押開ける3
「中学校入学、おめでとう」
「え、ああうん。別に、大したことないじゃないか。普通に暮らしていればさ」
ツヅリは差し出されたポチ袋に眉根を寄せた。思わず受け取ってしまったが、受け取る資格はないのに。ツヅリはポチ袋を母に押し返そうとしたが、母はニコニコ微笑むばかりでそれを拒否する。
「良いの。ただ何となくよ。受け取りなさい」
握り込ませるようにツヅリの手の中に押さえつける。母親に直接さわられる気恥ずかしさに、ツヅリはお礼もそこそこに部屋に逃げ込んだ。そこで改めてポチ袋を開いた。お札は入っていなかった。小銭も。がさがさと乱暴に開けると、机にこつんと落ちたのは小さなチップだった。
「ん、これ?」
何だぁ、と電灯に照らしたが、殊更特殊なところは見受けられない。携帯電話を引っ張り寄せ、カード口に差し込んだ。かちりと音がしたのを確認し、起動させる。が、画面に表示されたのは、データがありません、の一言だった。
「ん。ん……」
よくわからないな、そういう結論に落ち、手近な手机を開け放り込んだ。
「ねぇ。今日プリント」
「お、うん」
「ちょっと、起きてて大丈夫なの?」
「はぁ?」
インフルエンザのことを指された、って気づいたのは熱を測るためか、額に触られた時だ。彼女の手は予想以上に冷たくて、それを避けるよう頭を動かした。むぅとやはり頬をふくらませた彼女は、そうだ、と鞄からクリップで留められた紙の束を出した。それが彼女の書いた小説だと気づかない振りをするにしては、それを見る機会が多すぎた。
「また小説?」
「それより、大丈夫なの? インフルエンザ」
「大丈夫大丈夫」
頭を振って、鳴子の手を逃れた。インフルエンザはもう6日目だ。大概もう治りかけだ。ちょっとだるさはあっても、インフルエンザの最大の特徴、頭痛と冷え、熱さはなくなっている。ツヅリは小説に手を伸ばし、取り上げた。その動きに鳴子は驚いたようで、ちょっと、と目くじらを立てた。
「まだ危ないでしょ、今読まなくても」
「おめでとう、佳作」
「え?」
雑誌ホルダーから一冊取りだし、寄越して見せた。タイトルは『新春文藝』。小説家の卵たちの登竜門とも言うべき、新人賞の応募の最大手である。彼女はその応募の佳作賞として、短編が載せられていたのだ。
「え、やだぁ。見てたの? ちょっと恥ずかしいなぁ」
くすぐったげに頬をかく鳴子は、紅葉のように真っ赤だ。指を重ね、新春文藝をのぞき込んだ彼女は、いつも以上の笑顔だ。そう、素敵な。彼女の夢は小説家。そして彼女の小説が本になることは、小説家になりたい彼女の一番の夢なのではないか。
「なあ、昔、小説を出すのが夢って言ってたよな」
「え?」
「今いろいろ試している時なんだ。これもらったし」
手机から、一年ぶりのチップを取り出した。少しほこりを被っているが、食べ物でもないので変化は昔見たものと変化はない。それを彼女の手に乗せると、彼女はそれを一度握り、首をかしげた。彼女も彼と同じように電灯にかざし、しかし特徴のないそれに眼前に戻した。
「これ、何?」
「それは俺の母さんが、入学祝いにくれたものなんだ。それに小説を入れてみようかなって」
「中に何か入って居るんじゃ?」
「確認したけど、何も無かったんだ」
パソコンを立ち上げ、カードを差し込む。彼女の佳作を取った小説をキーボードの横に置いた。立ち上げている最中に、彼女のページまでめくる。彼女のためにいすを用意し、座らせた後、チップのファイルを開いた。やはり中身はなく、それを見せる。
「おばさん何で、これをくれたの?」
「さあ」
チップの内容に、彼女の小説を書き写す。多少の誤字はあれど、原稿用紙数十枚分の小説は30分ほどで写し終えた。一度本体に保存した後、チップに写す。
写し終えたが、鳴子の様子がどうもおかしい。妙にそわそわした彼女に声をかけると、顔を少し赤らめ声を出した。
「ねえ小説」
指さした先は、本体に保存されたファイルだ。彼女が何を言いたいのかわからず、尋ねると彼女は恥ずかしそうに答えた。
「まだそれ、まだまだだからあまり、保存されて欲しくないんだけど」
「まだまだなの、提出したのかよ」
「う、そ、そうだけどさ。心の問題よ!」
「へぇ」
鳴子があまりにも煩いので、しょうがないので目の前で消してやる。ようやく安心したように胸をなで下ろした鳴子は、チップを眺めた。しゅるんと指を動かすと、チップ上に詳細が映し出される。空中に浮かんだ緑の文字は、中身はありません、とただ一言が光っている。しばらくフォルダを探していた鳴子だが、結局何も探し出せなかったようだ。
「何も入れていないんだね」
「まぁ、よくわからなくて。使って無かったんだ」
「ふぅん」
鳴子はチップの中を探る。やっぱりわからない、とツヅリに投げ、新春文藝の掲載作品を見る。ツヅリは適当に上がったり下がったりを繰り返し、……結局何をしたのかわからない。おそらくロックを外して、上がって、壊して、作ってを繰り返した矢先だ。出来上がった、ツヅリがそう思わずに作り上げてしまったそのチップと、絶妙なタイミングでの鳴子の一言。
「それ、私に埋めてみて」
「なんで」
「小説を媒体なしに読むことが出来るかもしれないじゃない!」
意味がわからないと頭を振ると、ものすごい様子で食いついてくる。曰く、チップは電子媒体に入れないと、電子書籍を読むことが出来ない。電子書籍の媒体の電源が切れたり、持ち歩いたりしなくても、自分の身に読みたい書籍のチップがあれば読むことが出来るんじゃないのか。人の身体にチップを埋め込めば、チップは人の身体を媒体にして本を読めるんじゃないか。医療分野ならある話だ。心臓の不整脈を整えてあげたり。しかし電子書籍関係は。
「そんなこと、聞いたことないが」
「やってみよ!」
そう彼女はチップをなめる。壊れるだろ、と口に出す前に彼女の動きが止まる。口にチップを入れたまま、彼女は動かなくなった。先の言葉が、彼女の最後の言葉となった。
例のチップはパソコンバックアップ用のものらしい。母は電子書籍のチップとそれを間違えて渡したそうだ。そのことに怒るつもりはないし、そもそもあれは事故だ。億分の奇跡と最悪を積み重ねて起こってしまった事件。彼女は舌にけがをしていた。その傷口にチップが触れたとたん、彼女に関する一切がチップに吸収され、彼女をまるで電子書籍のように、いつでも過去を振り返られるような本、別名アルバムを作り上げたのだ。あの舌にへばりついた、忌まわしいチップが。人間としての反応を無くした彼女を抱え右往左往し、父に母に助けを求めた。父も母も発明家ではなく、父が警察に連絡をし、何かのルートを経て行き着いたのは、パブリックサイエンスとライブラリーだった。
一人の本として出来上がったその結果を海外に発表し、彼女の今までの人生を殺す変わりに一世一代の大発明として、国を挙げて取り上げたのだ。彼の発明家としての名前は永劫残り続ける。彼が作ったものを、国が作ったと偽ることは出来ない。ある意味丁重である意味融通の利かない、法治国家の国は彼女を発明品として扱った瞬間から、法治国家として名乗ることを禁止されたのだ。
人体版の本は今は人間の尊厳を守り、明確な死を迎えない方法として需要があり続ける。人体は腐ることなく永劫に残り続けても、それを望んだ親族が絶えた際、人体版はどう処理をしなければならないのか、最初の事故被害者であり最初の人体版である輿石鳴子のような被害者を人間に戻すためにはどうすればいいか、実用化するための試験があまりにも少ないことは、もみ消されている。
輿石鳴子の両親は、彼女が本になったその瞬間、最悪の偶然か最高の偶然か、唐突な病死を遂げている。




