叔父の登場⁉ 迫るまさかの退職勧告!
出社途中、瑤姫は車窓に映る自分の表情を、無意識に見つめていた。
(……考えないようにしてるのに)
優しく触れる手。
囁くような声。
熱を孕んだ視線に、抗うことなどできなかった。
あくまでも、契約結婚。
それでも、あの夜を境に、心が揺れ始めているのは事実だった。
(考えてもしかたない。今日は仕事に集中)
気持ちを切り替え、スケジュールを確認する。
新規案件の打合せが、万田から共有されていた。
万田は前社長の急逝を機に退職したが、真人の本部長就任時に復職。
現在は真人のブレーン的存在で、接点はあまりなかった。
(なんで私に相談を……)
真人は同席しない。
それが一番、違和感があった。
***
会議室の扉をノックすると、中から万田の声が返ってきた。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
年も社歴も下の瑤姫に、万田は深々と頭を下げる。
「いえ、こちらこそ。まさかあなたに、相談されるとは思いませんでした」
「依頼主が、どうしてもあなたに会いたいと言っていましてね」
(なんだそれ。意味が分からない)
瑤姫は眉をひそめた。
「じつは、もう来ているんですよ」
「えっ?」
——コンコンコン。
会議室のドアがノックされる。
「よっ! 久しぶりだなぁ、おタマ」
軽いノリで現れた依頼者に、瑤姫は言葉を失った。
「……叔父さん」
宗正の弟、二宮 幸臣。
真面目で責任感の強かった宗正とはちがい、幸臣は「二宮家の数奇者」と呼ばれるほど風変わりな人だった。
まるでそれを体現しているかのように、相変わらず個性的なファッションをしている。
よくこんな奇抜な格好で受付を突破できたな、と感心してしまうほど。
「久しぶりの再会に感動してんのかぁ〜?」
茶化すような幸臣の言い方に、瑤姫はムッとする。
「……なんのご用ですか?」
「そんな怖い顔すんなよ〜! せっかくの可愛い顔が台無しだぞ?」
幸臣は隣の万田に「オレの姪っ子、カワイイだろ?」とからむ。
恥ずかしさでカッとなった瑤姫は、バンッと机を叩いた。
さすがの幸臣も口を閉ざし、姿勢を正す。
「……で? ご用はなんでしょうか?」
こりずに軽口を叩こうとする幸臣に、瑤姫はギロリと睨みをきかせた。
「分かった分かった! もうふざけない! 真面目に話すから!」
観念した幸臣が、コホンと咳払いをする。
「いやね。用ってほどの用もねぇんだが、ここ最近、瑤姫の名前があちこちで聞こえてきてよ。ちょっと顔を見に来たってのが本音でね」
「……は?」
「あれこれ噂で聞いたぞ? 十鳥の土地を買収したとか、三島をねじ伏せたとかよぉ」
耳に覚えのある名前に、瑤姫の表情が揺れる。
「だけど別にお前、会社のためってわけじゃぁねぇんだろ?」
見透かすような視線と物言いに、瑤姫はビクッと肩を震わせる。
「お前がなにをしたいか、だいたい見当はつく」
幸臣の声色が、わずかに低くなる。
「だから、言いに来た。——退職しろ」
会議室に静寂が落ちる。
「……はあ?」
瑤姫は眉をひそめた。
「転職したのも、あの土地を取り戻すつもりなんだろ? だけどそれは……お前には無理だと思う」
その一言で、胸の奥に熱がこみ上げた。
(なんで……そんなことまで)
ドクンッと鼓動が跳ね上がる。
「買収は、お前じゃムリ」
ガッと血が上り、頭が真っ白になった。
「ここにお前がいる意味は——」
ガターン‼︎
椅子が激しく倒れる音が、会議室に響き渡った。
気がつけば、幸臣の胸倉をつかんでいた。
「黙れ……この下衆が……‼︎」
「おちつけよ、おタマ。ここは会社で、オレは客だぜ?」
幸臣は表情一つ変えず、瑤姫の両手を引き離す。
「……唐突すぎるぞ、幸臣。段階を踏んでくれ」
万田が立ち上がり、瑤姫を近くの椅子に座らせる。
その足元にひざまずき、ガタガタと震える手を握った。
「私たちは、土地をとり戻す手伝いをしたい。その代わり——」
***
二宮幸臣の来社を知った太乙は、思わず会議室まで足を運んだ。
会議室のドア越しに、わずかな声が漏れ聞こえる。
太乙は立ち止まり、息を殺した。
万田が幸臣を呼んだのには、なにか理由があるのだろう。
十中八九、太乙にはメリットのない理由だ。
しかし、瑤姫を巻き込む理由が分からない。
姪に会うためだけなら、別にここでなくてもいい。
あれこれ考えていた時——、
「……この下衆が……‼︎」
怒声が、壁越しに突き刺さった。
椅子が倒れるような音と、緊迫した気配。
太乙は急いでドアノブに手をかけた。
これ以上、瑤姫を一人にしておけない。
***
会議室のドアが開く。
姿をみせたのは、太乙だった。
「これはこれは! ダンナ君じゃないか!」
幸臣が両手を広げながら立ち上がる。
しかし、太乙は一瞥もくれず、真っ直ぐ瑤姫の元へ向かう。
「どけ」
万田はスッとかたわらに退く。
「瑤姫、場所をうつすぞ」
太乙は一声かけて、微動だにしない瑤姫を抱きあげた。
「共謀するなら、勝手にしろ。二度と瑤姫を巻き込むな」
地を這うような声で言い捨て、太乙は後ろ手にドアを閉めた。