旅は道連れ 世は情け2
玄関では邪鬼の影がわらわらと廊下へ進入して来ようとしているところだった。冬太がそれを切ってしまおうと打刀を振り上げている。
「南島は来るな」
冬太はそう言ったが、それでも私は彼の元へ向かおうとした。……のだが、腕を掴まれて体が動かない。
何故かと振り返ったら道成が真剣な面もちで玄関の方を睨んでいた。
「――冬太、それは寿隠やっ、切ったらあかん!」
彼がそんな叫び声を上げると、冬太は目に見えて動揺した。
「そ、そんなん。こいつらどうするんや」
「ちょっと待っとれ」
道成は私の腕から手を離すと、廊下の一番奥にある自室へと走って行ってしまう。
「待って、ってなんや!? もう、しゃーない」
冬太は懐から緑色の式神と護符を出す。式神の方を投げつけると数が増えて影の進入を防ぎ、その間に護符を壁の両端に張り付けた。
しかし、それもその場しのぎだった。なにせ敵の数が多すぎて、うじゃうじゃと蠢いているもんだから手に負えない。
「これじゃあ、保たんから!」
「――待たせた。これや」
道成が走ってきて、粉みたいなものを振りまき始めた。その行動を見た冬太が悲痛めいた声を上げる。
「塩なんか効かんてぇ」
「はは、塩って。そんなアホとちゃうわ」
影はみるみる萎んで行き、最後には消えてしまった。
「すごい」
そう感心していると足元にいたスィフィが不安げではあるがパチパチと手を鳴らした。
道成は顎に手をやってうんうんと唸っている。
「ほほう、流石は清めの白砂やな」
「なんやねん、それは」
冬太が疑問を投げかけると、道成は強く頷いた。
「とりあえず皆で、僕の部屋へ避難しよか」
「……避難ってなぁ」
冬太が苦笑するが、道成は決してふざけている訳ではないようだ。真剣な表情を崩さないのである。
「この家は進入口が多すぎるから、冬太も守り切らんのとちゃうか? 僕の部屋はこういうの寄せ付けへんようになっとるからとりあえず行こか」
「な、なんやて?」
冬太が戸惑う様子を見せたが、道成は片手でスィフィの手を取り、もう一方の手で私の背を押した。皆で居間の先にある部屋へ向かう。
その部屋は古民家にある唯一の洋室であり、室内の壁際には本棚がずらりと並んでいた。あとは長椅子みたいなソファと事務机が置いてある。
机上にはノートパソコンと本やノートが乱雑に積まれていた。
「どうぞ、遠慮なく入ってや。三人はそこに座ってな」
室内へと足を踏み入れた。ソファを進められたので私とアルビレオ、続いてスィフィも腰掛ける。そのタイミングで、冬太が道成に詰め寄っていく。
「さっきのは何やねん。ってか道成は邪鬼を知ってるんか?」
「あの白砂は姉貴の私物や。あんな。冬太、お前の母親は陰陽師やったんやで」
その言葉に冬太は目を見開いている。私も驚きのあまり口をポカンと開けた。
「姉貴はな、寿隠を清める仕事をしとったんや。さっき冬太に影を切ったらあかんって言ったんは、あれが魂の一部やからや、それを切るってことは心を傷つけることと同じなんよ」
道成は壁に寄りかかって瞳を閉じると、静かに語り始めた。
「寿隠は人間の悪心の具現化や。影を消せば一瞬は光が見えるように思えるやろ? でも、姉貴はそんなんまやかしやって言ってた。影の部分を消し続けたら、やがては闇に支配されて、その人はのうなってしまう」
私が「じゃあ」と声を発するのを手で制して、彼は言葉を続ける。
「冬太が持っとるそれは鬼切刀っていうんや。それはあくまでも昔の護身用やで。ちなみに、鬼ちゅうんは総称で敵って訳やない」
「……さっきから、道成は何を言ってるんや」
惑ったような態度の彼へ道成は真剣な目を向けた。
「あんな。鬼は人に種を蒔くんが役目や。人にもよるんやけど、蒔かれた種は大きくなり寿隠となる。陰陽師がそれを祓うとその者は育つ。つまり成長するんや。そして鬼がまた種を蒔く。こうして人類は育ち、世界は進化するって姉貴は言っとった」
「そんなん……そんなん、嘘や」
冬太が顔面蒼白になっているのを見ると、道成は不安そうな表情を浮かべた。
「冬太。お前は何を聞かされたんや?」
「俺は、俺は邪鬼が世界を滅ぼすからその影を退治するんやって、文珠がこれを使えって言うから……」
冬太は打刀を手放した。床に落ちたそれはガシャンと高い音を立てる。
「文珠……ってもしかして珠希のことか!?」
道成が叫ぶのと同時に突然、冬太が苦しみ始めた。彼は床に膝をつき、頭を押さえながらもがいている。
「なんで冬太を苦しめるんやッ」
道成が叫ぶ。混乱した状況で、私の手に小さな温もりが触れた。
「だいじょうぶ。……トータはスィフィが助けるよ」
そう言ってスィフィは寄り添うように苦しむ彼の側へ立つ。彼女が冬太に触れると二人は姿を消してしまった。
状況の分かっていない私たちが呆然としていると、スィフィの声が頭の中に響いてきた。
《――かあさま》
「スィフィ!? あなた何処にいるの?」
《――お城だよ。あのね。トータ、苦しいのなくなったみたいだよ》
その声と共にスィフィがこちらへ戻ってきた。
「ねぇ、かあさま。かえろうよ。あのね、みんなが会いたいっていっているの」
彼女がいれば、やはり異世界への行き来ができるようだ。冬太の事も心配だし、一度アバイドワールへ戻ってもいいだろうか。
アルビレオと顔を見合わせると、彼はこちらの気持ちを汲んでくれたかのように頷いてくれた。
「道成さん。私、一度故郷へ戻ろうと思います。必ず冬太を連れ帰るので待っていて貰えませんか」
「そんなん。……冬太は大丈夫なんか?」
「はい。城内は、いえ、あちらは安全なので心配ないと思います」
「そうか。……分かった、ほんなら今は羽里ちゃんに任せるわ」
道成が心配げな眼差しを向けてくる。私が強く頷いていると、アルビレオが肩を叩いてきた。
「トリ、どうするんだよ」
「一回、アバイドワールに帰るよ。アル、一緒に来て」
「分かった」
二人でスィフィの手を取ると、視界が歪み始める。「行ってきます」と呟いたが、道成に聞こえたか聞こえてないか分からない内に未知の空間へ入った。
一瞬で私は見慣れた自室の端に佇んでいた。頭に触れると角が生え、服装もいつも身につけている簡易なドレスと、そのスカート裾からトカゲの尻尾が覗いている。
「トリ様っ!」
私の顔を見たラヴィナがすかさず飛びかかってきた。ぎゅっと抱きしめられて、私はだらりと尻尾を下げる。
「心配かけてごめん」
アルビレオが「皆を呼びに行く」と言ってすぐに退室した。しばらくすると、バタバタと大きな足音が鳴り、バッと扉を開いて入室してきたのはハーティだ。
それに続いてベイル、シャーも室内へ入ってきた。ハーティはラヴィナ然りの対応をみせ、ついでに頭をこねくり回すように撫でられた。
「トリよう。心配したんだぞ」
「ごめんなさい。……本当に心配をかけました」
震える声で言うと、ベイルも側に寄ってきて安堵のような息を漏らしたのが分かった。
「全くおまえという奴は、私に徒労しかかけられんのか」
そう怒鳴ったシャーもどこか表情を緩めているようだった。
「私だって好きで消えた訳じゃないよ」
そんな泣き言を漏らしていると、扉から遅れてタンジェリーンが姿を現した。
「トゥリ、健在で有るカ?」
私がうんと肯定すると、タンジェリーンは薄い笑みを浮かべる。
「かあさま、スィフィのだもん」
そうしていると、プーっと頬を膨らませたスィフィが足にしがみつく。徐々に「本当に帰ってきた」という実感が湧いてきて、皆を一人ずつ抱き締めて回った。
いつもの事だが、シャーには嫌な顔をされた。