第23話 揺れる観測者
朝の光が、瓦礫の縁を白く照らしている。
未記録層から戻った直後とは思えないほど、世界は静かだった。
だが。
静けさは、嵐の前触れだ。
俺はゆっくりと立ち上がる。
胸の奥の冷たさは、以前より広がっている。
削ったものではない。
均したもの。
分配した未記録の粒子が、内側に薄く沈んでいる。
「……存在安定度、低下」
低い声。
振り向くと、空間が歪んでいた。
リゼが現れる。
外套を翻し、広場を一瞥する。
消えた建物。
消えた執行官。
消えた老人。
そして、戻った俺。
「報告と齟齬が発生している」
淡々と告げる。
「あなたは二度、未記録層へ落下した」
「数えてるのか」
「記録するのが仕事」
だが、その視線は以前よりも硬い。
観測者の目ではない。
判断者の目だ。
グレイスが口を開く。
「統合体は分解。侵食は鈍化」
「確認済み」
リゼの瞳が俺を射抜く。
「あなたは何をした」
「均した」
「具体的に」
「堆積を分配した」
一瞬、沈黙。
リゼの瞳がわずかに揺れる。
「未記録層の粒子を、一点集中させない?」
「界喰いの成長を鈍らせた」
リゼはゆっくりと息を吐く。
「……理論上は可能」
「理論?」
「実行例は存在しない」
初めてだと言う。
観測外。
前例外。
それは、記録院にとって危険だ。
だが同時に、希望でもある。
「界喰いは」
リゼが続ける。
「削られた堆積の集合意識と推定される」
俺を見る。
「あなたの削除履歴は、触媒になった」
「否定しない」
重い事実だ。
リゼは少しだけ視線を下げる。
そして。
「排除命令は再検討対象」
言い切る。
グレイスが目を見開く。
「上位の許可が」
「私が責任を持つ」
静かながら、断定的。
観測者が、一線を越えた。
「あなたは侵食因子ではない」
リゼが俺に告げる。
「だが、均衡の変数」
「便利な言い方だな」
「危険であることに変わりはない」
冷静だ。
だが敵意は薄い。
「界喰い本体は、あなたに興味を持っている」
「わかっている」
「接触はあったか」
「対話した」
その瞬間。
空気が変わる。
グレイスが剣に手をかける。
リゼの瞳が鋭くなる。
「何を聞いた」
「削る世界が、自分を生んだと」
静寂。
重い言葉だ。
リゼが小さく呟く。
「予測通り」
「予測してたのか」
「仮説だ」
界喰いは偶発的な災害ではない。
世界構造の副産物。
「記録院は」
俺は問う。
「削ってきたのか」
リゼは沈黙する。
答えないことが答えだ。
「隠蔽」
グレイスが低く言う。
「戦争の失敗。封印された疫病。抹消された研究」
それらが、未記録層へ落ちた。
界喰いの糧。
「だから」
俺は言う。
「削るな、って言われても無理だ」
守るために削る。
隠すために削る。
都合よく削る。
どれも違う。
「均衡を保て」
未記録層の影の言葉が蘇る。
リゼが静かに告げる。
「あなたは境界干渉者」
「それで」
「私たちは観測者」
わずかな間。
彼女は続ける。
「だが、観測だけでは守れない」
初めての認め。
グレイスが驚く。
「リゼ」
「記録院は敗北した」
事実。
「次は協力が必要」
はっきり言った。
敵対から、共同へ。
「あなたの再編能力を前提に、対界喰い戦術を再構築する」
「実験か」
「共同研究」
言い換えただけだ。
だが。
今はそれでいい。
ミアが小さく言う。
「でも、削る未来、また来る」
全員が黙る。
次の侵食は、より大きい。
界喰い本体が、地上へ干渉を強めている。
遠くの空が、わずかに歪む。
雲の一部が、消えかける。
予兆。
リゼが告げる。
「七日以内に大規模侵食が発生する確率、六割超」
「ずいぶん具体的だな」
「観測結果」
冷たいが、正確だ。
七日。
猶予は短い。
「準備する」
俺は言う。
削らない。
喰わせない。
均す。
そのために。
リゼが頷く。
「境界干渉者アルド」
正式に呼ぶ。
「次は、世界規模だ」
静かに、しかし確実に。
物語は個人の町から、世界へ広がる。
均衡は、薄氷の上。
七日後。
本体が、来る。
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