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幻想博物誌  作者: 邨野節枯
ミニュ ―森の上の森の中―
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円塔

 長老達は帰る訳では無かったらしい。


 ほぼ全てのミニュの人々が立ち去り、広場の中に私達だけが残されると、丁度食事の用意が出来た事を告げるらしい炊事場の人々の声が届いた。

 薄暗くなったところで人気が無くなると、何だか急に寂寞とした思いが込み上げてくる。ただ旅の途上、もっと暗い森の中で駄獣を繋いでは、私達だけで地に腰を下ろし、粗末な食事を掻き込んでいた事を思えば、今の状況は遥かに良いものだ。宿があり、人々の住む場所が近くにあり、炊事場で働く人々さえ居る。これ以上の待遇など、王侯貴族でもない限り旅先で受けられる事は無いだろう。


 「私達、食べ物」

 という声に我に帰ると、どうやら長老達も共に食事へと向かう様だ。確かに夜間に足元に不安のある階段を、この枝からどこまでなのかは知らないが、恐らく遥か上まで登るのは大変だろうし危険だ。特に長老の様な高齢の者には無理だろう。


 「いつもの事ですよ。この後、食事を皆で摂って、彼等は炊事場近くの部屋で眠る。明日の朝、ミニュの人達がまた市を目掛けて来る頃、私達の渡した荷と共に上に戻って行くんですよ。」

 我等が隊商の長は、先程までの御出迎えの態度とは打って変わって、呑気に述べた。


 食事は昼とそう大した差は無く、黄色い穀物粉を煮たと思われる物と、乳製品の様な塩漬け肉の様な食べ物、何処から持って来るのか分からないが新鮮な野菜の様なものである。特にこれと言って大きな変化が無いところを見ると、ここではこれらが一般的な食事なのだろう。


 私は明日馬達を連れて上がる事になるので、彼等にこの黄色い穀物の様な物と野菜の芯の塊の様な物を、生の状態で見せてもらった。これが馬糧になるならば、大きな問題はおそらく起きないだろう。

 「馬の食べ物としてこれを貰いたい」と娘に伝えると、彼女は少しばかり嬉しそうに長老に掛け合ってくれる。取り敢えずは明日馬の所まで少量持って行き、食べるかどうか様子を見る事に決め、それ程大きくは無い袋に詰めたものを貰い受けた。

 後は特に何事が起こる訳でもない。こうして巨木の中での初日は終わっていった。


 翌朝、何か藁の様な物を詰めたと思われる寝具の上で目覚めた。あの網目模様の袋と同じ素材で出来た、大きな寝具だ。寝心地はとても良く、地面の上で寝た時の様な体の強ばりは無い。部屋の中は、まだ残る燠で十分に朝まで暖かく、ミニュの寝具と私の夜具でとても快適に過ごせる。これならば冬の間も安心だろう。


 私は水場に行って身支度をし、朝食を取り、馬の元へと行く事にした。

 朝食をとりながら、隊商の長に馬引き二名を連れて行くと断りを入れ、銜と手綱、秣代わりの穀物と野菜を持って行く事にした。私自身は商売をする気は余り無いし、馬引きも元より商人ではない。残りの荷の内、ここで捌いて良いものは、全て隊商の長に任せて良いだろう。


 朝食は昨晩の残りを薄く延ばして焼いた物と果実で、合わせると甘味がありとても食べやすい。朝早くから食事を用意して貰えるとは、旅先では何とも贅沢な事だと思う。

 気の早い商人は、さっさと食事を終えると広場に自分の荷を動かし、場所取りをしている。といって、早く売り捌こうという気は全く無い様で、むしろ少しでも条件良く交換する気の様だ。自分の持つ全ての商品を出している訳でもない。


 「まだまだ日が有りますからね。大体、余り早く荷を捌いても損するだけですよ。ミニュの人達は何も昨日全員来た訳では無いんですからね。まだまだ商いの機会は有りますし、むしろ日が経ってからの方が、この機会を逃すまいと駆け込んで来る人もいますし。」

 という事だそうだ。

 何であれ、ここでの稼ぎはいい稼ぎに違いなく、割とこちらの付けた値で取引される状態の様だ。互いの少しでも多く交換したいという努力が、これから毎日続いていく。


 また、それ程頻繁には市が立たない地域では、商人の訪れの時と言うのは言わば娯楽の様なものだ。まだ来ていない人々にしてみれば、余り早く無くなれば、つまらない事も有るのだろう。


 さて、私達が枝の付け根から回廊へと移ると、既にミニュの人々がちらほらと階段を降りて来るのが見える。気の早い事だとは思うが、この機会を逃すまいと思うのは、むしろミニュの人々の方かも知れない。

 枝とは違い、幹の虚の中は木肌の黄色味が少し強く、若干色が暗い。その中を降りてくるミニュ人々の鮮やかな色彩は、とても良く目立つものだ。昨日などは、広場は色彩の奔流に溢れていた。


 さて、階段や回廊を見下ろしながら進み続ける事、暫し。登る時とは異なり、色々と目に入って来るものがある。

 まず、この巨木の中は円塔の中を思い浮かべると分かり易いとは、以前述べた通りだ。その中を何箇所か帯の様に、外周に沿って穿たれた回廊が分断している。そして、それに交わる様に外壁に刻み込まれた螺旋階段が、それぞれの回廊を縦に繋いでいる。


 まだ朝なので、この巨大な円塔の様な幹の中は薄暗い。

 まず階段と回廊の交わるところまで行き下り始めたが、巨大な螺旋階段というのは、下りの方が遥かに恐怖を感じる。転げ落ちれば遮る物は無く、下の回廊まで転がり続ける事になるだろう。途中、特に枝の無い場所にも回廊が刻まれているのは、それを防ぐ為なのかも知れない。曲がりなりにも、回廊が一旦階段を遮る地面の様に見えて、多少は安心できるのだ。


 ただ、階段にせよ回廊にせよ、中心に近い端の方は脆くなっている様で、実際所々崩れている部分もある。余り端の方には寄らない方がいいだろう。特に回廊で一旦途切れた階段が、再び下へと続く箇所では、幅が半分程になる為、気が気ではない。上がる時はそれ程気にならなかったのが嘘のように、遥か下まで落ちそうに感じる。

 ただ刻まれている階段は、木とは思えぬ程に強固だ。これならば、蹄鉄を履いた輓馬でも問題は無いだろう。


 時間こそかかったが、私達は一番下まで何事も無く下る事が出来た。自分の池に落ちた場所を通り過ぎ、外へと出て行く。たった一日だが巨樹の中にいた後では、外の世界の広さと明るさが新鮮に感じる。


 残るは地上であり、根を越えたり色々はあるが、別にそこらの草原を歩くのと大した違いはない。盆地の北側の斜面で、昨日と同じく草を食む馬達を見つけ、口笛で呼ぶときちんと私の所まで駆けてきた。

 連れて上がれるかどうかの決め手となる馬糧、ミニュの穀物等が口に合うかどうかが心配だったが、馬に差し出せば美味そうに喰っている。何の問題もなさそうだ。大人しく銜と手綱も付けてくれたので、後は引き連れていくだけである。


 自分が暫く前まで居た枝を探す為見上げると、一番下にある枝だと言うのに、外の森の木々の十倍以上あろうかという高みに在る。今なら分かるが、その中程から折れた枝の空洞は、私達が騾馬を連れて泊まり込み、市を開きミニュの大勢を迎え入れる事が出来る広さがあるのだ。それがここからでは、私が腕を目一杯伸ばして突き出した親指程の大きさに見える。最初の夜、私は枝の上に人影を見た気がしたが、恐らく勘違いなのだろう。ここからでは人の姿など、爪の先の一欠片に過ぎない。


 枝を見上げながら降って来た階段を思うと、もう一度登り行く事が億劫でしかない。一瞬、馬に乗って引き返したい思いが湧き上がるが、鞍も鐙も持って来ていないし、馬引き達はそもそも騎乗できない。


 しかし到着した時には、中に入り登るのを今か今かと待ち構えていたと言うのに、一日過しただけで登る事さえ面倒になるとは、我ながら何とも人間と言うのは自分勝手なものだと思う。


 重い腰を上げながら、昼食には戻る事が出来るよう願いつつ、私達は再び枝へと向かった。

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