君は様々な感情を抱え込み過ぎているのではないか?」


「そんなことはないですよ」


 私は「ははは」と苦笑する。ファザは瞳を閉じて長い息をはいた。


「俺は道を示すぐらいしか、君にしてあげられない。それは俺が賢者と呼ばれているからではない。年長者として、または友として助言しているのだよ」


「はい、ありがとうございます」


 そう微笑んだら、ファザさんは「ふぅ」と意味深な息をつく。


「これは俺の持論だから聞き流してくれても構わない、ルリ君。誤魔化し、誤魔化している問題というものは、いずれ浮き彫りになるものだ。そうしてどうしようも無くなった時に後悔しなければいいな」


「……」


「さて、今日はこの辺りでやめにしよう。丁度、扉の前でラヴィナ君がオロオロとし始めた頃だ」

 ファザが手を軽く叩いたので、静かに立ち上がる。しかし、急に胃液が上がってくる感覚がして口元を押さえた。


 私がヨロヨロとしている間にファザは扉に手をかけた。心配そうなラヴィナの姿が見えたかと思うと、彼女を押し退けて誰かが部屋に進入してくる。

 ファザが舌打ちをした刹那、ドンと体に抱きつかれてその人物を見た。鮮やかな白羽が飛ぶ中でアーリーが不安げにこちらを見つめている。


「羽里っ、大丈夫?」


 ファザが「離れるんだ」と叫びながら、木杖の先端をこちらに向けてきた。


 ――なんだ、それは。こちらを攻撃する気なのか……。

 ふつふつとした怒りが心の底から沸き上がってくる。


「ルリ君。君は同じ事を繰り返したいのか」


「うるさい、うるさい、うるさい!!」


 獣のようにうなり声を上げると、また体に衝撃があった。今度はラヴィナが私の体にすがりついている。


 それを力一杯に引き離すと、彼女は簡単に弾き飛ばされて床に転がっていく。

 すかさずファザが木杖を振った。金色の衝撃派のようなものが放たれると、私は後方に飛ばされて壁に衝突した。


 頭を打った衝撃でようやく我に返った。身を起こすと、いつの間にか現れたハーティとアルビレオがアーリーを部屋の外へ引きずり出そうとしている。

 それよりも、なによりも、倒れたままピクリとも動かないラヴィナの姿から目が離せない。


 彼女の側にベイルが焦った様子でいるのを見て、頭から血の気が引いていくのが分かった。鼓動が異様に早くて胸を押さえる。

 ファザの呟きが自然と耳に入ってきた。


「――助言はしたさ。当人が受け入れたかどうかは分からないけどね」


 絶望感で目の前が真っ暗になっていくのを感じた。



 ++++++


 次の日になっても、ラヴィナは目を覚まさなかった。

 寝台(ベッド)で死人のように眠る姿を見ずとも、胸には悔しさがこみ上がってくる。


 私は彼女の寝かされている部屋に入ることを禁じられた。だから、こうして扉の前で立ち尽くすことしかできない。


「……ラヴィナ」

 自分には嘆く資格なんてない。拳を握って、無力感に耐える。

 強く握っていたためか、鋭利な爪が肌に食い込むかのようだった。傷のつかないその気持ちの悪い感覚と共に力を強めていく。


 ――もう逃げたくない。


 そう誓ったタイミングで、廊下の奥からファザが現れた。風を切るように歩いてくる彼女にこの思いを宣言する。


「ファザさん。もう一度、力を貸してしてください。私、もう逃げません、お願いします」


 そうして彼女に深く頭を下げた。


「……君はその選択を後悔しないかい?」


「はい、何を思い出しても構いません」


「いいだろう。君の決意とその志を見せてもらおう」


 顔を上げると、ファザの輝く瞳と視線が合う。信頼に足る者がいるというのはこんなにも心強いものか。その不思議な力に背を押されるように自室へと歩み出した。


 絨毯の上に敷かれた白布に座ると、深呼吸する。私の前方でファザが木杖を振り上げたのを見てから目を閉じた。


「いいかな。君は俺を訪ねて来た時、誰と一緒だったんだい?」


 それは、確か。そう、タンジェリーンだ。

 彼の背に乗って霊族領地(ヴァイオレトス)まで行ったのだ。しかし、どうしてもファザに会わなければならなかった理由が思い出せない。


「ルリ君はタンジェリーン殿と一緒にトウタ君を救うため、俺を訪ねてきたんだったね」


 ――トウタ。

 きっとその名に何かがあるに違いないと確信した。


 トウタ、トウタと唱えていると、ぼんやり誰かの影が見えてきた。着物姿……中性的な人物。それは朧だ。

 朧は私の想像(イメージ)上で、ゆっくりと口を開く。


「南島羽里、貴女には大きな借りがありました。それをお返ししましょう」


 突然、眼前が光りに包まれて思わず目を見開いた。私の両腕にはどこから現れたのか、金色に輝く腕輪がはめられている。

 「見覚えがあるな」とファザが呟く。もう一度、私は暗闇の中へと意識を集中させた。


 ――ありがとう。……羽里、ほんまにありがとうな――。


 独特のイントネーションでそう言うと、静かに手を振ってくれた。あれは(リフィア)の面影ではなかったのか。

 満足そうな笑みを浮かべているのは明らかに青年で、彼は隣にいた女性と寄り添うようにその姿を消した。


 そんな彼らの姿に「行かないで」と強く願う。


 ――あなたを忘れたくない。本当は忘れる必要なんて無かったのに!!


 心の中で叫ぶと、過去の映像が脳内に流れ込むように進入してきた。

 冬太と道成さん、短かったけど日本で過ごした大切な記憶だ。

 涙が溢れ、それは止め処なく頬を伝い流れ落ちていく。どうしてこんなにも大切な思い出を忘れてしまっていたのか。


「……冬太、ごめんなさい」


「別に、ええで」


 その懐かしいイントネーションが耳に入ってくると思わず目を見開いた。

 目の前には茶髪の青年が歯を見せて笑っている。彼の耳に付いていたピアスが虹色ような輝きを放つのを私は見逃さなかった。

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