鬼の子
私は千本橋京子27歳独身。例のごとくペットのにゃんぱちを肩に乗せて街を歩いている。目的というほどの目的もなく散策中ってとこ。
さて、夕方ごろのこと。歩いているうちに、あまりひとけもない閑静な公園に出た。砂場や遊具がある普通の公園。
ただひとつだけ違ったのは、砂場の端に一人の鬼の子がしゃがんでいるっていうだけ。
鬼。そ、頭から角が生えて牙があって肌の色が赤かったり青かったりなあれ。
この時の鬼の子は青くて一本角だった。私は、いぶかしく思って鬼の子に近づいた。そして、その顔を覗き見る。案の定、その瞳には涙が浮かんでいる。
「どうしたんだろにゃ?」
にゃんぱちが私にささやいた。この猫又も、鬼の子の涙に気がついたんだろう。
「私が分かるわけないでしょうが。サトリじゃあるまいし」
とささやきかえしたあと、私は、鬼の子に向かって、
「ねえ」
と声をかけた。鬼の子はびくっとして顔を上げる。その顔はくりくりとして小動物的なかわいさを持っていた。鬼の大人の多くが異相であるのとは対照的ですらある。もっとも、たまにはこのまま大きくなったようなかわいい鬼の大人もいるけど。
それはさておき、私はこの子に話しかけた。
「えっと、あのさ……なにしてんの?」
「別に……」
鬼の子は下を向いた。私はどうにも諦める気にならなかったので、まだ食い下がった。
「友達は?」
「いない」
「学校は行ってるんでしょ?」
「一応。でも、いない」
「こっちの世界に来たのはパパの出稼ぎかにゃ?」
にゃんぱちがこう言った。そういや、ここ最近、地獄からの出稼ぎで地上に来る鬼の一家が増えてるなんて話を、ニュースで聞いたことがある。この子もそれってわけだ。
「うん」
と、鬼の子はうなずいた。どうやらにゃんぱちの言うとおりだったらしい。
「ねえ、おねーさんと遊ぼうか?」
「おいおい、いくら飢えてるからって子供に手を出すのは犯罪だにゃ」
と、にゃんぱちが言う。
「バカ、そういう意味じゃないわよ」
私はにゃんぱちをぽかりとやった。
「……じゃあ、あれ一緒にやって」
と、鬼の子は、遊具の中にある、箱ブランコを指した。二人とか四人で向かい合って乗る、箱型のブランコである。馬車のような、とでも言った方が分かりがいいかもしれない。
「いいわよ」
私がそう言うと、鬼の子は立ち上がった。手をつないで、箱ブランコまで歩いた。そして、向かい合わせに乗る。
「にゃんぱち、押しな」
「にゃんでぼくが……」
と、ぶつぶつ言いつつも、にゃんぱちはゆさゆさと箱ブランコを揺らし始めた。よしよし、最近物分かりがよくなってきたぞ。
箱ブランコはほどよく揺れ続けた。私自身も童心に帰って、なんだかいい気分になってきた。鬼の子も、心なしか表情が柔らかくなったように見える。
「これ、乗ったことなかったの?」
と、私は聞いた。
「一人で揺らしたことはある。二人だとない」
「そっか」
案の定、な答えである。一緒に乗る相手が、いないのだ。
箱ブランコはしばらく揺れ続けた。が、やがて、止まる。押し役のにゃんぱちがばてたのだ。
「こら。どうしたってのにゃんぱち」
「どう考えても、ぼくのサイズ的に重労働すぎにゃんだよ」
と、にゃんぱちはへたりながら言う。
「……ま、確かに」
猫又と言っても、にゃんぱちのサイズ自体は普通の猫と変わらない。人が四人乗れるような箱ブランコを押すのに向いた体とは言いがたかった。
「分かった、次、私が押すわ」
そう言って、私が箱ブランコから降りた瞬間――。
「こらっ!」
という大音声が、公園中に響き渡った。声の方を見ると、身の丈三メートル近くはあろうかという大きな青鬼が、公園の入り口に仁王立ちしている。
青鬼はづかづかと私たちの方に歩いてきた。そして、私の目の前に止まると、また叫んだ。
「うちの子をどうする気だ?」
どうやら、鬼の子の親であるらしい。まあ、ひと目見た時点で察しはついたけどね。
「遊んでただけですよ」
私は答えた。にゃんぱちもウンウンとうなずく。
青鬼は、息子の方を見た。息子も、もちろん、うなずいた。
「ふん。なら、信じてやる。……帰るぞ」
青鬼がそう言うと、鬼の子は、箱ブランコを降りて、青鬼の元へと駆け寄った。青鬼は我が子をその大きな手で抱き寄せ、子供の片手をしっかとつかむ。
そして、
「「かわいそうな出稼ぎ鬼に施し」でもしたつもりなら大間違いだ。俺らにもプライドがある」
と言って、子供を引きずるようにしながら去っていった。引きずられながら、鬼の子がこちらに小さく手を振ったので、私も小さく振り返した。
「施しかあ……」
私とにゃんぱち以外に誰もいなくなった公園で、私は、空を仰ぎ見ながら言った。
「いい歳して青いことで悩んでるにゃ」
と、にゃんぱちがからかうように言う。
「うっさいわよ」
私はそう言い、立ち上がった。
「なんか複雑な気分だわ。今日は家帰って寝よ」
「一応年長者として言わせてもらうにゃら、そういう時は考えないに限るにゃ。ま、あんたならその気がなくても簡単なことにゃ」
うるさい猫又だ。でも、確かにそうかもしれない。
私は、夜の公園を歩き出した。