第4話 守ることが、弱さになるなら
街門を抜けると、喧騒は嘘のように遠ざかった。
石畳はやがて土道に変わり、左右には畑が広がる。朝露が陽に照らされ、静かな光を放っていた。
平和だ。
俺が守ろうとしたものは、確かにここにある。
だが。
「……アルド?」
先ほどの、フィーナの声が頭から離れない。
あの困惑は演技ではなかった。
ガルドの「誰だ?」も。
忘れられるには、早すぎる。
削ったのは、昨日の死。
それだけのはずだ。
なのに。
胸の奥の結晶に、細かな亀裂が走っている。光は、昨日よりも弱い。
――削る対象は、結果だけではない。
結果に繋がる“因果”も削る。
死を消せば、その死に至る緊張も、選択も、記憶も、わずかに薄れる。
それが積み重なれば。
俺という存在が、彼らの物語から不要になる。
不要な因子は、整理される。
世界は、そうできている。
足を止める。
振り返る。
街はもう、遠い。
戻る理由はない。
彼らは、自分たちのやり方で強くなると言った。
俺は、俺のやり方で生きるだけだ。
そう決めたはずなのに。
胸の奥が、わずかに痛む。
痛みは、消さない。
消せば、何かが壊れる気がする。
俺は歩き続ける。
昼を過ぎ、街道は森へと入った。
木々の間を抜ける風が、ひやりと冷たい。遠くで鳥が騒ぎ立てている。
嫌な気配。
足を止め、耳を澄ます。
次の瞬間、悲鳴が響いた。
「助けてくれ!」
森の奥からだ。
駆け出す。
枝を払い、茂みを抜ける。
視界が開けた。
小さな荷馬車が横転している。馬は倒れ、御者が地面に転がっていた。
その周囲を、黒い影が取り囲んでいる。
魔狼。
本来なら群れで狩る魔物だが、数が多い。十……いや、それ以上。
御者の腕は噛み裂かれ、血が流れている。
致命傷ではない。
だが、この数だ。
援軍がなければ、数分で終わる。
俺は一歩、踏み出す。
戦闘は不得手だ。
だが、守ることはできる。
魔狼が一斉に飛びかかる。
御者が目を閉じる。
俺は、詠唱する。
――遡れ。
空気が歪む。
飛びかかった魔狼の軌道が、わずかにずれる。
牙が、数センチだけ外れる。
御者の喉を裂くはずだった一撃は、肩を掠めるに留まる。
だが数が多い。
一頭が馬に噛みつく。
骨が砕ける音。
俺は奥歯を噛みしめる。
ここで削れば。
群れそのものを、小規模な遭遇にできる。
十数頭の襲撃を、二、三頭の徘徊へ。
代償は重い。
だが。
御者は震えながら、俺を見た。
「頼む……」
その目は、生きたいと訴えている。
俺は結晶に触れる。
ひびが、さらに広がる。
――起きなかったことに。
世界が、息を吐く。
風が逆流する。
魔狼の数が、減る。
十数頭の影が、霧のように薄れ、三頭だけが残る。
御者の裂けた腕が、滑らかに戻る。
倒れていた馬も、息を吹き返す。
残った三頭は、怯えたように森へ逃げた。
静寂。
御者は目を見開く。
「……助かった?」
自分の腕を見つめる。
「傷が……ない?」
俺は息を整える。
「魔狼は三頭だけだった」
そう告げる。
それが、今の現実だ。
「そう……か? いや、もっと……」
彼は首を振る。
「いや、勘違いだな。三頭で十分怖い」
立ち上がり、俺に深々と頭を下げる。
「ありがとう、旅のヒーラーさん」
ヒーラー。
それだけだ。
名を問われない。
俺は頷くだけで、背を向ける。
数歩、歩く。
背後から声が飛ぶ。
「あんた、名前は?」
足が止まる。
一瞬、迷う。
答えれば。
また、何かが削れるかもしれない。
だが。
「アルド」
そう告げる。
「アルドさんか! 覚えておくよ!」
御者は笑う。
森を抜ける。
夕暮れが近い。
胸の結晶は、さらにひび割れている。
指先が、わずかに透けて見えた気がした。
瞬きをする。
戻っている。
気のせいだ。
……気のせいであってほしい。
遠くに、次の町の灯りが見えた。
俺は歩く。
守ることが、弱さになるなら。
俺は、弱いままでいい。
だが。
弱さが、存在を削るのなら。
俺は、いつまでここにいられるのだろう。




