我が上の星は見えぬ1
春祭は一年の節目として四日間、開かれている行事だという。
冬の寒さから温暖な気候に移り変わるこの時期は、草花も鮮やかな開花を見せてくれた。
私はアバイドワールの春を経験するのは初めてだ。祭事に関しては計画書の文面や臣下たちがその準備で忙しいのだという話ぐらいしか知らなかった。
魔王城、城下にある町は色とりどりの花で飾られ、特殊な露店の出展やサーカスにいるような道化師たちが路上を練り歩いている。
初日の今日は老若男女を問わず、見物客は広場や歩道まで所狭しといわんばかりに溢れていた。
そしてこの祭りの最大の見所だというのが、魔王軍の行列だ。
牛型の大きな魔物が、のんびりと引いている牛車の小窓から顔を出す。
外では兵士たちが綺麗な列をなしている。その先頭にはシャーのような白髪の女騎士が白馬に跨がり、悠然とした態度で周囲に赤い目を光らせていた。
そんな光景に興奮して声を張り上げる。
「こんなに盛大だと思わなかった!」
テンションが上がった私を見て、向かい側に座っていたベイルが苦笑する。
「ウリ様、楽しまれるのは良いですが、顔を出してはいけませんよ」
「えー、もっと見たいのに」
「行進が終われば、後は自由ですから。頑張って耐えてください」
ベイルは柔らかく微笑んでから小窓についた布の簾を下ろした。
牛車の中は三人ぐらいが楽々と入るほどずいぶんと広いので二人で乗っていても余裕なのである。そんなことを考えていると薄壁の向こう側からハーティの声が響いた。
「トリよう、外は凄いんだぜ~」
羨ましいだろうと言わんばかりの言葉に、私はブーっと頬を膨らませた。守護兵として、騎乗したハーティも牛車の後ろにぴったりと着いて来ているのである。
「外が見たい」
「まだですよ」
間髪入れない発言に、ハーティの豪快な笑い声が響く。たまらずベイルに問いかけた。
「ねぇ、行進はいつごろ終わるの?」
「そうですね。城門から出立して中央広場で一端、停止致します。祝辞を終えてから町の外門付近まで参りますと、その後は町外を折り返して戻る予定です」
さっき覗いた感じだと現在はまだ広場の手前だ。のろのろと動くこの速度では自由時間がいつになるか分からない。
「それってまだまだなんじゃない?」
「まだ日は高いですから、気長にいきましょう」
ベイルの方はニコニコと嬉しそうに笑みを湛えている。
このままじゃ本当に一日かかるよ。大きなため息が出た。
広場で牛車が停止するのは、前日に私が死にものぐるいで書き上げた祝辞をシャーが読み上げるためだ。式の最後には民たちが一斉にこちらに花々を放り投げるという。
花を投げるのは王の力に肖り、無病息災を願う意味があるらしい。
それでも私は籠の中から出られないので、なんとなく雰囲気で楽しむぐらいしかできない。非常に残念だ。
いよいよ時間なのだろうか。民衆の歓声が一際大きくなると、そこでバンバンと破裂音が鳴る。
これは予定書に記載があった、魔法で空気の大砲を放つという式の締めくくりだ。
アルビレオが砲兵隊の一員なので絶賛活躍中だろうか。昨夜、彼は隊揃いの衣装を纏い、緊張した様子で目の下に隈を浮かべていた。
そんなアルビレオの姿を思い出しながら、ベイルと顔を見合わせて笑う。
式典は無事に終わったようで、牛車は緩やかに前進を再開した。
++++++
簾の隙間からそっと外を覗き見ると、ずいぶん見物客の数が減っている。広場から遠ざかっている証拠だろう。
しかし、ずっと座っているのでそろそろお尻の方に違和感がある。
「ウリ様もお疲れのご様子なので、門外に出た所で休息と致しましょうか」
その提案に何度も頷くと、ベイルは前方の小窓から『魔物の牛を操る魔獣使い』に扮していたタンジェリーンに声をかけた。
しばらくすると牛車が停止したので、すかさずベイルの顔を見る。彼は朗笑を浮かべていた。
「少しだけならば、外に出でも宜しいですよ」
「やった!」
右側にあった戸からピョンと外に飛び出る。門の側面にある大きな木の陰になったところだった。
一緒に行進していた兵士たちはこのまま城へと引き返すようで、私に遠慮しながら列になってそそくさと去っていく。
「疲れたー」
地に足を付けると大きく伸びをしてから、遠くに見える森林の緑に目をやった。ずっと薄暗い所に閉じこもっていたためか、視界がチカチカする。
ベイルが水の入った器を持ってきてくれたので飲み干していると、ハーティと青年型のタンジェリーンが満足気に側へやってくる。
「凄かったな」
「ウム、我ハ感慨深イ」
「ちょっと、二人ともずるいよ。私も見たかったのに」
悔しがる私に対して、ハーティがニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「ふははー、羨ましかろう」
「なにそれ。ハーティ、うざい」
「え? 『うざい』ってなんだよ」
「鬱陶しいってことよ」
「なんだと……」
二人でそんな会話をしていると、ふとタンジェリーンの方から強い気配を感じて、彼へと視線を移した。
空を仰いでいるその片眼は目一杯に開かれ、表情は険しい。
「タンジェリーン?」
――「どうしたの」と言葉を続けようとした刹那、空から何かが降ってきた。仲間達のすぐ脇でドシャッという鈍い音と共に大量の土煙が上がる。
「うわっ」
ハーティと共に立ち上る土煙にゴホゴホと咽ていると、タンジェリーンに腕を掴まれて引き寄せられた。
ベイルの「何事ですか」という声と共に煙が引いていく。
牛車が止まっていた大木の下に、背に白い翼の生えた何者かが顔面から地面にスライディングするように突っ伏していた。
「なにが起こったの?」
タンジェリーンの胸の中で混乱状態に陥っていると、その何者かはウウッと唸って起きあがった。
キョロキョロと辺りを見渡しているのは、私と同じ年ぐらいの少女だった。大きな白い翼が消失すると、彼女はこちらに向き直ってからパッと顔を輝かせる。
「わ~いっ。着いたぁ!」
そして嬉しそうにピョンピョンと跳ねてから、忙しない動作でこちらの方へやってくる。すかさずベイルがその間に割り込んだ。
「貴女はどちら様ですか? 我々に何かご用でしょうか」
彼女はそんな彼の顔をまじまじと見た。それから呆然とするハーティの方を視線を移してから首を傾げる。
「いっぱい居るね。えっと、魔王はどれだ、ろ……」
少女が人差し指で仲間たちを順番に数えていると、タンジェリーンが低い声を上げた。
「祀族の娘ヨ、魔王に何用カ」
その声に驚いて、彼女をまじまじと視界におさめた。肩で切りそろえられた亜麻色の髪に、汚れてはいるが透き通るような白肌、漆黒のくりくりした瞳は爛々と輝いている。
美しいというよりは可愛らしい彼女の風貌を素直に羨ましいと思えた。
ただ、その見事なまでに整った容姿とタンジェリーンの言葉が、彼女が希少種であることを物語っている。
祀族は、スィフィがアバイドワールを再生した際、新たに誕生した種族である。
人族の見た目は背に白い翼を持つ天使のような姿が特徴だが、その存在は伝承に過ぎないほどに稀少という噂で実際に見るのは初めてだ。
「……本当に祀族なの?」
少女が近づいてくるのを見て慌ててベイルがそれを制止する。彼女はそんな事など微塵も気にしてない様子で大きな瞳に私を映した。
「魔王、見ーっけ!」
少女はそう言うと両手を広げてこちらへ勢いよく飛びかかってきた……のだが、その前にベイルとハーティに捕獲されてしまう。
「はーなしてぇ、僕は彼女に会いに来ただけだよ。会わなきゃいけなかったのっ」
「あなた。私に会いに来たの?」
暴れる少女にそんな疑問を投げかけると、彼女は涙目でうんうんと頷いた。
「祀族領地から、わざわざ来たの? どうして?」
「会わなきゃ、ううん。会いたかったの。南島羽里に!」
本名を呼ばれて心臓が跳ね上がった。現在、魔王としては殆どの名を『ルリ』として通しているので、トリどころか日本名を知っている彼女は一体何者なのか。
自然と視線が絡む。少女は暖かなオーラを全身に纏いながら幸せそうな顔をした。