第21話 均衡の代償
朝日が、瓦礫を照らしている。
夜の侵食は止まった。
だが、消えた老人は戻らない。
人々の間に、恐怖が広がっていた。
「見たか?」
「人が……消えた」
今度は、誰も否定できない。
削られたのではない。
喰われた。
その事実が、町に刻まれた。
俺は広場の端に座り込んでいた。
膝に手を置き、俯く。
胸の奥が、重い。
抱えた粒子とは違う。
後悔だ。
迷いの結果。
削らなかった一瞬。
「アルド」
ミアが隣に座る。
「あなたは迷った」
「……ああ」
「迷いは悪くない」
「だが死んだ」
それが事実だ。
ミアは何も言わない。
ただ、俺の袖を握る。
グレイスが歩み寄る。
表情は硬い。
「町の被害、死者一名。建造物欠損多数」
冷静な報告。
だが声は、わずかに低い。
「侵食は止まっていない」
遠くの家屋の角が、また薄く揺らぐ。
波のように。
「統合体は未形成だが、残滓が自律的に動いている」
「……どうすれば止まる」
俺の問いに、グレイスは答えない。
代わりに、空を見上げる。
「上位判断が遅い」
苛立ちが混じる。
「界喰い本体は、未記録層から直接干渉している可能性が高い」
本体。
あの影。
未記録層で触れた気配。
俺は目を閉じる。
冷たい余白に意識を向ける。
均衡を忘れるな。
だが、均衡は抽象だ。
目の前の死は具体だ。
「……削る」
口に出していた。
ミアが息を呑む。
「アルド」
「この侵食の“始点”を削る」
「始点は未記録層だ」
グレイスが即座に言う。
「そこへ干渉すれば、あなたは戻れない可能性がある」
「かまわない」
即答だった。
迷いの結果が死なら。
迷わない。
削る。
それが罪でも。
抱えきれなくても。
俺は立ち上がる。
胸の奥の余白を開く。
未記録層への接続。
町全体を覆う侵食の根。
それは、世界の裏面に繋がっている。
界喰いの影が、こちらを見ている。
遠く。
笑っている。
削れば、餌になる。
だが。
削らなければ、増える。
俺は、決断する。
侵食の“未来”を削る。
この町が、三日後に消える未来。
それを。
なかったことにする。
結晶の残滓が、最後の光を放つ。
世界が、軋む。
空が、割れる。
町の輪郭が一瞬、薄れる。
侵食の波が、止まる。
欠けかけた家屋が、安定する。
人々のざわめきが止む。
成功した。
だが。
胸が、空洞になる。
未記録層の冷たさが、一気に流れ込む。
視界が白く染まる。
「アルド!」
ミアの叫び。
俺の足元が消える。
地面が、透ける。
体が、崩れる。
削りすぎた。
未来規模の削除。
代償が、限界を超える。
グレイスが駆け寄る。
「馬鹿か!」
その声は、怒りだ。
「均衡を崩す!」
未記録層の裂け目が開く。
今度は自発的ではない。
吸い込まれる。
俺の存在が。
削った未来の残滓が。
町の空気が震える。
空が歪む。
界喰いの影が、歓喜する。
――削ったね。
声が響く。
――もっと落ちて。
俺は、落ちる。
ミアの手が、必死に掴む。
だが、触れられない。
存在が、霧になる。
グレイスが剣を地に突き立てる。
固定陣が展開する。
未記録層の裂け目を、縫い止める。
「戻れ!」
命令。
だが、俺は応えられない。
視界が、完全に白に染まる。
音が消える。
最後に見えたのは。
ミアの涙。
そして。
界喰いの、満足そうな笑み。
均衡を忘れるな。
その言葉が、遠くで反響する。
俺は。
また、境界に落ちる。
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