押し並ぶ
「おめでとう」
榊恵はにこりとほほえんだ。ある時期から髪を伸ばし、金フレームの眼鏡を赤縁眼鏡に替えた。ともすれば失敗しかねない赤縁眼鏡に替えたのは、ひとえに失恋から吹っ切るためだった。といっても、彼とは恋い慕う仲ではなく片想いがついに終わっただけだが、それでも失恋とは一応言うだろう。自分の次への一歩を踏み出すための区切りだ。
おめでとうといわれたのは、恵よりもずっと年若い、少女といってもおかしくない女性だった。実際彼女は年は恵と同じだが、身体は十歳以上もかけ離れている。恵もまだ若い女性ではあったが、成長途中の彼女とは比べものにならない。
「ありがとう、恵ちゃん。何とか、ね。へへ」
照れながら顔をかく仕草は、昔のものとほとんど変わらない。彼女が彼女であることが、よく分かる。ひねくれることもなく、腐ることもなく、彼女がこうやって存在することは奇跡的、とすら恵は思えた。
「これからも楽しみだ。一介の読者、以上の貢献は出来ないが、ずっと応援しているよ」
本心からそう言うと、彼女は再び笑う。重く、ずしりとしたトロフィーを受け取り、少々よろめいた彼女を思い出すと、恵も思わず笑ってしまう。ほとんど身体を動かすことがなかったせいか、以前よりも身体が華奢な彼女は、未だ人混みを歩くことは止められている。ふらりと気を失うこともある、と聞くと、その判断は至極当然かもしれない。最も、大概は近くに彼がいるだろうし、最悪の展開はないだろうが。
「恵ちゃん、今まで本当にありがとう。これからもずっとずっとよろしくね」
輿石鳴子が手を差し出す。その手を握ると、暖かい感触が伝わる。彼女が人間に戻った瞬間、正直暖かみという点では、本であるときとさほど変わらないと思った。しかしこうやって手をさしのべられて、感謝の言葉を言われ、面と向かって喜んでいる彼女に触ると、全く温かみが違った。
帰ってきた温かさは、彼の凍った心もきっと解きほぐしたのだろう。そう思うと、少女の姿をした女性に愛おしさと、慈しみと、一種の敬愛すら感じた。
「体育祭のトロフィーの方が豪華に見えるな」
剣葉賞を取った証のトロフィーを家に持ち帰ったときの、同棲相手の一言である。体育祭、という言葉からずいぶん離れていたため、一瞬意味が分からなかったが、分かっても意味が分からなかった。
「ちょっと! 全然見た目違うよ」
ぐいっと彼に見せるように差し出す。ツヅリは物珍しそうに遠目で眺め、ぐいぐい押しつけてくるトロフィーを受け取った。触る手はどうにも不器用だ。今にも壊しそうと、思っているのがありありと分かって、おっかなびっくり触っている姿はほほえましい。しばらく色々ひっくり返したり、回したりして、結局図書机の上に置いた。
「おめでとう」
「これからも頑張るよ。ツテがあるから、とか、コネがあるから、とか言っている奴ら、見返してやるんだから」
ぐいっと拳を握りしめる彼女に、ツヅリは頑張ってと適当に手を振る。それは彼女に見とがめられ、ちゃんと応援してくれるの、と詰め寄られた。もちろんツヅリは、応援する気しかないのだが。
「出版は?」
「断った」
「は?」
小説家としてあるまじき発言に、ツヅリは耳を疑った。いや、聞き間違いだろう。剣葉賞を取るほど評価された小説が、まさか出版されないなんて、そんなこと。
「私、まだ短編とかで色々やっていきたいの。長編も書きたいって思うけど、雑誌に連載させてもらう止まりかな、しばらくは」
「そう言われたわけ? 出版社とかから」
「違うよ」
微妙に話が食い違ってきている。ツヅリは頭をかいた。
「あのね、前約束したじゃない。私はね、ツヅリが発明した電子媒体で、本を出版するって。まだ諦めてないんだよ、私」
「……。何言っているわけ? 出版してくれるって言うなら、ありがたくしてもらえばいいじゃないか。わざわざ俺を待たなくとも。そもそもまだ宛ないし」
「何言っているの? 昔から私言っているじゃない。私が小説家になろうとした原点。ツヅリが作った電子媒体で、私は本を出すって。初めて出す作品は、私のにしたいの。……。そもそも、まだ世の中に出すにはいまいちだし」
「またいまいちなの出したのか!」
「ち、違うよ。言葉のあやだよ!」
しばらく舌戦をした後、はぁはぁと彼女は息を吐いた。額に汗がうかぶほど熱論した彼女は、うーと少しだけうなって顔を真っ赤にして叫んだ。
「昔からそう決めてたの! 悪い訳っ?」
感情が高ぶったせいか、目に光るものを浮かべている彼女にこれ以上言うことはなかった。というか、これ以上何か言っても聴かないだろうな、と悟った。そう言うわけで素直にツヅリは引き下がっておく。理解してくれた、と思ったのだろう、鳴子はふふん、と成長途中の胸を張る。
「そう言えば、恵ちゃんイメチェンしたみたいだよ」
「はぁ」
「割と会っているんでしょ。可愛いね!」
いきなり恵のことを話題に出され、顔を浮かべる。そう言えばいつの間にか髪を伸ばしはじめていたらしく、どうもすっきりしているなと思ったら後ろでひとくくりにしているのだから、そこで髪を伸ばしていることに気付いた。
「イメチェンって言うか、髪を伸ばしただけじゃないか?」
「眼鏡も替えてたよ。後ネックレス付けてた。あれはぜーったい、だれかからの贈り物だね」
恵ちゃん可愛いし、何でも似合うからね。送り甲斐あるわよ男は。口調は男っぽいけど、でも仕草はいちいち良い娘で可愛いし、本当に私恵ちゃん良い嫁になると思うのよ。ねえツヅリはどう思う? 恵ちゃんに告られた時はほら、きっと心臓がトゥクンとか言ったでしょ!
と、語られたことを要約するとこれだ。いったいどうして、自分の彼女に、告られたときの感想を言わなきゃいけないのだろうか。しかも大体こういうのは女の方がいやがるパターンであるのに、鳴子が純粋と言うにしてはそれなりに耳年増になっていることはショックである。しかもどうして眼鏡を替えて髪を伸ばしたことで男の話題が出てくるのだ。いや、ネックレスには気付かなかったが。
「別に。俺は君以外眼中にはなかったよ。おかげで彼女にも言われた。昔ばっか見てんじゃない、と」
鳴子の期待に添えられる内容ではなかったが、仕方ない。これが本音なのだ。意図せず言ったことは、しかし肝心の彼女からの返答がなかった。
「なる?」
ぷるぷると震える彼女の顔はたこのように紅い。しかも口元を押さえ、目線を合わせない。鳴子? ともう一度呼びかけると、ひゃぁああ、と奇声を上げた。
ツヅリは原因は自分の発言か、と何気なく言った発言を反芻してみた。すると、意外とずぶりと核心を突くような発言だと思った。彼女が人間に戻って、いろいろなごたごたを抜けてからの同棲は既に二年目だ。
両親も何とか普通に会話するには事足りるくらいには回復――――まだ実生活を送るには要治療――――している上、鳴子の両親が亡くなったことは鳴子は既にとうの昔に知っていたらしい。未だに葬式すら行けなかったことに涙を流すことはあっても、心の折り合いは付けていたらしい。目下の障害はなく、だらだらと生活を続けていた。
「なる。結婚、する?」
「へ。で、でもでも、ほら」
「結婚しようよ、いやじゃなければ」
「いやなんて、とんでもない!」
鳴子は首を振った。何か邪心を振り払うように頭を振り続ける彼女は、きっと睨むように、ツヅリに顔を近づけた。机を一枚通しているのが煩わしい。そう思ったのは自分だけではなかったらしい。ぐるりと回り込むと、ぎゅっと抱きついた。
「嬉しい!」
泣きながら笑う彼女がツヅリの上に飛び乗る。中学生の身体とはいえ、成長中の女子の身体はそれなりに重い。膝に、彼女の膝が入って痛い、とすら思うが、雰囲気を削ぐような発言はしない。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします……!」
彼女の笑顔は昔から変わらない。可愛くて、本当に嬉しそうな顔。その顔を見るのが、一番好きだった。昔から。
「こちらこそ」
彼女を抱きしめれば、彼女の温かみが伝わった。彼女がようやく帰ってきた、そのことに泣きそうになった。
押し並ぶ:①いっしょに並ぶ。並ぶ。
②並ぶようにする。無理に並ばせる。
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これで完結です! ここまで読んでくださってありがとうございました!




