決戦の時 上
内容が大体決まっていると筆が進む。
ついに、ついにその日はやってきた。
魔族軍の侵攻。それは人間の領土最後の砦とも呼べる『モネル要塞』の眼前まで迫っていた。
異世界に召喚されてから半年、既に実践も経験しそれなりの戦力として成長した二年一組一同。
彼らは皆砦に召集され、決戦の時に向けて体力を温存していた。
「…………」
幸樹は要塞の上階から魔族軍を眺めていた。
平原をずらりと埋め尽くす異形の軍団。遠目からでもそのおぞましさは十分伝わってくる。
特に目を引くのは魔族軍の中央で大樹のように鎮座する一匹の龍。
宵闇を連想させる黒い巨体が、日光に照らされ不気味に輝いている。
龍の名は『ガルグドラゴン』。魔族の間でも危険視される『英雄殺し』の異名を持つ黒龍である。
「…………糞がっ!」
幸樹は石造りの壁を叩いた。
戦況は明らかに不利。しかも、英雄殺しとまで呼ばれた巨大な龍まで引っ張り出されたのだ。
半年しか戦闘経験を積んでいないひよっ子勇者が、果たして太刀打ちできる相手なのか。
既に幸樹の中では答えが出ている。死。それも避けられようのない絶対的な死だ。
(ざっけんな畜生!俺は絶対に死なねえぞ。こんな所で絶対に死にたくない!)
下を見れば整列する兵士の列に二年一組一同も混じっている。
無駄死にご苦労様。俺がお前らの分まで生きてやるから安心しろ。これから戦場に赴く戦士に対する憂いを一切感じさせない、まるで他人事のような台詞を吐き捨てた幸樹。
静まり返った要塞の中を、彼はこっそりと移動し始めた。
自室で荷物を纏めた後、食料庫から食料をくすね、とある場所に向かった。
幸樹が向かっているのは要塞の奥にある緊急避難用の地下通路だ。
通路は近くの山のふもとまで続いている。そこまで行けば、森に隠れて敵をやり過ごせるだろう。要塞にいた騎士の説明を思い出しながら、幸樹は早足で廊下を進んだ。
地下通路の入り口へは難なく着いた。入り口は施錠してあったが、鍵はすぐ傍の壁に掛けてあったため簡単に開錠することが出来た。
幸樹は躊躇いなく、振り返ることなく入り口へと一歩踏み込んだ。
「待てよ」
「!!!」
幸樹の体が大きく跳ねた。
恐る恐る背後へ振り返る幸樹。そこには見知った顔が四つあった。
幸樹の背後にいたのは哲、礼二、良、沙耶だった。四人がどうしてこの場所へとやって来たのか。時間は十数分前まで遡る。
まず始めに、点呼を取っていた礼二が幸樹の不在に気付き要塞の中へと入った。
担任としての責務もあるが、彼は個人的に主人公の幸樹がどのような行動をするつもりなのか興味があった。
次に動いたのは沙耶。彼女は単純に幸樹の安否が気になったため礼二の後を追い捜索を手伝うつもりでいた。そして、あわよくばお近づきになりたいと思っていた。
次に動いたのは哲。彼は幸樹が主人公特有のワンマンプレイをかますつもりだと思い急いで要塞へと向かった。
自称主人公の相棒だ。幸樹のワンマンプレイを哲は黙って見過ごしはしない。
最後に動いたのは良。彼が編み出したバグ技『索敵マップ』に不可思議な色がついていた。
敵軍は一歩たりとも動いていないのに、ある一点から要塞に向かって敵を示す赤色が伸びてきている。
敵軍の謎の侵攻と幸樹の不在。良はここでようやく理解した。幸樹は既に敵の謎の動きを察知し、それをどうにかしようと単独で動いているのだと。
出遅れた良は慌てて要塞へと戻った。
要塞の中にある複数の反応から、戦場とは真反対にある緊急避難用の地下通路へ続く扉へ向かう反応を見つけた。
地下通路は謎の侵攻を続けている敵軍へと伸びている。おそらくこれが幸樹だろう。良はそう判断した。
『天田君を見つけました。緊急避難用の地下通路へ向かっているみたいです。彼は僕が連れてきますから、皆さんは先に戻っていてください』
良はバグ技『広域念話』を使い礼二、沙耶、哲の三人に報告を入れた。
もちろん、先に戻れといわれて素直に従う三人ではない。良の報告を聞いた一同は皆緊急避難用の地下通路へと向かった。
良としては幸樹と二人で敵を迎え撃つつもりだったが、これはうれしい誤算だった。
礼二、哲、沙耶は良から現状の説明を聞きながら現場へと向かう。
そして、間一髪の所で幸樹を引き止めることに成功したのだった。
「天田、お前どこに行こうとしてるんだ?」
「…………」
礼二の問いに対し、幸樹は沈黙を貫いた。
それもそうだろう。幸樹は敵前逃亡の瞬間を見られた。皆等しく恐怖と戦っている中、一人だけこっそり逃げようとしたのだ。
小心者の幸樹は「負け戦にいきたくない。死にたくない」と言えるだけの胆力を持ち合わせていない。
何か、何か言わないと。噴出す汗と激しい動悸の中、幸樹は必死に頭を働かせ言い訳を考えていた。
だが、いくら頭をひねっても都合のいい言い訳は出ない。この状況を打破できる絶妙な謳い文句を、幸樹は思いつく事が出来なかった。
もう終わりだ。俺はここで死ぬんだ。幸樹が半ば諦めかけていた、その時だった。
「水臭ぇじゃねえか。一人で行こうなんて」
「置いてかないで……ほしい」
「僕も同行させてもらうよ。答えは聞かない」
(……え?)
一筋の光が差し込んだ。
光は絶望の奥底にいた幸樹の道しるべとなって、彼の進むべき道を照らした。
(もしかして……こいつらも俺と同じ?)
三人の言葉を聞き、幸樹の目に再び光が戻った。
逃げようとする幸樹に対し「一人で行くな」「置いていくな」「ついていく」と言う三人。
つまり、三人も自分と同じようにこの場から逃げようとしているんだ。幸樹はそう解釈した。
もちろん、その解釈は錯乱状態の彼の脳みそがはじき出したデタラメな結論である。
しかし、幸樹はこの結論を信じて疑わなかった。
同じ志を持つ同士。邪険にする必要もない。皆で助け合って無事生き延びよう。
幸樹は哲、良、沙耶の三人を快く受け入れた。
だが、まだ問題が一つだけ残っている。
「…………」
先ほどから黙って幸樹を見つめている礼二。
担任である彼が幸樹達の行動を黙って見過ごすだろうか。現代日本では誰にでも分け隔てなく接することに定評のあった人物だ。
他の生徒がこれから戦おうとしているのに、自分だけ逃げようとしている幸樹を咎めることなく見過ごしてくれるのだろうか。
「……はあ。そっちの事は俺がうまく説明しとく。行きな」
「!!」
いくら主人公とは言えど、自分の生徒に勝手な真似はさせたくない。
だが、礼二もまた異世界ヘッズの一人。礼二は見てみたかったのだ。主人公、天田幸樹の活躍を。他を寄せ付けない圧倒的な主人公の力を。
幸樹はまさかの展開に驚愕した。
十中八九止められるだろうと予想していた幸樹にとって、礼二の反応はあまりにも予想外だった。
幸樹の反応も当然だろう。幸樹は自分を逃亡者だと思っているのだから。
自分が知らないうちに「単独で敵陣地に切り込もうとしている勇敢な少年」となってしまっている事など、一切知らないのだから。
「ほら、早く行こうぜ」
「行こ?」
「暗いな。魔法使うか」
ぼーっとする幸樹を他所に、他の三人は地下へと続く階段を下りていった。
幸樹は今一度礼二の方を見た。礼二は優しい笑みを浮かべ、静かに頷いた。
「……先生」
「ん?」
「ぁ……その……ありがと……ござぃます」
幸樹はたどたどしく感謝の言葉を口にした後、地下へと続く階段を駆け下りていった。その先に何が待ち受けているのか知らずに。