異世界に行ったときに困らないようにできること
役に立つ授業を選択してみた
県立Q総合高等学校。
関東地方の某県のはずれと言って良い立地の、単位制の普通科高校である。
義務教育ではない高等学校には、「学校設定科目」というのが存在する。
学校独自で設定できる科目で教科書はないが、履修修得すると単位に数えられるのだ。
入試に必要な科目が少なく、テスト勉強が苦手な生徒が選択する場合が多かったりする。
異世界に行った高校生が現代チートを発揮して活躍する。
良くある話だが、それは一種のカラーバス効果で、チートに失敗してしまえば話にならないからうまくいっているように見えるだけかも知れない。
実際に異世界に行ったとき、生き抜く手段を持っているに越したことはないだろう。
そんな訳で、役に立ちそうな授業があったので選択してみた。
Q総合高校の学校選択科目の一つに、サバイバル術入門、というのがあるのだ。
サバイバル術と言っても自衛隊で行われているような本格的なものではなく、生徒が飽きず、ついてこれる程度の簡単なレベルである。
最初に学ぶのは「水の確保」。
湧き水を見つけることができれば、しばらくは生き抜くことができるので、その見つけ方を最初に学んだ。
異世界に行った生徒など(以後、転移者と呼ぶ)は、いきなり王宮や都市で飲食に困らない生活をする。
山や森林の中に放り出されても、大変都合良く近くに水の綺麗な川があったりする。
尤もそうでなかったら、転移者は水が飲めなくて死にました、で話が終わってしまうから仕方がない。逆に言えば、安全な水の確保ができなければ、その後生きていくことはできないのだ。
しかし、実際に山の中で湧き水を探せ、と言われると大変である。地形を読み、表面の土壌をかき分けてその下の地面の土質を調べ、水が湧いている所を見つける。
それでもチョロチョロとしか流れてないことが多く、手で掬って飲めない場合は何らかの方法で、飲める量を溜めなければならない。
授業ではペットボトルを使わせて貰ったが、そんなモノがない場合に備え、葉っぱで容器を作る方法も習った。
なぜ安直に川の水を飲んではいけないかというと、寄生虫の危険があるからだ、とのこと。
我々現代日本の都市に住む者達は殆ど気にしていないが、数十年前までは当たり前に存在していたし、途上国では今でも当たり前に存在している。
ましてや中世レベルの世界なら、存在しない方がおかしい。
ネズミが居るならダニやノミが居るはずだ。
ジカ熱やデング熱で騒いでいるが、存在が当たり前でも気をつけなければならないのが、こういった連中なのだ。
蚊は見たことがあるだろうし、猫を飼っていればノミに遭遇したこともあるだろう。
しかし、シラミやナンキンムシはどうか。
捕殺が可能なノミや宿主から離れれば死ぬシラミと異なり、カメムシの仲間であるナンキンムシは厄介である。現代でも根絶が難しいのだから、異世界がナンキンムシの駆除に成功しているとは思えない。そうなると、転移者の現代チートでもどうにもできない可能性が高い。
魔王には勝てても、はるかに弱い(はずの)虫けら(ただし、集団)に勝てない勇者。
ちなみに、薫蒸系の殺虫剤が効くのは気密性の高い部屋だけである。隙間だらけの家屋では、例え高性能の燻蒸剤があっても無意味である。
湧き水がなくても、湿った地面にシートを被せて水を集める方法(海水でも応用可能)がある。
湿った地面に穴を掘って容器を置き、ブルーシートなんかを被せて容器の上になるところをへこませておくだけ。これで蒸発した水がシートで結露し、容器に溜まる。
雨を待つ場合の観天望気も学んだ。
実際に雨になってしまうと屋外活動できないので座学(敢えて雨の中で活動することもあったらしいが、生徒から不評だったので今はやっていない。ありがとう先輩達)。
砂漠ではラクダにたっぷり水を積むしかない。ラクダのこぶには水は入っておらず、脂肪の塊なんだそうだ。
だからラクダのこぶを切っても水は出ない。ラクダが死ぬほどの水不足になったらラクダの血を飲み、それすらなくなったら次は消化管に少し水がある(ものすごく臭い)。さらに。こぶの脂肪を燃やして水蒸気を集めることもできる。
サバイバル術入門なので仕方がないが、砂漠に行く予定のない関東の高校生に必要な知識でしょうか。
次は、春の新芽に始まる「食べられる植物の見分け方」。
学校内にある植物は草か、植えられた樹木ばかり(だからといって、有毒植物がないと思ってはいけない)。
基本、草は茹でておひたし風、樹木は葉っぱを天ぷらにする。
どんな植物かは判っているし、毒はないのだろうが、やはり学校内に生えている植物を食べるのを躊躇う生徒が多い。最初なので先生が食べてみせるのだが、それでも食べたことのないものを口にするのはできれば避けたいものだ。
それを考えると、転移者はすごい。
食べたことがない、色もおかしいことがある異世界の食物を躊躇なく口にしている。
食べられると判っているから?
授業で食べたサクラとエノキはまずくない、というか、美味しい。
さぁ、転移者になったつもりで、味と安全が保証されたエノキの新芽を食べてみて貰おうか。
エノキが見分けられないようでは、異世界で薬草採取なんてできないぞ。
しかし、美味しいものだけを食べて済ませる授業ではないのだ。
針葉樹はおしなべてまずい。裸子植物で括るとイチョウは新しい葉ならそんなにまずくないし、メタセコイアは食えないこともない。しかし、スギは食えたものではない。念のため花粉症の人は避けるように言われたので一人あたりの分量が多くなって、調理した分の押し付け合いになった。
この授業、生き抜くとは命をいただくということであるという発想だから、食べ残しは許されないのである。
だが、こんなのは序の口、恐ろしいのは5月頃からの昆虫を食べてみようシリーズなのだ。これまたシラバスとか年間学習計画とか呼ばれる資料に「自然界でどんなものが食べられるのか学びます」と書いてあるし、選択科目の説明会で先生も言ってくれるのだが。
この授業担当がまた東南アジアでクモやコオロギ、カブトムシやカメムシを実際に食べてきた人なので、毒がないことを知っており、容赦がない。
転移者も虫料理に困惑するものが結構居る。しかし、食べて見ればどうと言うことはないものが多かった。
異世界に行っても困らないように、参考資料として味と食べ方について述べておく。
食物として手に入れ易いのは集団で生活していてすぐには飛ばないものだそうだ。
アリは小さい上に……、酸っぱい。かなり酸味が強いので、お勧めしない。
外国にはミツツボアリと言って、腹の中に蜜を貯める個体が居る種も存在するそうだし、授業ではわざわざタイ料理店から買ってきたという冷凍した食用アリの幼虫が出てきたが、そんな食える種はわすかだろう。
逆に、人を襲えるような巨大アリなら脚肉が食えるかも知れない。
小説では人を襲うアリは必ず申し合わせたように巨大なのだが、担当の先生は「体長2mのアリ5匹より、体長2cmのアリ5百万匹の方が恐ろしい」と言っていた。相似形で体長が100倍になると体積は100万倍になる計算だ。
量を集めやすいと言うことで、ガッツリとやってきたのは桜毛虫。
結論から言うと味はまぁ食べやすかったのだが、大変だったのが糞出し。
こいつらは桜の葉しか食べてないし、先に述べたように桜の葉は食べられるから問題ないのだが、「食感が悪くなる」という、こだわる所を間違っているとしか思えない理由で、捕まえた毛虫をしごいて緑色のプニュプニュを絞り出すのだ。
毒がないことは保証されているし、ディスポーサブルの手術用手袋も支給されるのだが(異世界にそんなモノがあるはずないので俺は素手でやった)、手触りは最悪だった。このとき、悲鳴を上げながら壁に張り付いていた女子生徒も、秋のイナゴの時には笑いながら脚をもいでいたのだから慣れとは恐ろしい。
ネット上ではなぜか「クモはチョコレートの味がする」という話が流れている。
はっきり言おう、アレは嘘だ。チョコレートの味どころか、風味のかけらさえない。どちらかというと、苦みの強いカニみその味がする。
さらに、「カブトムシの幼虫は食べられる」という話もある。
これも言っておこう、食えない。
授業担当はタイやカンボジアで実際に昆虫を食った先生である。その先生が
「カブトムシの幼虫はクソ不味いから止めておきなさい。成虫は少しマシだが美味しくない」というのだ。
「カブトムシの幼虫のお腹の中に何が入ってるか知ってる? 牛糞、牛のうんこだよ」
さらに危険なのが、秋のキノコ
さすがに中毒者を出す訳にいかないようで、わざわざキノコに詳しい専門家を講師として呼び、それでも「絶対食べてはいけない」ものを紹介するだけ。
ツキヨタケというシイタケに似たキノコは「絶対に食べてはいけない」。
どれくらいダメかという説明がえげつない。なんと、ベニテングタケ(配管工が走り回るゲームに出てくるキノコと配色が同じ毒キノコ)の親指くらいの大きさの破片を実際に食べて見せ、「これくらいなら食べても死なない。だけど、ツキヨタケは食べてみせる気になりません」と宣ったのである。つまり、ツキヨタケは「ベニテングタケを食える人間でも食えない」キノコという訳だ。野山のキノコというのは食の安全性で考えた場合、桜毛虫よりはるかに危険なものらしい。
秋の実りの収穫を経て冬になると、大地震の際の身の守り方、と言った感じの座学となる。そして、3年生が自由登校になり、少数の1、2年生が残される(単位制の高校ではいろいろな学年が同じ講座を受ける)と、構内のナツミカンを使ったマーマレード作りとか雪を溶かして水にすると言ったぬるい授業になるのだ。
もっとも、ナツミカンマーマレードは3年生もやっていたことがあるそうなのだが、収穫中にたまたま見つけたアゲハチョウの蛹を、授業の思考が染みついた生徒が食べようとした所、中から大量の寄生蜂が出現した。これによって、ぶっ倒れた先輩が居たため、入試前の3年生に対する精神的ダメージ回避のために時期をずらすことになったという話である。確かに小さいぶつぶつは苦手な人が多く、それが突然出現するとびっくりする。
昆虫に詳しい先生によれば、越冬中の昆虫蛹の寄生率はものすごく高いらしい。捕食寄生は食われて終わりだが、共存に近い寄生関係もある。
寄生する方は安全な暮らしのために長い年月をかけて宿主に馴染もうとしているのだ。
ファンタジー界の昆虫や動物には、寄生生物に相当するものとかいないんだろうか。