7、成長
二日後の昼下がり。ギルド受付を担当していたターリアは、朝から気が気ではなかった。
始業当初こそいつも通りだったが、ローリエの様子が時間が経つにつれ、明らかにおかしくなっていったのだ。
口元にはよだれ、視線は宙をさまよい、返事はうわの空。
――もしかして、病気? いや、まさか危ない薬……?
心配になって何度か声をかけても、返ってくるのは気の抜けた返答ばかり。
今日の業務はラシオンの指示で冒険者との直接対応はないが、それでも計算ミスや書類の取り違えが何度も起こりそうになってしまい。とうとう心配が頂点に達してしまった。
「ローリエちゃんやっぱり今日はもうお休みして、お医者さん行こ?」
昼休みに入ったタイミングでターリアが切り出すと、交代の職員たちもざわつき始めたが、そこへ奥からラシオンが現れ、何も言わずローリエを引っ張っていってしまった。
「大丈夫なんですかね」
「うん、管理官が付いてるならきっと大丈夫だと思うけど……」
冷たい印象が目立つが責任感を持っている人だ、ターリアも信用し頼りになる人だと思っているが……
フラフラと歩くローリエの片腕を引いて歩く姿に違和感と心配はどうにも拭えなかった。
…………
『ローリエ、魔術を解除しろ』
「……うわぁい」
流れる声の渦の中で自分を呼ぶ声が聞こえてローリエは魔術を解除した。
しばらくしても、脳の混乱状態が収まらず。ラシオンの前でアホズラを晒して数分ローリエの視点が徐々に目の前の人を捉えた。
「ラシオンさん……」
さしだられたハンカチで口元を拭い項垂れる。
「無理です、可笑しくなっちゃうぅ……」
「3時間か……昨日は1時間ほどで根を上げていた。かなり伸びている」
褒められれば伸びるローリエでも、流石にこれは伸びたくない。
「長時間って……どのくらいなんですか?」
上目遣いでそう聞くとラシオンは顎に手を当てた。
「できれば三日間」
「え!」
「は、流石に間に合わないだろう。6時程持てばまぁ及第点、それと解除後どの位のスパンで回復できるかも重要だ」
「…………」
「ローリエ一時間休憩で午後から就業時間時間まで四時間通せば今日のノルマはクリアだ」
「むっ」「そう言えば言い忘れていたが今回の任務は特別給金が出る」
「お金」
現在ローリエは未成年な事もあってギルドの宿舎で寝泊まりし朝、昼、晩と賄いも出る。そのため報酬額にも無頓着なところがある。
しかし……「言って置くがお前が成人すればこちらの庇護下にいつまでもいさせるわけにはいかない」
「うっ……」
「成人しても宿舎を使う様ならその分給料から差し引かれるし、賄いも昼はあるが朝、夕は個人で食堂を利用する事になる、自分で作るなら材料費は個人持ちだ。宿舎を出るにしても引越し費用、その後家賃と金はかかる」
「はい、わかります」
「金はいくらあって困らない。お前ももうすぐで十六、成人は十八だから貯められる時に貯めておけ、今のお前の業務じゃそこまで高い給金は貰えないだろう」
「ごもっとも」
そもそも今以上に難しい責任のある仕事はしたく無い、と内心思うが、生きていくためお金はいるし、ローリエには危険な冒険者業も沢山勉学が必要な魔術師業務も無理だ。せっかく持っている固有魔術を使って金を稼げるなら稼ぎたい。雑でも面倒くさがりでも、ずっとこのままではいられないというのはわかっている。
「頑張ります……」
弱々しく拳を握るローリエに若干の不安はあるがラシオンなりに励ましの声をかけた。
「…できる限りサポートはする、安心しろ」
そうわ言っても考えてみて欲しい、近い遠い関わらず、どんな声も耳の中に入って来る。そんな状態でも仕事をこなすのはローリエには負担だ。
「ローリエちゃん、大丈夫?」
「大丈夫です」
休憩後再び復活したローリエは、書類を仕分ける仕事になった。一番簡単な業務で一年以上はこなしてきたためミスも少ない、ローリエは手を動かしながらどうにかこの声の渦の中を克服できないか考えた。
『あーいってー』『この報酬額当てる?』『くそ骨絶対ヒビ入ってる回復魔術かけてもらわないとダメか』『お腹すいたー』『俺、あの感覚苦手なんだよなー』『酒入れるか?』『やめとこう』『また会ったな』『なぁ、あの魔獣可笑しく無かったか?』『そうかー?』
「ターリアさん、何かありました?」
「何か?」
「いや冒険者さん達が騒いでいるので」
「んーそう言えば数日前。西側では見ない魔獣の目撃があったんですって、一応討伐依頼書をギルドから出して、受領受付も済ましているから」
ターリアが話していると一人の冒険者が慌ててギルドに入って来た。
「すまん、解体作業を手伝って貰いたいんだが、手の空いてる者を集めてくれないか?」
「かしこまりました。魔獣の受領はお持ちですか?」
「いや、悪いが別の魔獣討伐後に遭遇してしまってな、こっちも怪我人が多い上にかなり大きな個体だから置いてきた」
どうやら疲弊しているところを魔獣に襲われたらしく。先程から聞こえていた痛がる声はギルドに帰還中の冒険者の声だと理解した。
(あれ、さっきよりも色んな声の内容がわかる)
ローリエはさらに、声を聴いた。
『まだかー』『おい誰だ!俺の飯食ったの!』『コラコラそれは砂糖だよ』『目玉焼きだけ食べるなよ』『おれぇふぁない!』『私、手空いてるますよ』『なぁ、このプリンに醤油かけて良いか?』『嘘つけ!口の中パンパンだろうが野糞野郎!』『お願いしますアルメさん』『自分のでしろ俺のだ!』『吐き出せ!ノワール!』
「っフ……」
「大丈夫?ローリエちゃん」
急に肩を揺らし始めたローリエにターリアは心配の目を向ける。ローリエは口元を手で覆い頷くが心配の視線は止まらない。
「ローリエただ笑ってるだけですよ」
聞き馴染んだ声はアルメのものだ。先程臨時の解体作業員としてターリアが手続きをしたらしく受付カウンターの向こうでこちらを見下げる目線をくれている。
「うっごふぉ!違うもん」
完全に否定できていない姿に、アルメは首を振りながら入り口で待つ冒険者の元に向かった。
『君が、臨時?』『……』『はい、アルメです解体作業は大体二年前からしているのでお役に立てるかと』『……』『はぁ!イッテ!ずるだろ!サイモス!』『……』『そうか、それだけ経験してるなら大丈夫か…よろしく頼むよ他には……』『イイヤ!お前の方が一発多い!』『……』『それじゃ行こうか』『……』
「ローリエちゃん?」
ニンマリと笑うローリエを見てターリアは困惑の声あお上げた。
「ふふ、すいません大丈夫です」
…………そうか、こうすれば良いのか
ローリエの耳は確か声の渦の中だ、けれども聞くと聴くは違う。聞いているはずなのに。聴いていない。右から左何て言葉があるのだ、何より注意散漫なローリエには朝飯前の事だろう。多少どうしても聞こえてしまう声もあるが。聞きたい内容に意思を向ける事は難しくない。魔術を使うという感覚はあれど。声も音も常に身の周りある物なのだから。
また一つ克服しローリエは自身の成長を噛み締めた。
「ローリエ手が止まっているぞ」
不意に頭上から聞こえたラシオンの声にローリエは慌てて手を動かした。
この状態を克服するにはまだまだ大変そうだ。




