商談
食事を食べ終わると、部屋割りの事をすっかり失念していた事に気付いて、隊商の長にその点はどうしたら良いのか尋ねた。
「ああ、銘々もう部屋は取った筈で、もう誰も残ってないと思いますよ?大体二、三人で組になって、今回の旅に参加してる場合が多いですし……そうなると荷物の管理やら、気心知れた方がいいやらで、まとまって部屋を取った方が気が楽ですからね。」
となると、私は馬引き二名を雇っている以上、彼等とまとまった方がいいのではないか、という気がする。その点を聞いてみると、彼の答えは否だった。
「まあ、彼等にしてみれば雇主と同室なんて、気を使って逆に面倒なんじゃないですかね?私もミニュの人を迎えたりで部屋を使う事もあるかも知れないですし、立場上一人部屋ですしね。別に部屋が足りない訳でも無し、誰か溢れるでも無し、そのままでいいんじゃないですか?」
との事である。確かに、彼等もわざわざ私と三人部屋になるよりは、二人でいた方が気楽であろう。彼等には、騾馬で運んで来た分の荷の扱いは、全面的に任せてある。商売自体は、他の商人と適当に協調しながら行ってもらって構わない。
「あとそう言えば、市を立てても売るわけでも無ければ、その馬で運んで来た荷については、とっといて交渉事に使うんでしょ?いや、実はですね。私達が売り買いしてる間は、実際のところ、その荷駄についてはあんまり出して貰わない方が助かるんですよ。」
それは、そうだろう。私が荷をほいほいと、何か大した対価を求める事も無くミニュの人々に与えれば、他の商人にとって見れば、商売の邪魔でしかない。
商人同士にしてみても、隊商を組んで来ている以上、相互に商売敵としてどちらが売れるか「競争」などという事をしてもしようがない。ただ、今回は、出資者を募って、荷の種類を統一したり、共同で購入して運んできた訳では無い。従って、荷の中身はそれぞれではあるが、一気に誰かが先走って安売りすれば、その他の商人まで買い叩かれる事になるし、売れた者と売れなかった者との間で、不公平感から不和も生じ易い。
そして、もし私が荷をどんどんと出すならば、その不和を生じさせる最たる者に私がなる、という事だ。
共同出資ではなく、売り買いした総額から配当を出す方法が取れない今回の様な場合、大体の相場を決めておき、皆がその前後でやり取りするものだ。
別に狡猾に値を釣り上げている訳ではなく、皆でまとまって旅をして来たからこそ、私達はここに居るのである。自分の荷は、自分だけで運んで来たものではないのだ。中には皆の世話の為に、野営具や調理器具を運んでいる者もいる。彼等はその為に荷を犠牲にしているわけで、彼等の利益が目減りする様なことがあってはならないのだ。
「商人の誠実」というものを信じない者もいるが、互いに誠実でなければ、助け合って旅をする事は不可能だ。商人間の契約は、実は騎士の誓約の如く、双方を厳しく拘束する。無論、契約以上の事をする必要は無い。契約に見落としがあれば、期待していた見返りや援助が受けられない事もある。ただ、それは見落とす方が悪いというものだ。
何れにせよ、別に私はここで、大きな利益を上げることが目的ではない。従って、自分の為に交渉事に使おうと思っていた交換用の荷を、市が立つ間に捌く必要は無い。
そして「ただ」と、隊長は続けた。
「ただ、もし良ければですけどね、この後ミニュの偉い人が来ますんで、その時にその荷を使って貰いたいんですね。というのが、ここに私達が十日間滞在する訳ですけども、宿と食事を提供して貰っている訳です。それで、商売の方は私達とミニュの人と、まあ直接遣り取りしてれば問題ない訳ですけど、この宿と食事の方はちょっと違いますよね。言うなれば、私達の隊商全体と、ミニュの人達全体との取り引きですよ。」
要するに、田舎の領主や村落の代表者に、初めに挨拶代わりに渡す貢物や税金の様なものだ。保護を受ける代わりに対価を。当たり前ではあるが、商業が発達するに連れて、この様な慣習も少なくはなった。街道の安全や真っ当な商業の保護は「その費用を、それを受ける旅人や商人から取立てるべし」とは限らないのだ。賢明な領主は、そう言ったものを提供して商業が活発化すると、結果的に自分の懐も潤う事を知っている。
ただ、この地は未だ、それ程までに人々が行き来する場所ではない。そもそも、互いにそれぞれの産物を交換している様な状態でしか、未だない。そうではなくとも、十分な食事と快適な宿等、そこまでただで面倒を見る領主や村落等ある訳が無い。対価を渡すという事は、何ら反対するものではない。
しかし「何故、私がそれを支払うのか?」ということは自明ではない。隊長にその事を尋ねると、彼の言い分はこうだった。
「先ず、彼等はここで私達一隊を、もてなしてくれている訳です。そして、あなたは出来れば一冬はここで過ごしたい。道々考えて居たんですが、この人数と駄獣を十日間引き受けるのと、あなた一人を一冬引き受けるのと、どう考えてもこの一隊を引き受ける方がよっぽど食料から何から、必要になりますよね?要するに、向こうにしてみれば余程費用がかかる訳です。」
しかし、そうだとすると、ますます分からない。費用がより掛かる事まで、皆の滞在費まで私が支払うのは理解が出来ない。
「だからこそ、なんですよ。この一隊の滞在の引き受けと、そのついでにあなたの滞在を一冬、と一纏めにして仕舞えばいいという訳です。あなたも改めて沢山の物を渡さなくても、一冬は滞在する許可が、正式にここの人達の長の名前で貰えると思いますし、その後、残った物で上手くやりくりが出来るはずです。勿論、肩代わりしてもらった分については、補填しますよ。」
だがやはり、補填するならば、何もまとめなくても、皆で分担して物納すれば良いのではないか、という疑問は残る。
「いや、分かりにくいかも知れませんね。すみません。その、私達の持って来てる荷ですけどね、中身はばらばらですよね?で、その荷から、少しずつ出すというのは、実は少し具合が悪いんです。彼等にしてみれば、私達がもって来たそれなりに珍しいものについて、まあ自分達が欲しいと思う分だけ、基本的には交換する訳です。ただ、長の方にミニュの人達の共有財産の様に渡すとですね、皆それなりに多少は手に入れた事になる訳で、もしこの機会を逃しても自分達の間で交換することも出来る。少なくとも、気分的には多少、『今を逃してはいけない』という気持ちが薄れるんですね。そこでもし、あなたの方で持ってきたもので、つまり塩と鉄製品ですか、それで渡して貰えると、他の品物に影響は出ないという事なんですよ。」
なるほど、一理は有るらしい。私にすれば交渉の場に参加して、自分の長期滞在まで含めて公式に許可が貰える。それならば、動きやすさも違うだろう。後は、滞在中の細々した諸費用を、残りの物資と補填してもらった物資から出せば良いだけだ。そもそも、補填してくれるならば、特に私には損は無い。違うのは唯一、ミニュの人々の気分だけだ。
ただ、そうと決めたとして、どうやって交渉の席に望むのが良いのか、少し詰める必要はあるだろう。
「兎も角、この後向こうの長が来たら、出迎えて私の部屋に招き入れます。もし、承諾して貰えるならですが、その前にあなたの荷駄の内、馬二頭分程、運んで来て貰いたいんです。あ、勿論手伝いますからね。」
実のところ、私はミニュに於ける相場というものが、良く分からない。それならば、交渉については、彼に任せる方がいいのかも知れない。そうすれば、私は彼等商人からの補填を考えれば良い。いわば、直接ミニュの人々と交渉するのではなくて、隊商と交渉するのだ。
そう考えると、私の疑問は「私の渡す荷が、どの程度の価値になるのか」であり、「どの程度の物と交換して貰えるのか」である。
「そこは、少し難しいところなんですけどね。ここの人々は、貨幣という物を使って無いわけですよ。ただ、交易品の中で一番目玉となる「ミニュの辰砂」と呼ばれてる薬が、大体のところで塩の半分の目方と交換、というのが今迄の相場というところなんです。勿論、塩の質にもよりますけどもね。で、それはほぼ純銀と等価、と言ったところはご存知と思いますけど……」
私を見て、異論が無いかどうか窺っているので、私は頷いた。実際、「ミニュの辰砂」は、非常に高値で取引されている。彼の言うところは、間違っていない。
「とは言え、行き帰りの経費というものがありますし、ここで交換したミニュの辰砂が、そのまま全部薬として使われるわけでもない。薬として使うには、精製されないといけませんからね。そもそも薬というものは、私達が勝手に捌ける品物でもない。薬を扱ってる組合なり、貴族の方々のところまで持ち込まなけりゃならない。その時々とは言え、それが大体、ミニュの辰砂の目方の半分と言ったところです。そうそうこの値が崩れることもないでしょうね。」
彼が「目方の半分」と言ったのは、純銀の事である。となると、塩から半分のミニュの辰砂、そしてそれからまた半分の銀となり、塩が四分の一程の重さの銀に変わるということになる。
古来、薬とは人の手を経て、集められ、精製され、運ばれて、保存され、適宜処方されるまでに、値は何倍にもなると言う。市井に出回る半分とは言えども、それを思えば、ミニュの辰砂など産地が限られ交易商人にとって、かなり良い儲けが出る方なのかもしれない。
いずれにせよ、私の荷が馬二頭分で大体「市場の竿秤」の重さで千斤だ。四分の一で、二百五十斤。「金銀の秤量」に使う錘なら、二割程それより軽いので、ざっと三百斤程の銀にはなる計算だ。市中で用いられる「盾の小銀貨」ならば、一万二千枚程。雇った馬引き二人の往復約四ヶ月分の報酬として、途上の経費をこちら持ちで一人百枚にしていたが、一回の旅でこれ程利益が出るならば、多少は色をつけてもいいかもしれない。
「まあ、各自が交易品で補填するとなると、それぞれまた複雑になりますでしょう?塩との交換と言っても、普通に市場で取引される額を元にするのか、ここの産物との交換の比率で考えるのか。しかも品数も多くてとてもではないけども、そんな事はしてられない。大体、あなたに交易品を渡すと、結局それはミニュの人に行くかも知れない……すると、気分的に買い控える人も出るかも知れない。何にしても、次来た時に影響しますからね。まあ、あなたの塩を使ったら使ったで、次は塩は大分売れにくくはなるでしょうな。とは言え、どうせあなたをここに残して行くと、それはミニュの人に行く訳で、やはり塩が次回少し値下がりはするでしょう。」
段々本音が見えて来たが、要は彼らにして見れば、私の持ってきた塩を、どうにかしたいらしい。ただ、どうせ、彼等も全部持ってきたもの市に出して、できるだけここの産物を持ち帰るなら、何も変わらない気がするのだが……
「変わるんですよ。本当の事を言いますとね。ミニュの人達は、数はきっちり数えますし、重さもしっかり量りますけどね。ただ、ちょっと複雑になれば計算が出来る訳でもないんです。だから一々、同量なり釣り合う量なり量って、それを順に取る訳ですよ。だから、ここの滞在費用を塩に統一してると、とても簡単になる。各人の経費を……一人分、一晩分とね。勿論、騙す訳では無いですよ。今後も上手くやっていけば、利益はたんまり出る訳で、この関係を崩したくはありませんからね。」
しかし、やはりいくら彼の言葉を聞いても、私の荷を使う理由が計量器が簡単になる事と、多少は私の滞在が楽になる事以上は、無い気がする。
「でね。ここからは良いですか?あなたの荷は馬二頭分でざっと千斤という所でしょ?単純に考えれば、純銀三百斤…当然金銀の秤で、となるはずだ。そこから、馬引きの帰りの分と、冬が開けてからの今度のお迎えの旅の経費を出しますよね。そこを、費用こちら持ちで、しっかりと確実に行うように契約した上で、荷のお代として銀三百斤丸ごとお渡ししてもいいんですよ、私としては。」
余りにも条件の良い申し出に、何か騙されているのではないかと、正直疑問でしかない。それが叶えば、何より帰還が確実になる上に、春の隊商の供託金、馬引きの旅の途上の食費と賃金等々、盾の小銀貨二千枚は浮く。
「嫌ですねぇ。その顔は疑ってますね?まあ、旨い儲け話は疑うと云うのは、悪い事ではありませんよ。ただ、別に私としても、これでただ余分に経費を増やす気は無いんです。実はね、これまでここにそんなに長期間滞在した者なんて、誰もいないんです。交易商人ったって、別に旅や冒険を好き好んでしてる訳じゃない。当たり前ですけど、大概は家族もあれば、出来れば危ない事をせずに、一旗揚げて平和に生きたい。でも、あなたはここの事を知る為に、長期間滞在なさる訳だ。そこでですよ!ここで知り得た事を、後で私に教えて欲しい訳です。そしたら、今迄知らなかった様なミニュの産物が分かるかも知れないし、何がより受けるか良く分かるでしょう?商売の種と云うのは、どこに落ちてるか分からないものです。更に、あなたがここの人達と知己を得れば、何かと便宜を図って貰えるかも知れない。そういう事なんです。双方に実のある話なんですよ。」
なるほど、話は一見複雑だが、分かって見れば何の事は無い。つまりこの取引では、私が滞在する事で彼は相場や状況を把握し、交易でより大きな利益が見込める。更に、私をミニュの長に紹介し、自分達の代表の様にして置く事で、他の交易商人達が参入してくる前により強い繋がりを持って、長期的な利益も確保したいという訳だ。
彼の言う事は、別にまやかしでも何でも無いだろう。私に便宜を図るから、自分にも便宜を図って欲しいという、云わば対等な契約だ。
私は彼の申し出に承諾する意図を伝えると、馬引きを呼んで荷を運んで置くように告げた。
自分は運ばないのかと言われそうだが、長々話している内にもよおしてきたのだ。