(2)――「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
海底探検ツアー当日。
僕と麻耶は、ツアー参加者集合場所に来ていた。
まだツアーが始まってすらいないというのに、僕はすっかり疲弊していた。というのも、ツアー主催者から、集合場所までは必ず公共交通機関等を使うようにと指示があったからである。出港場所が一般的な港であれば良いものの、集合場所は海水浴場にもならない辺鄙な海辺だった。最寄りにもならない最寄り駅まで電車で向かい、バスを乗り継ぎ、最後はタクシーを使って、どうにか集合場所へと辿り着いた次第である。
この長距離移動で、僕はふたつ、奇妙に思う点があった。
ひとつは、麻耶の様子。
いつもであれば途中で寝るか、スマホを弄って暇潰しをしている麻耶が、移動時間中ずっと窓の外を楽しげに眺めていたのである。これまで麻耶といろんな場所に行ったが、こんなことは初めてだった。単に、それだけ海底探検ツアーを楽しみにしているとも考えられるのだけれど。外の風景を眺めている麻耶の瞳は、どこか狂気じみているような気がした。或いは、魅了されていると言っても良いかもしれない。けれど、一体なにに?
もうひとつは、タクシー運転手の様子。
行き先を告げた途端、明らかに顔色が変わったのを、僕は見逃さなかった。平静を装い世間話を振ってくるが、その声音はどこか緊張気味であり。なにか探りを入れられているような感覚があった。けれど、一体どうして?
「あそこが集合場所だよ、蛍介!」
ぐいぐいと僕の手を引く麻耶。
「時間まではまだ余裕があるだろ。急がなくても平気だって」
「でもほら、席が先着順だったら、早めに行っておかないと! 窓側の席を確保できないじゃんっ!」
麻耶の言葉を聞いて、そういえば、具体的な座席指定はされていないんだっけか、ということを思い出す。
水中に潜る以上、巷でよく見る水陸両用の観光バスとも異なるのだろうが、具体的にどんな乗り物なのかを想像できない僕は、適当に相槌を打った。
「やば、もう結構人集まってる。蛍介、急ご」
麻耶に手を掴まれ、引っ張られて進むこと数メートル。ようやく見えてきた集合場所には、確かに人の集まりが見えた。募集人数が何人だったのかも知らない僕にはいまいちピンとこないが、焦る麻耶から察するに、僕たちは最後のほうなのかもしれない。
集合場所に集まっていたのは、僕らのほかに十人。僕らのような二人組が大半だが、家族連れも居る。存外広い層に向けたイベントのようだ。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
それから少しして、このイベントの担当者らしき中年男性が、全員の耳に声が届くよう声を張り上げた。
海底探検なんてイベントの担当者だから、もっとラフな格好をしているかと思っていたのだが、男性はスーツに身を包んでいた。言語化できない違和感が頭の隅に芽生えたような気がするが、ただの気の所為かもしれない。
「それでは早速、あちらに用意してありますバスにご乗車していただきます。ご案内しますので、ついてきてください」
男性はそう言って、ゆっくりとしたペースで歩き出した。どうやら、茂みの向こうにバスとやらがあるようだ。
麻耶に見せてもらったパンフレットには「※イメージ画像です」の注意書きの下、至極一般的なバスの写真が掲載されていた。僕は普通に考えて、厳つい格好の水陸両用バスのようなものがあるのだろうと考え歩みを進めたのだが、その先で僕らを待ち構えていたのは、まさにイメージ画像で見た、どう見ても普通の観光バスだったのである。
絶句。
これでは、集団自殺するようなものだ。
「なあ、麻耶――」
今からでも遅くない、引き返そう。
僕は咄嗟に麻耶の腕を掴んだが、麻耶はそんな怯える僕の手に重ねるように触れると、
「すごいねえ、楽しみ……!」
と、目を輝かせてバスを見つめていたではないか。
周囲を見回せば、動揺しているのは僕一人だけで、他は麻耶と同じようにきらきらとした目でバスを見ている。
ぞくり、と全身が粟立つ。
これでは僕がおかしいのか、僕以外がおかしいのか、わからない。
感覚が、ぐらぐらと、揺らいでいく。
「ほら、行こう、蛍介」
そうして僕が決断できずにいるうちに、麻耶はぐいぐいと僕の手を引く。
ああ、この時間が永遠になるのなら、それでも良いか。
半ば自棄気味にそんなことを考えながら、僕はされるがまま、バスに乗り込んだ。
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