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 最初は暗い人間だと思った。後、白いとも思った。

「いっしょにあそぼう」

「あ、まだ、ぼくは」

 声をかけてもしどろもどろの返事をする彼を、一刻も早く遊びたいと思っていた彼女はこらえきれなかったのだろう、結局彼女は彼を置いて遊びに行ってしまった。振り返らなかった彼女は、そのときの少年の顔を見ることは出来なかった。

 幼稚園の年長に上がって、年少以来の同じクラスになった。そのときは年少時代と変わらぬ暗くて、白いやつだと思った。でも暗さも白さもだいぶ無くなって、少年のそばには少女が居た。彼にはその子しか友達がいないように見えたが、彼も、また先生も、とりあえず彼が幼稚園になじめるようになったことに喜び、安心していた。そのことに喜べず、安心できなかったのは彼女だった。

「いっしょにあそぼう」

「ぼくはなるとあそぶからいいよ」

「めぐちゃん、めぐちゃん、めぐちゃんもあそぼ」

 輿石鳴子(こしいしなるこ)は恵の手を握った。暖かくて、気持ちのいい手だった。





「輿石さん。輿石さんのクラスのプリント、一枚足りていないんだが」

「ん、ごめん。一人長期欠席している子がいて。今日取りに行くから、待ってて欲しいな」

 といって、手を合わせて謝る鳴子に、とやかく言うつもりはない。確かインフルエンザとかで、長期欠席しているのは彼女の幼なじみだろう。榊と彼女の幼なじみとは家もそれなりに近いが、榊と彼は家に遊びに行くほどの仲ではない。

「彼は大丈夫なのかい?」

「うん、身体弱いし、長引いてるみたい」

 もう少し外出ればいいのに、とぶつぶつ笑って言う彼女は、幼稚園時代と変わらない。強いて言えば、幼稚園時代の美しい黒髪は、ショートカットではなく、ポニーテールで、もう少し昔より白くなったことか。中学ともなれば、幼稚園や小学校と違って外に出ることも少なくなったし、彼女は部活という部活に入っていない――――俗に言う帰宅部――――ので、体育以外は家と学校を往復するのみしか日差しに当たらないだろう。恵も生徒会に入ったから日差しを浴びる量は少なくなったが、何より徒歩で帰れば30分ほど。電車を使用すればいいのに、と周りから言われることもあるが、たった一駅乗るくらいなら歩いていく。定期券を買うのがばからしいのだ。

「これから帰りかい?」

「ええ。榊さんも、生徒会頑張ってね」

 そう締めくくると、鳴子は手を振りながら下駄箱へ向かった。彼女の歩いた軌跡を黒髪が追っていく。今日から三連休。彼女の笑顔は、いつも通りで恵の心には残らず――――結局思い出せることはなかった。





「こんにちは」

「あ、こんにちは。私、少し心配で。おばさん、お久しぶりです」

「うん。恵ちゃん、久しぶりね。来てくれて本当に嬉しいんだけど、ごめんね。もうちょっと待ってくれる?」

 はい、と答えて立ち去ろうとすると、ぎゅっと、彼の母親は抱きしめてくれた。おしどり暦という小説家として名高い、押川暦は抱きしめながらもごめんなさい、と謝っている。彼女がなぜ謝るのか、恵にはわからなかった。昔はよく会って居た母親だが、そもそも恵と彼との仲が疎遠になった小学生のあたりから、彼女と会うこともほとんど無くなっていた。今こうやって久しぶりに会ってみれば、暦の表情は疲れ切っており、ずいぶん細くなったように見える。抱きしめられていても、温もりはあまり感じられず、冷たかった。ため息も多くなり、若く見えた美しい小説家は死期が迫っているように見えた。

「おばさんも、無理しないでください」

「……。ありがとう、恵ちゃん」

 幼稚園の時と同じ呼び方で暦は呼んでくれる。安心したようにもう一度抱きしめ、彼女は笑った。彼女の笑顔は、いつも通りで恵の心には残らず――――結局思い出せることはなかった。





「久しぶりだな。私のこと、覚えているかい?」

 さんざん揉まれ、砕け散り、抜け落ち、何もかもを無くした彼と会えたのは、それから10年後。彼の傷もようやく癒え、パブリックライブラリーに連れてこい、というゴーサインを出され、その訪問係を申し出た。呼び鈴を何度も鳴らして、2分ほどもかけて扉を開けた彼は、身長も伸び、中学生時代からまともに更新されていない彼の像とはあまり合わなかった。彼は扉を閉めることなく、ただただ恵を見つめるだけだ。何も言わない。久しぶり、という言葉も無かった。

「もしもし?」

「ああ。何か用?」

 玄関から立ち退くことはなく、恵を家に上げずその場で聞いた。彼の中で、まだ私はそんな立ち位置なのか、と恵は心中でがっくりとした。しかしここで強行すると、かたくなになりかねない。ただでさえ彼は強く踏み込まれることに、あのときのことを思い出してしまうかもしれない。あのときの彼の家の周りは、近づくこともやめた方がいいとされるほどに煩く、プライバシーの欠片もなかった。何度かテレビに出ていた彼の目に光はなく、彼の家の周りは彼の発明を非難する紙が貼られていることがあった。近所の人間はそれに見て見ぬふりをして、彼は引きこもる結果となった。

「いや、顔が見たくなっただけだ。元気かな、と」

 そう悪意無く告げると、彼は返事をしなかった。ただ伺うような疑惑の視線が、恵の全身に刺さる。やがてなめ回すように、という語感があうほど視線を動かし、彼はありがとう、といった。

「最近は外に出てるらしいが、見なかったので心配だった」

「そうかい? 君は見てそうだと思ったけど」

「フォレストに直接行く用事はあまりなかったからな、どうして通って居るんだ?」

 彼は高校に行っていない。彼が発明をしたのは13歳。彼は中学二年生で、まだ誕生日を迎えていなかった。恵が卒業式を迎える自分になっても、彼の発明――――というか彼の人体版というメディア――――が話題になっており、彼は普通の中学生のような行動を取ることは出来なかった。どこに行こうとも彼の行動は何かしら影響をし、近所でも注目の的で、彼の姿をそれ以来見ていない。

「彼女が居るんだ」

「彼女?」

「人体版の最初の犠牲者にさせてしまった、なるだよ、輿石鳴子。人体版のサンプルとして、彼女があのフォレストに居るんだ。だから、彼女を連れ戻す」

「……そうか」

 ちゃんとそれから応答できたか知らない。頑張って、の一言くらいは言えただろうか。しかし彼は笑っていた。彼の笑顔は、初めてで恵の心に残り――――結局いつまでも思い出してしまう。





「たのしぃ?」

 語尾が伸び、もうろうとした様子で恵に話しかけた。もつれた舌はまるで子どものような話し方で、恵は思わずクスリとする。

「ああ。嬉しい」

 彼の首元によりかかり、彼をぬいぐるみのように抱きしめる。ただそれだけ。ソファはなかなか大きく、彼の上に乗っかって抱きしめるくらいのスペースはある。彼の両親は売れっ子の小説家だったし、彼自身も莫大な金を稼いだ。この国でも上から数えた方が早い、金持ちだろう。100年以上前からある家は見た目はひどくぼろく、壁も汚れているが中は大きくかなり近代的だ。この土地は数世紀前からあるのだろうが、家は何回もリフォームを重ねてきているらしい。

「ねみぃ」

 眠い、だろう。彼のもつれはひどくなっていたし、声も小さかった。しかしゼロ距離であれば余裕で聞き取れる。まだ寝ないで、と彼にお願いして唇を重ねれば、彼はこくりとうなずいた。実を言うと、このとき浮かれすぎて彼の舌に残るアルコールの味など気づかなかった。キスの時間をすべて数えるとおそらく一分も満たないだろう。そのくらい、バードキスと言っていい位なのに、なぜ唇が腫れたのか――――おそらく彼の身体につけたキスマークが原因だろう。それにしても腫れすぎだが、これは恵の体質だろう。

「楽しいから、嬉しいからもう少し、我慢してくれないか?」

「はぁい」

 彼の首に顔を埋め、顔をすりつけた。首元に恵の化粧がつく。白いシャツは汚れてしまったが彼が気づかないことを祈る。ぎゅっと彼を改めて抱きしめ、もう一度唇をあわせる。最後のキスは、0.5分ほどいただいたかもしれない。

「終わりだ。ありがとう」

「……」

 のぞき込むと、寝ている。それはもう見事に。くかーとねこける彼に恵は何も言わない。とりあえずじゃあ、とばかりにもう一度抱きしめた。

 彼から離れ、身支度を調えるために風呂場に行こうとする。彼を優しくソファに倒せば、気持ちよく寝ているらしくほんのりとした笑顔がある。彼の笑顔は、珍しくて恵の心に残り――――結局いつまでも記憶が彼に残ればいいのに、と思ってしまう。

押し開ける、押開ける:力を入れて,強引に開ける。


http://kotobank.jp/word/%E6%8A%BC%E3%81%97%E9%96%8B%E3%81%91%E3%82%8B%E3%83%BB%E6%8A%BC%E9%96%8B%E3%81%91%E3%82%8B コトバンクさんより

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