第3話 お前は必要だが、いらない
その夜、祝宴は続いていた。
だが、昼間の熱はどこか冷めている。
俺はギルド本部の裏口から外へ出た。石畳はまだ昼の熱を残しているが、空気は静かだ。喧騒が壁一枚向こうにあるはずなのに、やけに遠く感じる。
「アルド」
背後から呼ばれた。
振り向くと、ガルドが立っている。酒は入っていない顔だ。真剣な目。
「少し、話せるか」
俺は頷く。
裏庭の隅、古い訓練用の木人形の前で足を止める。月明かりが、彼の横顔を白く照らした。
「昼間の話の続きだ」
彼は腕を組み、地面を見つめる。
「俺は、怖いと言ったな」
「ああ」
「……あれは、半分本音で、半分は言い訳だ」
言い訳。
その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。
「お前がいると、俺は安心する」
ガルドは続けた。
「安心して、無茶ができる。死ぬかもしれない場面でも、どこかで『アルドがいる』と思っている」
それは事実だ。
俺がいる限り、致命傷は致命傷にならない。
「それが、情けない」
低い声。
「Sランクになるってのは、国に命を預けられるってことだ。俺は、その覚悟で剣を握ってるつもりだった」
彼は拳を握りしめる。
「だが、実際はどうだ。お前が後ろにいるから、俺は死なない。死なない前提で、戦っている」
俺は静かに答える。
「それの何が悪い」
「覚悟が、嘘になる」
即答だった。
月明かりの下で、彼の目は揺れている。
「俺は、死ぬ覚悟で戦いたい。死なない保証がある状態で振るう剣は、本物じゃない」
それは、彼の矜持だ。
否定する気はない。
「……だから」
彼は一度、深く息を吸う。
「お前に抜けてほしい」
言葉は、重く落ちた。
「俺たちは、お前に頼りすぎている」
沈黙。
夜虫の声だけが響く。
「必要ない、とは言わない」
ガルドは視線を上げる。
「むしろ逆だ。お前は必要だ。いなければ困る」
だが、と彼は続ける。
「今の俺たちには、いらない」
必要だが、いらない。
昼間よりも、はっきりと告げられる。
「強くなりたい」
彼は言う。
「自分の力で、生き延びたい」
その願いは、真っ直ぐだ。
俺は目を閉じる。
守りたかった。
それだけだ。
死なせたくなかった。
それだけだ。
「……俺がいれば、死なない」
俺は言う。
「ああ」
「だが、死なないことが弱さになるなら」
言葉を選ぶ。
「俺は、弱さの側でいい」
ガルドの瞳が、わずかに揺れた。
「怒らないのか」
「怒る理由がない」
本心だ。
彼は、自分の誇りを守ろうとしている。
それを否定する資格は、俺にはない。
ただ。
胸の奥に、ひびが入るような感覚があった。
俺は、彼らの選択を削っていたのかもしれない。
死ぬかもしれない、という重みを。
恐怖を。
覚悟を。
「フィーナたちにも、話は通してある」
ガルドが言う。
「みんな同じ考えだ」
その言葉は、思ったよりも痛い。
フィーナの顔が脳裏に浮かぶ。
笑顔。
軽口。
昨日の焚き火。
「明日の朝、正式にギルドへ届ける」
「わかった」
俺は頷いた。
ガルドは驚いた顔をする。
「……本当にいいのか」
「お前が決めたことだ」
しばらく、互いに言葉がなかった。
やがて彼は、低く言う。
「アルド」
「なんだ」
「昨日、俺は死んだのか」
やはり、その問いに戻る。
彼の中で、何かが引っかかっている。
俺は少しだけ、考える。
真実を告げれば、彼の決意は揺らぐかもしれない。
だが。
「死んでいない」
それは事実だ。
死という結果は、この世界に存在しない。
削ったから。
ガルドは、ほっとしたように笑った。
「そうか。なら、いい」
いいのか。
本当に。
彼は踵を返す。
数歩進んだところで、足を止めた。
「……ありがとうな」
振り向かずに、そう言った。
何に対する礼かは、わからない。
守ったことか。
身を引くことか。
どちらでもいい。
俺は一人、裏庭に残った。
夜風が、ひやりと頬を撫でる。
ふと、窓ガラスに映る自分の姿を見る。
輪郭が、わずかに滲んだ気がした。
瞬きをする。
戻っている。
気のせいだ。
きっと、疲れているだけだ。
胸の奥の結晶が、微かに軋む。
――削るたびに。
何かが、欠ける。
それが世界なのか。
それとも。
翌朝、俺は荷をまとめた。
大した荷物はない。
支援職の装備は、軽い。
ギルド本部の前で、ガルドたちが待っていた。
フィーナが、無理に笑う。
「アルド、元気でな」
「ああ」
「たまには顔出せよ」
「機会があれば」
言葉が、少しだけ遠い。
ガルドが手を差し出す。
握る。
力強い。
「俺たちは、俺たちのやり方で強くなる」
「そうか」
「お前も、お前のやり方でやれ」
それが、別れだった。
門をくぐる。
街道へ出る。
背後からの視線を感じる。
振り向かない。
振り向けば、何かが揺らぐ気がした。
数歩、進む。
不意に、背後から声が届いた。
「……アルド?」
フィーナの声だ。
足が止まる。
「お前、どこへ行くんだっけ?」
振り向く。
彼女は首を傾げている。
「……?」
ガルドも、怪訝な顔をする。
「アルド? 誰だ?」
その言葉は、冗談ではなかった。
空気が、凍る。
胸の奥の結晶が、ひび割れる音がした。
削ったのは。
昨日の死だけではない。
俺と、彼らの時間も。
俺は、笑う。
「気のせいだ」
そう言って、歩き出す。
背後から、もう声はかからなかった。
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