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其の三・『タマゴ・ソース』

お友達の皆様感謝の第三回最終話!

「大ちゃん、私達もう終わりなの……?」

「あぁ、そうだね」

「ぐす、ぁぁあ、だいぢゃーん」

「華子……僕なんかよりもイイヒトなんてすぐに見つかるさ。幸せになれよ」

「だいちゃぁぁーーーーーーーん!」


「……さようなら」


 僕は振り返らない。

 華子のその震える身体を抱きしめることもできない。

 これが僕と彼女の別れ。


 季節はもう冬に差し掛かっていた。



◇◆◆◆◆◆



 きっかけは些細なことだった。


 ある日曜日、僕は近所の商店街の肉屋さんを通りかかった時だ。


「お、加佐平さん! 今日は良いヒレ肉入ってるよ!」

「若旦那さん、おはようございます」


 僕は馴染みの肉屋の若旦那さんのセールストークにあっさりと流され、大量の豚肉を仕入れてしまった。ただ散歩に出かけただけなのに一体全体どういう事だろうか。


「へへ、毎度ありー! 華子ちゃんに美味いもん作ってあげんだよ!」


 若旦那さんは僕に向かってそう声をかけると、胸ポケットからマイルドセブンを一本取り出し、ぷかーっとふかし始めた。

 おいおい、今仕事中だろう。

 キングオーク並のガタイの良い大将が店の軒先で一服している姿はヤンキーにしか見えない。ハッキリ言って怖い。めちゃくちゃ怖い。

 案の定、店の奥から女将さんが飛び出し大目玉を喰らっている。


 これもいつもの日常、いつもの光景だった。


 僕は永遠にこの小さな平和が続くものだと思い込み、ただ漠然と日々生きていた。


 帰宅後、保存用の肉を冷凍庫に仕舞い込むと早速今晩の夕飯の仕込みに取り掛かった。


 厚いヒレ肉を軽く包丁で叩き、塩コショウを振る。

 お手製の大粒の生パン粉、一個ウン百円の国産卵、小麦粉をトレイに並べる。

 そして揚げ鍋に油を投入。


 うん、準備は万端だ。


「だ・い・ちゃ・ん~、たっだいまぁ」

「ああ、お帰り華子」

「わわ、揚げ物? 何作るの?」

「はは、若旦那さんにまた肉を大量に押し付けられてね。取り敢えずカツを揚げようかなっと」

「いいねいいね。はいはいはーい、私カツ丼食べたいです!」

「ふむ……カツ丼か。じゃ、付け合せは味噌汁とお新香でいいかな?」

「うんうんうん。大ちゃんの作るお味噌汁もお漬物も優しい味がして大好きだよ。勿論大ちゃん本人の方が好きだけどね。えへへ」

「はは、コイツめ」


 そんなやりとりによって今晩のメニューが確定した。


 カツ丼か……久々に作るな。


 しかし何か嫌な虫の知らせが僕に警鐘を鳴らす。

 はは、まさかカツ丼食べたいとか言ってソースカツ丼の事だったなんて落ちはないよな?

 カツ丼と言えば刑事ドラマの鉄板、まぁ現実にはありえないけど。半熟卵がトロッとカツの衣を包み込むアイツに決まっているだろう。


 が、僕は華子に聞いてみる。


「華子……カツ丼って、普通のカツ丼でいいんだよね?」

「やだなぁ大ちゃん。当ったり前だよ、普通のカツ丼を私は所望するのだ!」


 うん、大丈夫そうだ。


 着替えを終えた華子はリビングでテレビを見始める。

 揚げ物の心地いい音と香りが部屋に充満する。

 ゆっくりと気泡が油の中に舞い、やがて衣をまとった豚肉が浮上する。

 手早くこんがりときつね色になった大振りのカツをキッチンペーパーをしいた油切りに移す。

 うん、このままでも充分美味そうだ。

 僕はゴクリと生唾を飲み込み作業を続ける。


 フライパンに刻んだタマネギを投入、少量の水で煮込む。

 ぐつぐつと沸騰したタイミングでだし汁を注ぎ、そして砂糖、みりん、酒、醤油を加える。

 同時にカツを切る。包丁を入れるたびに衣がサクっと甲高い音を鳴らす。

 フライパンの上に切り分けたカツを形を揃えて並べる。

 予めボウルに溶いておいた卵の半分程をフライパン全体に回しいれて蓋を閉める。

 カツの上の卵がトロトロに固まっていく。

 そして火を弱め、もう半分の溶き卵を流し込む。後は余熱だけで充分だ。

 ……見た目だけで美味そうだ。

 完璧な半熟具合に心躍る。もう涎が止め処なく溢れ出る。


 どんぶりにたっぷりふんわりの白米、そして出来上がったばかりのトロトロの卵をまとったカツを乗せる。その上に三つ葉と刻み海苔を乗せ、丼の蓋を閉める。

 トレイに出来上がった丼、味噌汁、お新香の小鉢を並べる。


 うん。我ながら良い出来だ。外で出したら5~600円くらい取れるんじゃなかろうか。脱サラして飲食店なんてのもいいかもなぁ。あっはっは。


 僕はテーブルの上に2セットの丼を置き、そして華子を呼びに行く。



 この時の僕は知らなかった。


 これこそが僕と彼女の縁を断つ器だということに。


 平穏など些細なことで瓦解する。


 僕はあまりにも無知だった。無垢だった。未熟だった。

 彼女の望みを受け入れ、叶えられる男ではなかったのだ。



◆◇◆◆◆◆



 僕はベランダで土下座させられていた。

 もう外の寒さと床の冷たさで感覚が麻痺している。


 一体なんでこうなったかって?


「大ちゃん。折角の揚げたての衣を煮込んでべちゃっとさせるなんて愚の骨頂なんだよ」

「す、すんません」

「カツ丼ってね。ホカホカご飯の上にシャキシャキのキャベツ。その上にトンカツを乗せてソースをかける。これがお約束、鉄板なんだよ」

「……す、すんません」



 僕は知らなかった。

 日本の地域の中にはソースカツ丼の事を『カツ丼』と言う地域がある事を。

 自分の常識が世間の常識だなんて思っちゃいけない。

 だけど知らないものは知らない。

 分からないものは分からない。

 無知だからこそ人は成長していく。知識を吸収していく。

 そして色んな失敗と挫折を味わって、痛みを乗り越えて人は強くなる。


 価値観の違い、文化の違い。


「私達……」

「僕達……」


 どちらともなく口が開かれる。

 切ない声音が冬の寒空に掻き消されていく。


「出来ればキミと同じ道を歩みたかった」

「私だって大ちゃんと同じものを食べていきたかった」

「それでも」

「……ぅぅ……ぅぅう」


 華子の目から一筋の涙がこぼれていく。


「だって……だって……カツ丼は……カツ丼は……うう、うぁぁああん」


 華子……僕の大好きだった人よ……。


「ぐす……ソースが、なんでソースが……わぁぁぁぁぁぁん」


 彼女の澄んだ声がこの耳を、この胸を、この心を突き刺していく。



 こうして一杯の丼という些細なすれ違いが一組のカップルを引き裂いた。


 世の中どこにでもある、よくある恋人達の終焉。

 それはクリスマスまであと僅かという時期に起こった悲恋の物語だった。



◆◆◇◆◆◆



「あぁあ、こんな日も仕事はあるんだよな」

「はいはい、ぼやくな加佐平。さっさと資料配り終えるっ」


 心にぽっかりと穴が空いたような週初め。

 それでも僕の日常は変わらない。

 にしても、華子と別れたと伝えた途端上野原先輩がニヤニヤと上機嫌だ。

 なんだこの鬼畜先輩、そんなに人の不幸が楽しいのか、このイケメンリア充め!


 この日は朝から大忙しだったおかげて気分を紛らわすことが出来た。

 池袋の雑居ビルの一室にある貸会議室。

 これから我が外商部が新たに獲得した代理店店舗に向けての説明会を行う予定だ。

 クライアントとなるシステム会社、そして代理店の従業員への資料を設置。

 音声機器や映像機器のチェックを入念に行う。


「おはようございます」


 やがて代理店側の責任者がやってきた。

 下冷泉璃々(しもれいぜんりり)オーナー。僕と大して年も変わらないのに独立してこの代理店を立ち上げた才覚ある女性だ。

 彼女の実力を確信して我が社も契約を即決した。


「「おはようございます」」


 僕と上野原先輩は元気よく挨拶を返し下冷泉オーナーを席まで案内する。

 そして彼女の従業員達も続々とこの会議室へやってきた。


「ひーふーみー……14名……これで代理店側は全員かな。後はクライアント担当者さんか、先輩誰が来るか知ってます?」

「いや、今日は先方の営業本部長が来るって話らしいけど」

「ふぅん、てっきりいつも通りマーケの三井チーフかと思ったけど……どんな人なんだろう?」

「……はは、会えば分るよ」


 苦笑いで返答する上野原先輩。どうやら先輩が苦手とするタイプの人らしい。


 そしててんやわんやで会場の設営は完了した。


「加佐平、来たぞ。彼だ」


 現れたのは色黒で巨体の男性。

 見るからに堅気の人とは思えない異様な迫力が感じられる。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です。は、はじめまして。上野原の部下の加佐平です」

「ん。挨拶は後で良い、早速始めてくれ」


 はぁ、なんか素っ気ない。

 こりゃ先輩が苦手とするわけだ。

 僕達はその無言の圧力を合図に説明会を開始した。



◆◆◆◇◆◆



「はぁ、終わった終わった。さぁて、先輩、景気づけに飲みに行きましょうよ」


 大盛況の説明会も終了し、代理店御一行を見送り片付けを終えた僕は上野原先輩に明るく声を掛ける。

 今日から僕も一人暮らしだ。門限も何もない。

 ここは男同士友好を温めようではないか。


 が、先輩は携帯電話の画面を眺めたまま何故か固まっていた。


「あちゃぁ、蔵子のヤツ、なんでまたよっちゃんと喧嘩してるのよ!? もぉワタシがいないとぉ……え、マドカも?! まったくあの子達は世話がかかるんだからぁ……」


「先輩?」


「――えっ?!」


「だから飲みに行きましょうって」

「あ、あ……ぁはは。ごめん加佐平、今から蔵子達に会いに行くことになった。すまないがまた今度誘ってくれたまえ」

「まぁたモデル美女集団とデートですかぁ、いいですねぇ。くっそぉぉこのリア充先輩め!」

「はっはっは、妬くな妬くな。そんなにボクがいないと寂しいのは分かるが」

「キモいこと言わんでください! もぉいいっすよ、先輩なんていずれ修羅場に巻き込まれて刺されてください!」


 その時の僕はどうにかしてたのだろう。

 僕はリア充っぷりを発揮するイケメン先輩に当てつけるようにその場に残っていたもう一人の男性の肩を叩き、「飲みに行きましょう」と有無を言わさず引っ張っていった。


 部屋を出る間際、寂しそうな、焦っているような、なんとも言えない表情の上野原先輩が垣間見えた気がした。


 いや、実際そんな複雑な表情をしていたのだろう。



 なんたって僕がたった今引っ張ってきた男は強面のクライアントのお偉いさんだ。ホントに僕は何という事をしでかしたのだろう。


 屈強で色黒長身の本部長さんは無表情で僕に引っ張られていた。



◆◆◆◆◇◆



「いやぁ、はっはっは、スイマセンね本部長。みっともないマネを」

「気にするな。……俺ももう今日の仕事は終わっていた」

「えとぉ、店、ここでいいですか?」

「あ……ああ」


 口数が少ないクライアントの本部長さんをムリヤリ引きずり、僕は裏路地にポツンと存在する惣菜主体のこじんまりとした居酒屋の暖簾を潜った。


 愛想良い店主のおばあさんに挨拶をする。

 僕は瓶ビールを注文し、本部長さんと自分のグラスにビールを注いだ。


 それにしても寡黙な本部長さんだ。

 曲がりなりにもウチより大きい会社のお偉いさんとは想像がつかない。


「えと、本部長さん?」

(ゆう)だ」

「え?」

伊上勇(いがみゆう)、『ゆう』でいい」


「……あ」


 僕は一瞬呆然とするが、すぐにその言葉の意味を悟る。


「はい、勇さん。じゃ僕も大吉でいいですよ」

「じゃあ、大吉。ちょっといいか?」

「はい、なんでしょう?」

「実はな。こういった個人店の飲み屋とか入ったことなくてな、些か緊張しているのだ」

「……へ?」


 これは意外だ。この年齢でそりゃないだろ。

 童貞並に天然記念物クラスの逸材だぞ。


「会社の宴会は繁華街のチェーン店ばかりだし、大抵食事は牛丼屋か蕎麦屋か弁当屋しかいかないもので。こういった店はテレビのドラマでしか見たことが無く勝手が良く分からん」

「弁当って、もしかして勇さん独身ですか?」

「ああ」

「自炊とかもしないんですか?」

「ああ」

「ダメですよ、ダメです、ダメダメです。独り者の男としてまったくダメです!」

「そ、そういうものなのか?」

「そういうものです」

「むぅ、それは困った」


 本気で困った様な表情を浮かべる勇さん。

 無表情と言ったのを訂正しよう。この人は単に不器用なだけなんだ。

 顔つきだけ見ると世界を滅ぼしそうな魔王ヅラしてるけれどかなり純粋なヒトなんだろう。


「分かりました、勇さん」

「ん?」

「これから毎週飲みに行きましょう。居酒屋の楽しみ方、自炊の仕方を僕がレクチャーしてあげます!」

「大吉……お前……」


 僕は勇さんにグラスを向ける。

 一回目の乾杯は目上の人に向けてグラスのやや下に自分のグラスをぶつけた。

 だが今の僕達は対等だ。

 今度は同じ高さでグラスをぶつけ合う。


「ふふ、改めてよろしくお願いしますね」

「……ああっ。宜しく頼む」


 こうして本来交わらぬはずの2人が巡り合う。


 寂しい男には居酒屋が良く似合う。

 一人暮らしの男にとって自炊能力はステータスだ。


 平凡なサラリーマンと食通の魔人が出くわす時その物語は紡がれていく。




                       -完-



to be continued 相羽総合サービス業務日誌Ⅳ

よぉし、リハビリ完了。

無能モノ更新がんばるぞぉぉ!

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