初の動画視聴会②
この案件の結果だが、その中年の男は役所の支援を受けて何とか職に就く事が出来たそうな。そして記事のニュアンスから読み解くに、自分を捨てて失踪した両親に対しては恨みしか抱いて無かった印象。
両親の方も実家を捨てる決断をして(或いは借家だったかもだが)、かなりの決断を強いられた筈である。ところが元ニートの息子は、そんなのは他人事で自分の状況しか思い至らない有り様ではあった。
何とも哀れさの漂う、人間的な成長の無いその話の結末に。聞いていた仲間達も、壮絶な話だねと総じてポカンとした表情だったり。
息子を捨てて、住む家を逃げ出した両親も哀れには違いない。ただし、自分を捨てた両親をその先ずっと憎みながら、独り暮らしを始める元ニートも悲しい存在ではある。
報われないよねと、もっと他に解決方法は無かったのかと考え込む素振りの面々だけど。肉親とは言え、逆襲が怖くて面と向かって正論を説けない家庭も多いのだろう。
少なくとも、この話に関しては一応真っ当な解決を見たのだ。
「そうだねぇ……確かに一時期、かなり悲惨なニート関連のニュースが世間を賑わせていたもんね。何だっけ、引き籠りのニートが通学中の小学生を刺殺して、世間の目が厳しくなった時があったよね。
その報道が引き金になって、お固い職に就いていた父親が、自分のニートの息子を殺害した事件もあったよね」
「そう言えばあったな……ニートが将来を悲観して、自殺なり他殺なりってのはまぁ良くある話ではあるんだろうな。その切っ掛けになってる報道は、最近は規制されてるのかほとんど見なくなっちゃったな。
その辺に関しては、本来はみんなで真剣に考えるべきだろうに。突き詰めれば、ニート問題は家族の問題と同時に社会の問題なんだから」
「社会問題と言えば、ちょっと前に親ガチャなんて言葉も生まれてたよねぇ? 子供が苦労してるのは親のせいだって、何だか最初から自分達の失敗を言い訳してるみたいで嫌なんですけどっ!
それこそ、若い頃の苦労は買ってでもしろって言葉もあるじゃん!」
そう憤る朋子は、恐らくは良い家庭に生まれたのだろう。その辺は実際に、毒親や児童虐待を平気でする親もいるようで、一概に言える問題では無いかも知れない。
とは言え、ここの生徒達は概ね朋子に同意見で、そもそも“親ガチャ”も酷い言葉である。つまりは良い条件の親の元に生まれたかったと言う、家庭への不満をモロに現した言葉に他ならない。
自分達の努力や頑張りは二の次と言う、楽して良い評価を得たい思いがアリアリだ。そんな奴らが将来ニートになるのだと、議題は変な感じで紛糾している。
まぁ、ニート問題を論じるなら家庭環境だとか社会の対応も、どうしても一緒に出て来てしまうモノ。そこにいちいち腹を立てていても、仕方が無いとの充希の弁に。
それもそうかなと、熱く議論を交わしていた学生ズは一応落ち着きを取り戻す。要するに、程よい社会的な障害は試練にもなるし、乗り越えられなかった者はドロップアウトしてニートになる確率も高くなる訳だ。
それを全て親や家庭環境のせいにする風潮は、どうかなと思う次第の一行だったり。ただまぁ、虐めや過度なストレスから逃げる手段を、取り上げるのも乱暴な手法ではある。
『ニー党連合』としては、そうやってドロップアウトした人々を、ぬるま湯に適応する前に救い上げたい所。どっぷり浸かった後では、引き上げるのにかなりの労力が必要になって来そう。
そんな事を話し合う学生ズは、何事に対してもある意味容赦がない。
ある程度議論が収まった後、基哉はもう1つの事例を話し始めた。こちらもやはり、高齢の親とそれに養って貰っていたニートの話の模様。
恐らく年金や貯蓄で養ってくれていた親が、高齢で認知症に掛かってしまったそう。その世話をニートの子供が担って、親が亡くなった後は働き始めたと言う事例がヒットしたと報告して来た。
そのニートの息子は、周囲の助けもあって再起が出来たそうである。やっぱり手助けが無いと、長年の引き籠り状態からいきなり社会復帰はなかなかに難しそう。
その例に関しては、親戚関係が手を差し伸べてくれたとの話。市町村や自治体の相談窓口も、今は各所にあるらしいがやはり親身になるのは親族なのだろう。
そんな2つ目の事例を聞き終えて、やっぱり微妙な顔の一行であった。一応は良い話に聞こえなくもないが、ニートが行動を起こす“切っ掛け”は母親の痴呆である。
つまりは、切羽詰まるまでそのニートは行動を起こせなかった訳だ。まぁ、痴呆の母親の介護など、働きながらだと無理なので逆に良かったのかも知れない。
それでも、知佳などは切羽詰まった末に行動を起こす前の、相談出来る窓口とか欲しいよねと発言する。確かにそうだねと、いわゆる“切っ掛け”への出会いの場は必要だねと朋子も追随する。
でないと、社会復帰すら間に合わなくなって悲惨な将来を迎える者が続出する可能性も。政府や自治体は、恐らくそんな事例など取り合わないだろうしお先真っ暗な気がする。
今度立ち上げるブログに、そんなコーナーを作れたら良いねとの女性陣の発言に。和也もネットを利用してのサービスを、今後作って行こうと盛り上がっている。
確かにそれが一番、出会った事の無い不特定多数のニートの声を拾い上げやすいかも。ユーチューブ動画でこちらの活動をPRして、ブログやツイッターで声を拾う。
不完全ながらも、何となくやるべき道は見えてきた気が。
「活動と言えば、そう言えば以前テレビで偶然やってるの見た事があったかな。NPO法人の活動で、ニートの自立を手助けしてる所があってさ。
廃校になった小学校を借り切って、そこにニート達を集めて共同生活をさせるの。作りたい人が全員のご飯作って、最低限の規則の中での共同生活なんだけどさ。10人くらいで、地域の田舎の人ともコミュニケーションがあったりするんだよね。
まぁ、自立する前の慣れの期間の滞在場所って感じかな?」
「あぁ、そう言う場所があるのはいいかもな……結局は親がスポンサーとなって、生活費を出し続けている限りはニートは安泰なんだから。
そんなぬるま湯から、まず抜け出す場所って考えると全然アリだな」
「たとえ肉親だろうと、金の切れ目は縁の切れ目だろうにな。誰かが金を稼がない事には、飯も食えないのが世の中の現実なんだから。
この先何年もサポーターがいてくれる保障なんて、確かに無いよな」
両親がしこたま財産を残してくれれば、ニートの子供も末永く自室に籠もれるだろうけれど。そうでない家庭の場合、先の破綻は目に見えている。
そして政府や自治体は、間違いなくそんな自堕落な人間など積極的に助けてなどくれない。税金や生活費が上がり続けるこの昨今で、破綻したからって生活を保護してくれるお人好しなどまずいやしない。
自分の生活を守るのは自分しかおらず、自身の成長を促すのもやっぱり自分の意思なのだ。生活資金を出して貰っている内は、世間からは半人前の扱いを受けるのも当然。
自立を手助けするそんな支援所が、あちこちに出来たら確かに良い事だと思う。ただし結局は、本人がアクションを起こさない限りはそれも無駄ではある。
要するに、外野はその“切っ掛け”を投入するしか方法は無い訳だ。
――何とも難しい、ニート問題の解決策の捻り出しである。




