日曜日の苗植え②
午前中に朋子の爺婆の田舎へと到着した一行は、挨拶を済ませてさっそく畑作業を開始する。初参加の章栄も、勝手が分からずとも力仕事はドンと来いである。
実際、水入りバケツを運んだり農機具も鍬やら何やら重い物は多い。それらを率先して運んで貰えるだけで、大助かりの畑作業である。
そんな作付け作業は、午前中の時間で余裕で終わらせる事が出来た。何しろ人数が多いので、単純な作業は圧倒的なスピードでこなす事が可能なのだ。
そして畝に沿って等間隔で植えられている様々な種類の野菜の苗を見て、満足そうな笑みを浮かべる面々。達成感に酔いしれて、皆が揃っていい仕事したなって表情である。
「意外と早く終わったな、もう少し時間が掛かると思ったけど……さすがこんだけ人数がいると、作業もずんずん捗るな。人が多過ぎても迷惑かもだし、次からは人数絞っての参加にするか、基哉?
行き返りの、車での移動問題もあるしな」
「あぁ、確かにそうだな、ガンちゃん……でも最初の1年は、なるべく皆で来て仕事の行程を覚えた方が良いんじゃないかな?
そしたらもし後輩が出来ても、全員が仕事を教えられるだろうし」
その言葉に、どっちも一理あるねと考え込む面々である。ヨシ爺に言われるままに片付けをしつつ、ついでに周囲の草刈りなんかもこなしながらの会議だけど。
この雑草問題も大きな仕事の1つで、とにかく春から秋にかけての成長は半端無いらしい。特に雨が降った次の週とか、一気に生えて来て処理が追い付かないとか。
この雑草の放置は、もちろん苗の成長的にも良くないし、見付けたら抜いて行くのが基本である。ぶっちゃけて言えば、野菜の苗は植えたら後の仕事はほとんどない。
いや、毎日の水やりはあるけど、それが無くても成長する作物も割とある。勝手に成長して行くのを、間引きしたり途中で追肥したりしてやれば良いだけなのだそう。
とは言え、虫が付いたり病気が発生する事だって時にはある。やはり毎日のチェックは必要で、手が掛かると言えばその通りではある。
ただまぁ、これだけの敷地での育成だとそれ程でもないとの事。
それを聞いて、もっと広くすれば良かったねとお調子者の和也が発言するも。まぁ最初の1年だからねと、慎重派の基哉が敷地を眺めながら返答する。
生徒達が参加するのも、週末の精々が休日の1日だけである。残りの平日は、ヨシ爺とスミ婆に頼むしか無いのが今の現状なのだ。
向こうの負担を考えると、この位が良いだろうとの考えである。もっとも向こうからすれば、慣れた作業なので何て事は無いかもだけど。
とにかく急な発案のせいで、植え付け時期も少しずれてしまっている。まずは今日植えた苗たちが、上手く成長してくれるのを祈る事に。
最初の収穫は、果たして無事に訪れるのやら?
それから一行は、畑作業の泥を落として再びお昼をご馳走になる事に。初お呼ばれのジョーなどは、やや緊張しているのか口数も少な目。
とは言え、章栄はいつもこんな感じなので、周りの友達もそんなに不自然には思っていない。それでも充希などは、ここまでの経緯とかこの田舎でやりたい事をさり気なく説明している。
そもそも、加賀章栄と言う男は性格的には寡黙で縁の下の力持ちタイプ。体を鍛える趣味も相まって、ゴツくて男らしいと思われがちだけど。
基本は矢面に立つのが苦手で、色々と気を遣って精神が消耗するのを嫌がる性格である。そんな感じで、小学校時代は充希が主に担ぎ上げられる対象になっていたりして。
今回もそんな感じで、本人的にはこのグループ集会はヤル気満々だったり。つまりは下支えの役割を、全力でこなす気には満ちているジョーである。
今回の田舎の農業体験も、本人的には大いに盛り上がって興奮していた模様。久々の同級生との集まりも相まって、表には出ないが気分はウキウキである。
もちろん顔には1ミリも出さず、目の前に並んだお惣菜に寡黙に箸を伸ばしている。それらも見た事も無い食材ばかりで、味を想像しながら食べるのは意外と楽しい。
他の面々もそうみたいで、これは何的な質問が後を絶たずに騒がしい限り。調理を手伝った女性陣が、それに誇らしげに答えているのがまた何とも面白い。
そんな感じで、昼食の場は数度目にも関わらずかなりの盛り上がりに。さすがに初回ほどのインパクトには欠けるが、学生ズは関係なく盛り上がっていた。
ホスト役の朋子も、それにはホッと一安心。
「知らない事をこうやって体験するのは面白いな……そう言う動画を作れば、閲覧数も稼げるかも知れないな。そう言う意味じゃ、田舎はアイデアと素材の宝庫じゃ無いかな。
毎週来るんなら、良い動画をたくさん仕上げるのも可能じゃないか?」
「田舎は四季の変化とかも面白いよ、町に住んでたら温度くらいでしか体感出来ないけど。葉っぱの色が変わったり、四季での作物の収穫シーズンだとか。
その辺は、確かに田舎じゃないと味わえない感動だよね」
「確かに、学習動画として提供するのも面白いかも知れないね……色んな発見に対して、私たちがリアクション取ってさ。
実際、こっちに来て知った事もこのたった数回でたくさんあるし」
「今の食事風景も、良いリアクション満載だったよ。町の生活じゃ、絶対にお目にかかれないお惣菜ばっかりだったもんね。
こっちも見てよ、何気にお皿も可愛いのよっ」
そんな話で盛り上がる学生たちを、爺婆も温かい目で見守ってくれている。顧問役の三宅先生も、何事も実地で経験は確かに大切だねと感心した素振り。
彼女のクラスにも、実は登校拒否の生徒が1人いて対応に悩んでいたのだが。こんな経験も学習と捉えれば、また別の解決策も導き出せるかもしれない。
何よりも、1日中ずっと部屋の中に籠っている生活と言うのは不健全には違いない。それ位なら、外に出掛けて日の光を浴びて、こうやって仕事をこなして人に感謝をされるほうが数倍良いに決まっている。
子供は“学ぶ”事が仕事とはいえ、椅子にずっと噛り付いての集団生活以外に学びの場があっても良い筈だ。個性を大事にと叫ばれている昨今でも、それを成すのは意外と面倒な作業なのだ。
教える側の労力を優先して、システム化された教育現場で幾らそれを叫んでも実行は限りなく不可能である。だからと言って、お偉いさんは口だけで動いてくれないし困ったモノだ。
現場の教師の負担ばかりが増して行き、挙句の果てには公務員働かせ放題で教育現場は混迷して行く始末。弱い立場の者に割く時間は、こうして削り取られて行くのだ。
今回の元4年6組のチームワークは、その点ではとても秀逸だった。不登校となった直哉にすかさず手を差し伸べて、その解決チームが結成されて。
そんなフットワークの軽さを羨ましく思いつつ、三宅先生は元教え子たちの更なる飛躍に内心で期待するのだった。こうして顧問を引き受けたのも、そんな打算も少しだけあったりして。
もちろん最初は懐かしさもあったけど、今は彼らがどの程度の活躍をするのか見たい思いの方が強い。放棄農地の再興とニート問題の解決、それを一体どう繋げて行くのか。
難題には違いないが、それでも期待も大きい元教え子たちの行動力である。
出来れば自分の今の教え子の不登校の生徒も、このアグレッシブさを見習って欲しい。悩みなんてモノは、過ぎ去るのを待つより行動して洗い流した方が良いのだ。
それを悩める教え子に教え諭すのは、自分の仕事だと自覚しつつ。今は彼らと行動を共にして、難題にどう取り組むかを学んでいる所。
学ぶ姿なんてのは、この際関係は無い……問題は何をどう学んで、それをいかに人生の糧に出来るか。そうして引き籠った教え子を、学びの場へと連れ出す事が出来たなら。
教師として、これ以上光栄な事は無いと思う。
――幾つになっても、人を救うための学びって大変である。




