冒険者業
僕は本格的にギルドの冒険者業に携わるようになった。
辺境なので魔物の出現は多く討伐任務や護衛任務は大量にあったし、ダンジョン探索についてはトムが僕をパーティに入れたがったのである。
トムはとにかくお金を稼ぎたがったみたいである。
あのパーティはトムとラシアがくっついたことで少しパーティ内のバランスが変わってしまった。具体的に言うとスーザンの毒舌でラシアが参ってしまったのである。
僕的にはスーザンとケビンがくっつけばうまく行くのではないかと思ったが、そううまくは行かないようで、スーザンもケビンもお互いに恋愛感情はないと言い張るわけである。
それで僕がパーティに入るとスーザンもケビンも何故か僕のことを先生だと認識しているらしく、毒舌は鳴りをひそめるのでラシアへのストレスが少なくなるのは僕から見ても明らかだった。
そういうことで何度かはルシンドラ周辺のダンジョンに潜ることもやったのである。
中級ダンジョンに潜ることは稼ぎも大きいのだけれどリスクも跳ね上がる。けれども僕とトムがいれば大抵の魔物に対処できる。トムは月2回というハイペースでダンジョン探索を行なった。その結果、遂に彼は市壁の内側にマイホームを購入するに至ったのである。
ラシアはつわりの症状がキツくなり、冒険に参加できなくなってしまったが、彼のマイホームに近い小さな教会でトムとラシアの結婚式が行われた。僕たちのメンバーもC級に上がっていたこともあり、賑やかな結婚式になった。
トムとラシアの結婚式の後は既に見習いでなくなった神官のケビンは神殿の修行に向かい、スーザンは王都のリルナート魔法学院に行って大魔法使いを目指すのだという。
こうしてトムのパーティは発展的解消に至ったわけである。
トムは即座にルシンドラでトップのクランである『月光』にスカウトされた。僕も誘われたのだけれど固辞することにした。なんといっても『月光』はルシンドラ侯爵のロバートがパトロンになっているクランである。そんなクランに入ってしまえばロバートに会わなければならない危険は濃厚である。
もちろん僕はロバートに顔バレしているのである。もし僕がクランに入ってクランのメンバーとしてお目見えした時に僕がいれば、ロバートの方もどう考えても気まず過ぎるだろう。僕だって別に弟が王太子になって国王陛下と王妃様が幸せにこの国を統治していただくことに反対していないのである。それがルシンドラ侯と僕とが会ってしまうことでルシンドラ侯が第一王子派だと誤解されることは避けた方がいいのである。
同じ理由でB級への昇進もしないつもりである。専属受付嬢になっているクララは最近、顔を合わせるたびに昇進試験を受けろとうるさいが、B級になると個人依頼が可能になる。そんな個人依頼で他の顔見知りの貴族などと会うのはごめん被りたいわけである。
そんなことをクララに言うわけにもいかないので黙って断り続けている。
クララは「あなたってもう既に充分目立ちまくっていますよ」なんてため息をつきながら言っているが、そんなことはない。僕は目立ちたいなんて全く思っていないのである。
というより怖いのはそろそろ外遊から帰国する父上である。僕が王都から出たって知ったら何をするかわからない。無理やり僕を捕縛しに来たら嫌である。その後どうなるか。王妃一派との暗闘が始まれば、塔に幽閉されるくらいはいい方で、下手すれば毒殺などで密殺されることも覚悟しなければならない。
ということで、僕は今、『月光』クランのリーダーであるリンのところに呼び出しを喰らっている。
「リーナス君、わざわざお呼びたてしてすまないね。僕は『月光』リーダーのリンだ。」
やや大柄だけれど紫のドレスに身を包んだ金髪で緑色の目をした美人さんである。
「魔の森の魔物たちと戦うには皆で力を合わせなければならない。リーナス君、君はソロで驚異的な任務達成率を誇っていることは知っている。」
彼女はソファから立ち上がって女豹のような身のこなしで歩きながら話す。
「それは光栄なことですね。」と僕は返事した。
「でもね、一般の依頼より貴族からの依頼の方が報酬がいいんだよ。うちの『月光』はこの町のルシンドラ侯とのツテもあるから面会だってさせてあげられると思う。」
いや、貴族とは会いたくないから。
「特に貴族と面会したいわけじゃないんですが。なのでお断りさせていただきます。」
「君って貴族が嫌いなの?」
「い、いや、そういうわけではないですが。」
「そうなんだ、よかった。僕も貴族の血が入っているからね。もしかしてワケアリ?」
「冒険者の過去は詮索しないのがマナーですよね。」
リンは僕の横にぽすんと座るとその整った顔を僕の顔に近づけてきた。
「もしかして陛下の隠し子とか?あなたの顔を見たら陛下によく似ているよね。」
隠し子じゃなくて正真正銘の第一王子です。
「あの、僕は陛下の隠し子じゃないし、それって陛下に対する不敬になりかねませんよ。」
「大丈夫よ。こんな田舎でしゃべったことなんて誰にも気づかれるわけないわ。」
「まあ、そうかもしれませんが。」
リンとの距離はどんどん近くなっている。
「いい子だわ。」
「へっ?」
「あなた、私のパーティに臨時でいいから入りなさい。」
「えっ?」
「リーナス、これから魔の森での魔獣討伐があるの。あなたもそれに参加してくれるよね。」
リンは僕の耳元で囁くように言う。
「ひっ」
僕は思わず硬直してしまった。
「うふふ、耳は弱いのね。さあ、答えて。答えは『Yes』か『はい』よ。」
「はっはい」
僕は反射的に答えてしまった。王子なのになんたる失態だ。
そこで僕は気が付いた。今は僕は王子じゃなかった。単なる一冒険者に過ぎないんだ。
リンはにっこりして僕の腕にその豊かな胸をギュッと押し付けてきてやっぱり耳元で「よくできました。」と囁いた。そうして僕のほっぺたにチュッと唇を押し付けてきたのである。
「僕はお父上に無理やり婚約させられそうになって逃げ出して冒険者になったんだけれど、今までどんな男の子とも一緒にいたいなんて思わなかった。男の子に対して一緒にいたいっていう気になったのは君が初めてなんだ。」
なんだかリンにグイグイ来られている。
そもそもほっぺにキスされるなんて亡くなったお母上にされて以来かもしれない。それ以降は夜会に出ても僕に近づこうとする命知らずの令嬢がいればお継母様がぐっと睨んで追い払っていたから、僕が女の子と話をしたことはないのである。
騎士団に移ってからは男ばかりの生活だったのでそもそも女の子に出会うこと自体なかった。ラブレターをもらうことはなかったわけではないが、同じ騎士団員の男からばかりだったのである。僕には男同士で愛を育むという趣味はなかったのでそういう男とはいつも決闘をして叩きのめしてやるのが常だった。それでも近づこうとする男はいなかったわけではないが、そういう奴らには常に威嚇して近寄らせないようにしてきたのである。
そういう汗臭い男と違ってリンはふんわりといい匂いがした。思わず吸い込まれそうになるところを全力で意志と理性をかき集めて耐えた僕は「わかりました。じゃあ魔の森の魔獣退治には参加します。それでは。」と言って決然と部屋を出てゆくことにした。
止められるかと思ったが、リンは「そう、よかったわ。これからよろしくね。」と言ってあっさりと僕を解放してくれた。
部屋の外に出ると番兵がいたが、なんだか気まずそうに視線を逸らして「どうぞ」と言って道を開けてくれた。もしかしたらリンの痴態が聞かれていたのかもしれない。ちょっと恥ずかしいよねと俯きながらクランの建物を出た。
そのまま早足で宿に向かった。何故だか周囲からの視線を集めている様子である。僕を見てくる人を見返すとサッと視線を逸らされてしまう。どういうことだろう。
かなりの違和感を感じながら町の大通りを過ぎて宿まで戻ってきた。冒険者ギルドに寄って竜の情報を聞こうかどうか少しだけ迷ったのだが、あのクランのやり取りでずいぶん疲れてしまっていた僕はもう宿に帰って休みたかったのである。
宿に入るとネリーちゃんがフロントに立っていた。
いつものように「ただいま」と挨拶しようとするとネリーちゃんが僕の顔を指さして「きゃーっ」って大きな悲鳴を上げた。
「いきなりどうしたの?」
僕が不審に思って聞くとネリーちゃんは「誰?誰と浮気したの?」と言う。
「浮気?」
僕は誰とも付き合っていないので浮気も本気もないはずである。
ネリーちゃんはゴソゴソとフロントの内側で探して手鏡を取り出してきた。それを僕に突きつける。
手鏡の中に見える僕のほっぺたにはベタっとルージュのキスマークが付いていた。リンの仕業である。
ネリーちゃんは「リーナスは私の婿養子としてこの宿を継ぐ予定なのよ!それを浮気なんかして。」と泣いている。
どうしようもなくなった僕は「じ、じゃあ僕は部屋に戻るね。」と言って部屋で急いでキスマークを消したのである。
(後の祭りってこのことだよな。)
もうこのキスマークは多くの町の人に目撃されてしまったのである。