第7話 記録の鎖
足元に浮かび上がった円陣は、魔法陣というより“書式”だった。
幾何学模様の間を、文字列が巡っている。古い言語。見たことのない記号。だが直感でわかる。
あれは拘束だ。
「逃げて」
白い外套の少女が、もう一度囁く。
黒外套――記録院の執行官は、淡々と告げる。
「対象は因果改変能力者。干渉規模、街道事件にて中程度。累積値、危険域」
円陣が拡張する。
広場の石畳に、見えないはずの文字が刻まれていく。
周囲の人間は気づかない。
だが俺の結晶が、激しく震える。
「俺は、守っただけだ」
言葉が、乾く。
「記録に干渉した」
執行官は一歩踏み出す。
「死者数を改変。事象規模を縮小。因果の連鎖を削除」
正確だ。
正確すぎる。
「それの何が悪い」
「歴史は保存されるべきだ」
即答。
「苦痛も、死も、選択も。すべてが記録だ」
少女が俺の袖を強く引く。
「アルド、あれは“固定”する」
「固定?」
「あなたを、事象に縫い止める」
縫い止める。
削ることも、動くこともできなくなる。
円陣の光が強まる。
俺は結晶に触れる。
ひびは限界に近い。
ここで削れば、代償は大きい。
だが。
「対象、拘束」
文字列が鎖のように伸びる。
空間が歪む。
俺の足元に、透明な枠がはまる。
動けない。
体ではない。
“存在”が固定される感覚。
息が詰まる。
削れない。
削れば、さらに薄くなる。
「あなたは危険だ」
執行官が淡々と告げる。
「世界の整合性を侵す」
少女が叫ぶ。
「違う!」
執行官の視線が、わずかに少女へ向く。
「未登録因子を確認」
少女は唇を噛む。
俺を見る。
「削って」
小さな声。
「今は、生きて」
生きる。
そのために、削る。
皮肉だ。
俺は目を閉じる。
街道の御者。
ガルド。
フィーナ。
消えた声。
守りたかった。
今も、守りたい。
ならば。
――固定を、なかったことに。
結晶が、悲鳴を上げる。
ひびが、光を漏らす。
円陣が、揺らぐ。
文字列が乱れる。
執行官が、初めて声を強めた。
「干渉を確認。抑制値上昇」
鎖が締まる。
意識が白くなる。
削れば削るほど、俺は薄くなる。
だが。
少女の手が、俺の手を握る。
温かい。
「あなたは、消えない」
その言葉に、何かが噛み合う。
削る対象を、変える。
拘束そのものではない。
拘束が“成功した未来”を。
結果を。
――成功を、なかったことに。
結晶が砕ける音。
視界が反転する。
円陣が消える。
鎖が霧散する。
執行官が一歩後退する。
「……干渉失敗」
仮面の奥の視線が、鋭くなる。
「対象の危険度を再評価」
広場の喧騒は続いている。
誰も気づかない。
だが、俺の膝が崩れた。
少女が支える。
「大丈夫?」
「……まだ」
指先が、透ける。
はっきりと。
少女の目が揺れる。
「削りすぎ」
「仕方ない」
立ち上がる。
執行官は動かない。
だが、撤退もしない。
「本件は記録する」
冷たい声。
「上位執行官へ報告」
その言葉は、宣告だった。
俺は理解する。
これは終わりではない。
始まりだ。
記録院。
歴史を保存する者。
削る俺とは、対極。
「次は、拘束では済まない」
執行官はそう言い残し、円陣と共に消えた。
広場に、何事もなかった空気が戻る。
俺は深く息を吐く。
胸の結晶は、ほとんど原形を保っていない。
少女が見上げる。
「あなた、無茶する」
「そうか」
「でも」
彼女は、わずかに笑う。
「あなたは、まだここにいる」
俺は自分の手を見る。
透けている。
だが、確かにある。
「お前は」
問いかける。
「誰だ」
少女は少し考え、答える。
「まだ、名はない」
昨日と同じ。
「でも、あなたが呼べば、それになる」
奇妙な言葉。
だが、嘘ではない気がした。
遠くで鐘が鳴る。
昼を告げる音。
世界は、変わらない顔をしている。
だが。
俺は、もう理解している。
削る者は、観測される。
救うたびに。
世界の外側が、こちらを向く。
守ることが、弱さになるなら。
削ることは、戦いになる。
俺は空を見上げる。
星は見えない。
だが、どこかで。
記録されている気がした。




