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押し通す

 しばらくいすに座っていたツヅリはゆっくり目を開けた。じりじりとした雰囲気の中、クーラーの冷気がツヅリの肌をなで、寒さに震えた。何かを見据えるような冷たい目をしたツヅリは扉に寄り、足で砕け散ったカップを横に除けた。靴の裏に紅茶が染みつく気配がしたが、気にすることはない。

 扉を開ければ少々寒さが押さえられた廊下に出た。手に握るのは、新調されたブックカード。

 ロビーに出ると、待ちかまえたかのような例の先生や特司書が駆け寄り、すいません、と頭を下げた。しかしツヅリはそれへの応対もそこそこ、にこりと笑って気にしてません、の一言でロビーを抜けた。迎えるのはじりじりとした太陽。時間は午後14時だから暑さもひどくなっている。適当なタクシーを呼び寄せ、家路についた。




 深夜0時を回る夜中、ツヅリはフォレストの前にいた。いつも昼間に通っているフォレストの様子とはひと味違う。これは深夜の学校と同じ原理なのだろう。フォレストはパブリックライブラリーの管轄だ。当たり前だが、警備は通常の図書館のそれより圧倒的に厳しい。地元の図書館の施設は、警備員数人と防犯カメラのみだが、フォレストは倍の警備員、倍の防犯カメラ、入り口を開けることで反応するセキュリティ、どれをとってもやはりパブリックシリーズご自慢の施設の警備にふさわしい。

 ツヅリは入り口に近づくと、持ち出した小型タブレットの端末を差し込む。小さなペンライトを(くわ)え、タブレット端末の電源を付けた。異常なし、と表示されるセキュリティーに入り、ロックをこじ開けた。いかにも簡単そうにやっているが、これは事前に準備した結果である。家にいた時にセキュリティの警備会社を軽くダウンさせているから、今はもっともハッキングが簡単な時分だ。解除しました、と緑の文字が表示され、音も立てずに扉を開けた。今はおそらくセキュリティ会社は異常をただしたころだろう。発明家として撤退してからそれなりにITの分野に手を付けたものの、たかが十年の片手間では専門のハッカーにはとてもじゃないが叶わない。

 侵入すると、いつも明るい光を取り込む天窓は真っ暗で、月の光すらない。確か今日は……、新月かどうかは知らないが、月はおそらく細いのだろう。これがまさか運の分かれ目になるとは思えない、だがもしかしたら――――。頭を振ってフォレストのバリケードを先のようにハッキングした。当たり前だがブックカードリーダーに通した日には、あっという間に家を囲まれ逮捕される。ただでさえもう犯罪者なのだし、犯罪者として逮捕されるのはもう少し後にしてもらいたい。フォレストのバリケードをこじ開け、中にはいると懐かしい本の臭い。古く鼻をくすぐる臭いに少し思いをはせながら、この第一フォレストの最大の宝、もっとも厳重に警備されている第1区画にたどり着いた。第一区画の警備は厳重だが、それはあくまでフォレストが正規に開いている時のセキュリティだ。無理矢理こじ開けている現在、第一区画のセキュリティ一つ、今ならたやすく破れるだろう。タブレットをつなぎ、ロックを解除する。本来ならパスワードを要求されたであろう場面では、セキュリティ会社がまだ完全復旧を果たしていない今、パスワードのついた錠を無理矢理破壊した。開いた。だが、彼の仕事は今日はここで終わりだ。開けた今、中を見てみたい気にはなる。しかし見たら最後、きっとその場を動けなくなる。ツヅリにはそういう確信があった。第一区画セキュリティの端末をつなげているタブレットに、チップを差し込んだ。彼女を本におとしめる最初の一因、バックアップ用チップ。それが今回ばかり活躍することになった。チップに第一区画の情報をすべて書き込む。明らかにされ、暴露されたのはパスワードばかりではなく、その錠のかけ方。チップに情報をすべてつっこみ、後はここから逃げるだけだ。遠くを見ればサイレンの光が見える。時間にしてはまだいける方だ。タブレット端末を懐にしまい込み、第一区画のセキュリティもそのままに入り口に向かった。

 走る、走る。

 入り口に錠をかけるのは面倒だからやめておく。もうここに向かっていると言うことは、ここのセキュリティをこじ開けたのが多かれ早かればれているからだ。第一区画のセキュリティも言うまでもない。入り口を出た瞬間、復旧したセキュリティが反応したのかけたたましいサイレンが鳴り響いた。そういえば電話線を切っていたから、おそらく侵入者を感知したのはこれが最初で最後だろう。職員が来る前にツヅリはフォレストを脱出した。





「押川ツヅリ様、ですね。どうぞ」

 頭を下げたフォレストの司書の横を抜け、適当な本を借りる。最後のフォレストを出される前の基本的な行動を起こした。記憶の限りに残る、だが。何より不信感むき出しの司書たちの前で、第一区画に行けば今度は問答無用で出禁になるだろう。暫くは無理だな、とふと彼女を思い出して新春文藝を借りた。珍しい本の貸し出しに、司書は少し驚いたようだがそれ以上は何もせず。はんこを押して貸し出しの許可をパソコンに打ち込んだ。

「後、これも」

 出したのは最近発売された『科学論文』のバックナンバーの中でもっとも新しいものだ。貸し出し可になった、と宣伝されていたのでつられて、だ。こちらは割と借りた回数が多かったので、機械のように素早く貸し出し許可した。本を二冊抱えたまま外に出たツヅリは、そこでまた会いたくない人間にあった。ジャケットにキュロットスカート姿の恵は、ツヅリに会っても殊更表情は動かさなかった。が、彼が借りた書籍を見て、少し微笑む。

「珍しいな、君が『科学論文』なんて」

「割と借りている。戻りたいわけではないけど」

「昔から読んでいたな、そういうのを」

「ああ」

 確かに小学校高学年のころからは読んでいた。なぜそれを彼女が知っているのか、という疑問はあったが、彼女のことだ。見かけた程度でも記憶に残ったのだろう。

「新春文藝? それは珍しいな」

「ああ。お前のことで彼女を思い出してね」

 ぐっと胸に押さえ込むと、恵はああ、と思い当たったような声を出した。恵も彼女とは幼なじみだったし、彼女は小説家になる、と公言していたのは有名だから、恵も知っているのだろう。おまけに中学生だったころは恵と彼女は委員長として交流もあったようだ。

「そういえば……。あ、いや、何でもない」

 何か言いかけた恵は黙り込んだ。沈黙する結論に至った恵に、ツヅリはこれ以上話す気はない。ある程度頭が冷えたころだが、また何か苛立たせるようなことを言ったら本を投げかねない。まだ読んでいないのだ、本が傷む。

「じゃあな」

「君も気をつけて」

 恵は友人のような気軽さでツヅリに答えた。ツヅリはその場を逃れるための捨て台詞のつもりだったのだが、それに気づきながら律儀に答えた彼女は皮肉たっぷりで。また怒りが再燃しそうになった。

押し通す:(考え方や態度などを)最後まで変えずに貫く。


http://kotobank.jp/word/%E6%8A%BC%E3%81%97%E9%80%9A%E3%81%99%E3%83%BB%E6%8A%BC%E9%80%9A%E3%81%99 コトバンクさんより

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