第11話 上位執行官リゼ・ノクターン
町外れの林へと身を隠したのは、俺の足がこれ以上持たないと判断したからだ。
半透明になった腕は、感覚こそあるものの、陽光の下でははっきりと向こうが透けて見える。
「座って」
ミアが促す。
倒木に腰を下ろすと、世界の輪郭が揺れた。
耳鳴りがする。
削りすぎだ。
わかっている。
「……魔狼の事象を消したのは、正解だったのか」
自分でも驚くほど、弱い声が出た。
ミアは少し考える。
「正解と不正解は、記録院の言葉」
「なら」
「あなたが選んだ。それだけ」
シンプルだ。
だが、重い。
最初の干渉を消した。
自分が観測された起点を揺らすために。
結果、拘束は解けた。
代わりに。
俺は、さらに薄くなった。
そのとき。
空気が、静かに張り詰めた。
今までの執行官とは違う。
圧がある。
冷たいが、研ぎ澄まされている。
「観測誤差、確認」
背後から、女性の声。
振り返る。
黒の外套。
だが先ほどの三人よりも装飾が少ない。
無駄がない。
仮面はなく、露わになった顔は整っている。
黒髪を一つに束ね、細縁の眼鏡をかけている。
感情の読めない瞳。
「上位執行官、リゼ・ノクターン」
自ら名乗った。
「アルド・レヴァイン。あなたは想定以上に危険」
淡々と告げる。
だが声は、冷たいだけではない。
思考が乗っている。
この女は、理解しようとしている。
「危険なのは、死だ」
俺は言う。
「俺はそれを減らしている」
「減らしているのは、死だけではない」
リゼは一歩近づく。
足音が、はっきりと聞こえる。
今までの執行官とは違う。
彼女は、俺を“視認”している。
「あなたは選択を削る」
「……またそれか」
「重要だから繰り返す」
視線が鋭くなる。
「死ぬかもしれない、という未来は重い。だから人は考え、恐れ、成長する」
ガルドの言葉と重なる。
「あなたはその重みを軽くする」
「軽くして何が悪い」
「軽さは、崩壊を招く」
即答。
「あなたの干渉は短期的には救いだ。しかし長期的には、歴史を空洞化させる」
空洞。
胸がざわつく。
「空洞になった歴史は、些細な衝撃で崩れる」
リゼの声は冷静だ。
「そのとき、救えるか」
答えられない。
俺は、目の前の死しか削っていない。
未来の崩壊まで計算していない。
「……だから排除するのか」
「排除は最終手段」
彼女は首をわずかに振る。
「私は、観測する」
「観測」
「あなたがどこまで削るか」
実験対象。
そういうことか。
怒りよりも、冷たい理解が広がる。
「あなたは、自分が消えかけていると理解しているか」
唐突な問い。
俺は腕を見る。
半透明。
「理解している」
「それでも削るか」
迷いは、ある。
だが。
「守る」
短く答える。
リゼの瞳が、わずかに細くなる。
「傲慢だ」
静かな断罪。
「あなたは自分の判断を、世界の記録より上に置く」
「記録は人のためにある」
「逆だ」
即座に返される。
「人がいるから記録があるのではない。記録があるから、人は積み上がる」
言葉が鋭い。
思想の対立だ。
「あなたは積み上げを削る」
「俺は死を削る」
「同義だ」
リゼの足元に、淡い書式が浮かぶ。
だが拘束ではない。
観測陣。
俺の輪郭を測っている。
「存在確率、急速低下」
彼女が呟く。
「このまま干渉を続ければ、あなたは自然消滅する」
自然消滅。
殺されるのではない。
消える。
削りすぎた誤差として。
「それでも、止めないか」
問われる。
答えは、簡単ではない。
だが。
「止めない」
口に出す。
ミアが強く手を握る。
リゼは、静かに目を閉じた。
「理解した」
目を開ける。
「ならば、観測を継続する」
排除しない。
今は。
「あなたの限界を、見極める」
それは、宣戦布告に等しい。
リゼは背を向ける。
「次の干渉で、あなたはどこまで残るか」
振り返らずに言う。
「楽しみにしている」
そして。
書式とともに、姿が消えた。
森に静寂が戻る。
俺は深く息を吐く。
「……あれが、上位」
ミアが呟く。
「あの人、あなたを殺さない」
「観測するためか」
「うん。でも」
ミアは少し首を傾げる。
「ちょっとだけ、迷ってた」
迷い。
あの女に。
俺は空を見上げる。
観測されている。
削れば、見られる。
削らなくても、見られる。
ならば。
次の選択は、もっと重い。
守るか。
消えるか。
それとも。
別の道を、探すか。




