第2話 貫かれたはずの心臓
祝賀は、昼を過ぎても続いた。
広場の中央に魔竜の角が掲げられ、人々はそれを英雄譚の証として眺めている。子供たちは木剣を振り回し、商人は「魔竜討伐記念」と銘打った菓子を売り始めていた。
世界は、穏やかだ。
穏やかすぎる。
「アルド、浮かない顔してるな」
不意に声をかけられ、振り向く。ガルドだった。鎧は新しい布で応急処置され、傷は跡形もない。
完璧に、ない。
「疲れているだけだ」
「はは、珍しいな。お前が弱音か?」
彼は俺の肩を軽く叩いた。
その動作は、いつも通りだ。だが、わずかな違和感がある。
距離が、ほんの少し遠い。
「なあ、アルド」
ガルドは周囲を見回し、声を潜めた。
「俺、昨日さ」
「……ああ」
「本当に、無傷だったのか?」
その問いに、俺は答えなかった。
代わりに問う。
「どういう意味だ」
「いや……変な夢を見た気がしてな」
彼は胸元に手を当てる。
「ここを、貫かれた夢だ。冷たくて、息ができなくて、地面が遠くて……」
そこで言葉を切り、首を振る。
「でも、夢だ。傷なんてなかったしな」
彼は笑う。
だがその笑みは、昨夜よりも薄い。
俺は視線を落とす。
夢ではない。
確かに、貫かれた。
竜の尾が不規則に振り抜かれ、鎧ごと心臓を抉った。骨が砕ける音を、俺は聞いた。
だから、削った。
結果を。
死という終点を。
「アルド」
ガルドがもう一度呼ぶ。
「お前、何かしてないよな?」
その言葉は、冗談のようで、冗談ではなかった。
「している」
俺は正直に答える。
「回復を」
「いや、そうじゃなくて……なんというか、もっと」
言葉を探して、彼は眉を寄せる。
「戦いの“中身”を、いじってないか?」
風が止んだ気がした。
広場の喧騒が、遠くなる。
「いじる?」
「わからん。ただな、俺たち……最近、強すぎないか?」
ガルドは真顔だった。
「危機感が、薄いんだ。死ぬかもしれないっていう、あの感覚が」
それは、俺が消している。
死の記憶も、絶望の重さも。
削れば削るほど、世界は滑らかになる。
「それは、悪いことか」
俺は問い返す。
ガルドはすぐには答えない。
「……わからん」
やがて、そう言った。
「わからんが、怖い」
怖い。
その単語が、静かに刺さる。
「お前がいれば、俺は死なない。死なないのは、いいことのはずだ」
彼は拳を握る。
「だがな、アルド。俺は、死ぬ覚悟で剣を振るっている」
その覚悟が、意味を持たなくなる。
それが、怖いのだと。
俺は何も言えなかった。
正論だ。
守るために削った。
だが削るたびに、彼らの“選択”も削っているのかもしれない。
「考えすぎか」
ガルドは息を吐き、肩を回す。
「まあいい。今夜は打ち上げだ。真面目な話はやめだ」
そう言って去っていく背中を、俺は見送った。
その背に、影が差して見えた。
夕刻。
ギルド本部の一室に、俺は呼ばれた。
扉を開けると、ガルドとフィーナ、それにもう二人の仲間が座っている。
空気が重い。
「アルド、座れ」
ガルドの声は、昼よりも硬い。
俺は静かに椅子に腰かけた。
沈黙が落ちる。
やがて、ガルドが口を開いた。
「単刀直入に言う」
視線が、まっすぐ俺に向けられる。
「俺たちは、少し立ち止まるべきだと思う」
「立ち止まる?」
「ああ。戦い方を、見直す」
フィーナが目を伏せる。
「アルドの回復は、すごい。間違いなく、最強だよ」
だが、と彼女は続ける。
「でも……あたしたち、アルドに頼りすぎてる」
頼りすぎている。
その言葉に、胸がわずかに痛む。
「お前がいなければ、俺たちはもっと慎重になるはずだ」
ガルドが言う。
「死ぬかもしれない。そう思えば、もっと強くなれる」
「だから、俺が邪魔だと?」
俺は静かに問う。
ガルドは目を閉じ、一拍置いた。
「……お前は、必要だ」
そして続ける。
「だが、今の俺たちには、いらない」
必要だが、いらない。
矛盾した言葉。
だが、意味はわかる。
俺は、彼らの“成長”を削っている。
沈黙。
誰も、怒鳴らない。
誰も、罵らない。
ただ、苦い決断がそこにある。
「アルド」
フィーナが顔を上げる。
「ごめん」
その謝罪は、真剣だった。
俺は立ち上がる。
「……わかった」
驚きが、部屋に走る。
「いいのか?」
ガルドが問う。
「守ることが、弱さになるなら」
俺は答える。
「俺は、弱くていい」
その言葉に、誰も返せなかった。
扉に手をかける。
「アルド!」
背後から呼ばれる。
振り向く。
ガルドは、苦しそうに眉を寄せていた。
「昨日……俺は、死んでいないよな?」
俺は、ほんのわずかに微笑む。
「死んでいない」
それは、真実だ。
死という結果は、存在しないのだから。
扉を開ける。
廊下に出る。
祝祭の喧騒が遠くに響く。
俺は、深く息を吐いた。
胸の奥が、少しだけ、軽い。
――削ったのは、彼の死だけではない。
俺自身の居場所も、ほんの少し。
夜風が吹く。
窓ガラスに映った自分の姿が、揺らいだ気がした。
気のせいだと、思いたかった。




