Monster
昔々、あるところに怪物が居ました。彼は姿がとても醜かったので、人々は彼のことを嫌いました。それで、彼は森の奥に小さな、粗末な小屋をつくって住んでいました。
怪物は醜かったけれど、とてもきれいな心をもっていました。そんな怪物は、動物たちに愛されていました。彼らは見た目で判断したりはしないのですから。動物たちはいつも怪物を訪れていたので、ひとが来ないからといって寂しいということはありませんでした。 時には人間を恋しく思ったりもしましたが、怪物は自分の姿がひとを怖がらせることを知っていたので我慢していました。
ある日、怪物は森を散歩していました。その日はとても天気がよかったので、怪物はいつもは寄り付かないような、森の入り口に近いところまで出てきてしまいました。
――これはいけない
怪物はそこで踵を返しました。このあたりにはきこりの家があるのです。怪物はしばらく歩きました。さっさと家に帰ってしまうのがもったいないような日なのです。遠回りをしてみたりして、怪物はゆっくり、ゆっくりと家路をたどりました。少し行くと、川のせせらぎが聞こえてきました。怪物は、川せみに会おうと思ってそちらに向かいました。一つ道を曲がるとさらさら流れる川が――いえ、それももちろんですが、怪物の目に飛び込んできたのは紛れもない人間の姿でした。怪物はあわててそこから逃げ出そうとしましたが、その人が声をあげました。怪物は思わず足を止めます。小さな、細い声でした。
「もし、だれかございませんか」
困り切ったようなその人は座り込んでしまっていて、もう一歩も歩けない様子でした。その人は、少女でした。怪物は放っておくこともできず、おそるおそる少女に近づきます。声をかけようか迷っていると、怪物の足元でぽきりと枝が折れました。怪物はぎくりとして、足を止めました。少女ははっと気づいて、
「だれかいらっしゃいますか。お願いです、私を助けてください。足をくじいて動けないのです」
怪物は驚きました。少女が怪物の姿を見ても驚かないからです。けれど、怪物はすぐに気づきました。ああ、彼女は眼が見えていないのだ、と。怪物はできるだけ優しく少女に話しかけました。私が、森のはずれのきこりの家に連れていってあげましょう。
「まあ、ありがとう。本当にうれしい」
怪物は少女を助けてきこりの家に行きました。だれかと会うかと思うと心配でしたが、ひとっこひとりいませんでした。
お嬢さん、ここがきこりの家です。ここから先は私は行けませんが、きこりはいい人です。きっとあなたを助けてくれます。
「だれだか知りませんが、親切にありがとう。明日、お礼をさせてください。明日、私は森の入り口に行くことにします。お昼です。どうか、いらしてください」
怪物はあいまいに返事をして、きこりの家の戸を叩きました。きこりの声のするのを聞いて、怪物は森の中へ走っていきました。
家についてからも、怪物はずっと少女のことばかりを思っていました。彼女の鈴のような声を思い出すだけで、怪物の胸は高鳴るのでした。
怪物は、次の日のお昼に、少女に会いにいきました。少女は確かにそこにいました。彼女は怪物の足音を聞くと微笑みました。花が一気に満開になったかのような美しさでした。
「お菓子を持ってきましたの。一緒に食べましょう」
怪物は少女の手を取って森の中を案内してまわりました。少女は怪物の肩に乗った小鳥に触れたり、川の流れに足を浸したりしました。少女の笑い声を聞くと、怪物は心が温かくなるのを感じました。でも、少女が自分に笑いかけてくれるのは彼女の目が見えていないからで、それを考えると怪物はっとても悲しくなりました。
「ねえ、ここで食べましょう。とてもおいしいお菓子なのよ」
少女は花の香りに囲まれて、その場に座りました。怪物も彼女のそばに座って、お菓子を食べました。
次の日も、また次の日も少女はやってきました。怪物はいつも違う場所に少女を連れていきました。彼女はそれをとても喜びました。
「あなたって優しいわ。それにとっても素晴らしい声をしている。きっと、すてきな方にちがいないんだわ」
少女の無邪気な言葉は怪物を深くえぐりました。もし、お嬢さんが自分の姿をみたら。そう思うと怪物は気が気でありませんでした。
少女は怪物と仲良くなっていくにつれてぽつぽつ自分のことを話すようになりました。
「私は病気で目が見えなくなったの。ここにはとても腕のいいお医者様がいて、私の目を治してくれるというの。……実は、あさってがその手術の日なの。目が見えるようになったら私、一番にあなたのお顔を見に来るわ。いつもの森の入り口にいてちょうだい! ああ、私、あなたのお顔が見られるのが楽しみでしょうがないの」
ついにこの時が。怪物はそう思いました。怪物は少女に別れを告げようと考えましたが、それはできませんでした。何度も伝えようとしましたが、口を開きかけても言葉が出てきませんでした。結局、怪物は少女に手術を頑張るように、としかいえませんでした。
次の日、少女はやってきませんでした。明日の手術の準備をしているのだろうと怪物は考えました。
手術の日、怪物はひたすら少女の無事を祈り続けました。食べることも寝ることも忘れて祈りました。
次の日の太陽が昇り始めるころ、怪物はようやく立ち上がっていつもの森の入り口まで行きました。足取りは重く、なかなか前に進みません。やっと目の見えるようになった少女をおびえさせるなんて……。怪物の胸ははりさけんばかりでした。
森の入り口まで来たとき、怪物は足が動かなくなったのに気づきました。まるで根が生えてしまったかのようでした。
怪物は空を見上げました。吸い込まれてしまいそうな、透き通った青空でした。少女がこの空を見ることができるようになるなんて、どれほどすばらしいことなのだ、と怪物は思いました。
※
昼過ぎに、少女はやってきました。彼女の美しい瞳は森までの風景を楽しんでいます。これから会うであろう人のことを思うと、少女はもう踊りだしてしまいそうなほどでした。
少女は軽やかな足取りで森の入り口までたどりつきました。そこにはきっとあの人がいて、私を優しく迎えてくれるはず。少女はそう思いましたが、そこに人影はありませんでした。少女は少しがっかりしましたが、気を取り直してその人を待つことにしました。
草の上に座ると、何とも言えないいい香りがしました。
「あら、かわいいお花ね。……一緒に、あの人を待ちましょう」
その花は怪物の瞳と同じ色でした。でも、少女がそれに気づくことはありませんでした。
『Monster』