木曜日の集会②
怒涛の決定事項の通達が終わって、何となく一息ついた車座に座った面々である。それから充希が、次に発言したい者をメンバーから募る。
その結果、互いが互いを見合っての譲り合いが始まって、なかなか2番バッターが決まらない破目に。そんな流れに、議長の充希が適当な感じに和也を次の発言者に指名した。
毎度となった、困った時の和也の漫画やアニメネタだが、そろそろネタも微妙な様子。いや、恐らく探せばまだたくさんあるのだろうけど、今回は時間が無かったそう。
残念そうな和也だが、一応発表は頑張ってするよと熱意は見せてくれる。彼にとっても、この集会は大きな意義を持っいている模様。
「えっと、今回は最近アマゾンプライムで観たアニメで、『豚の王』と言うタイトルの韓国の作品なんだけどね? まぁアクは強いね、向こうの虐め問題は良く描かれてたけど。
つまりは格差社会とか貧困問題から、学級内にも確固たるヒエラルキーが存在していて。小学校の時代から、暴力混じりの虐めが存在してますって話かな。
あらすじは、ここじゃ敢えて言わないけど」
「ふむっ、ここに来て虐め問題に焦点を当てるか……確かに不登校の要因に、虐め問題は大きく関わって来るだろうからな。
この辺で議題にあげるのも、確かに良いかも知れないな」
「そうだねっ、直哉君の件も本をただせば虐めがあったみたいだし」
そう言われると微妙な直哉ではあるが、確かに否定は出来ないのも事実。今でもニュースに、虐めを苦に自殺した学生の話題が、結構な頻度で取り上げられている。
そうは言うものの、自殺の件数は一時期よりは随分と減ったとの統計があるらしい。その辺もしっかり調べていた基哉が、自殺の件数は過去の最大年間3万人から、現在は2万人程度まで減っていると告げる。
「そうは言っても、日本の自殺数のパーセンテージは、G7諸国の中では最も多いそうだな。しかも15~39歳の死因は、自殺が依然として最多みたいだし。
例えは幸福度の統計を見ても、ハッキリと日本は低いってのが分かるね。自殺数が減ったからって、日本の社会が過去より住みやすくなってる訳ではないって証拠じゃ無いかな」
「逆に最近は、関係ない人を巻き添えにって感じの、陰惨な事件が多くなってる気がするわよね。無差別通り魔とか、そんな感じのニュースは多くなってる気がしない?
その辺も、昔と比べて世の中を憂いてる人が増えた証拠なのかも」
確かにそうかもなと、お先真っ暗な世の中にモノ申したい生徒たち。話題に挙げたアニメの中でも、和也は大人やら先生は虐め解決の役には全く立たなかったと付け加える。
むしろ向こうの社会では、連綿とその格差は続いて行って抜け道も無い感じ。そんな日本も他人事ではなく、格差社会はどんどん酷くなって行っている。
虐め問題にしても同様で、相変わらず学校内での不祥事は隠す傾向にあるようだ。気が付けば最悪の事態になってしまうのは、前述の通りで何の変わりも無い。
それならいっそ、引き籠った方がナンボかマシだよなと。背中を叩かれて称賛される直哉は、やっぱり微妙な表情のまま。
逃げるのは恥じゃないぞと、基哉も一応のフォロー。
そこから態勢を整えて巻き返せばいいんだと、充希も力を貸すぞアピールに余念がない。知佳も、虐められたって相談は親には言い難いよねと思案顔。
どうすれば一番いいんだろうねと、真面目に考える女性陣だけど。この問題も、きっとニート問題と同じく簡単に答えが出る類いのモノでは無いのだろう。
何しろ『虐め問題』は、ずっと昔から取り沙汰されて未解決のままの問題なのだ。陰惨になっていると言う者もいるし、いや昔の方が酷かったって意見もある。
学校と言う特殊な閉鎖空間が助長の原因かも知れないし、他の場所では完全に虐めが無いかと言われたらそうでもない。原因究明の取っ掛かりを掴むのも難しい、そんな難解な問題には違いない。
そこに朋子が、自分の持って来たネタも似た感じなんだけどと口にして。そんな不登校の生徒でも、大成した人もいるよねと例を挙げて行く。
例えば古い時代だと、“エジソン”は学校と言うか担任の先生から弾かれたそうだ。何度も授業中に先生に質問を繰り返すので、コイツは問題児だと判断されたのだ。
そんな文句を言われた母親は、それなら自分で育てると先生に向かって啖呵を切ったそう。その言葉通り、母親はエジソンに個人教育で知識を与えて行ったらしい。
その後の活躍は、アメリカ人どころか日本人の誰もが知る事となった。何しろ“発明王”との二つ名を得る程の有名人である、これじゃあ不登校ってナニってなってしまう。
まぁ、それも元の才能があっての事なのだろうけど。その才能を花開かせる“水”を与えたのは、間違い無く母親の『教養を与える』と言う名の献身である。
さすがのエジソンも、素養が無ければその先には進めなかったであろう。そう言う意味では、学校教育と言うのはそれなりに社会に出る準備期間としては重要なのかも。
もちろん、学校は社会生活での大切な事を全て教えてくれる訳ではない。それでも友達を作ったり、集団生活や素養を学んだりと大事な時期には違いない。
それを虐めによって登校拒否になり、受けられない者が多いのは社会的にも問題だ。もちろん、集団生活そのものに馴染めない者も一定数存在はするだろう。
その辺は、現代の教育機関の恒常的な問題でもあるようだ。画一的な教育方針を掲げて、生徒の個性を潰して平均化を促すような。
そんな教育環境では、例えばエジソンのような異端の天才は生まれない気も。
「確かにそうだよね……最近の人物では、台湾のデジタル担当大臣の“オードリー・タン”も不登校児だったらしいよ。彼は今や台湾のIT担当閣僚で、8歳からプログラミングを独学した天才だったんだけど。
子供の頃はギフテッドクラスってのに通ってて、先生の体罰や同級生の虐めに遭ってたらしいわね。それが理由で登校を止めた後は、ネットで学力を身につけて15歳で検索ソフトの開発をしたって話よ。
こんな感じで、学校に通わなくても大成する人もいるのよ!」
「確かに2人とも凄い人物だな……まぁ、日本人の場合は長いモノに巻かれろと言うか、出る杭は打たれる主義が蔓延しているからな。
異端とも思われる生徒に、温かい対応が為されるかは甚だ疑問だな」
「日本人の場合は、確かに難しいかも知れないな……でも直哉がこの苦難を乗り越えて、何かの分野で頂点まで登り詰めれば歴史に残る可能性もあるな。
これは凄くやり甲斐がある気がしないか、なぁみんな!」
そうだねとの賛同は、各所からは全く出はしなかったけれども。それを提案した充希は、1人でウンウンと納得した表情。当の直哉は、顔を蒼褪めさせて同意はしかねるって雰囲気である。
何にせよ、無理に学校に行くのを推奨されるよりは、話の流れは良いかも知れない。例え全ての不登校児が、話にあがった“エジソン”や“オードリー・タン”みたいには、知識に貪欲では無いとしても。
こうやって心配してくれて、毎週集まってくれている仲間を裏切りたくないと言う気持ちは直哉にも常にある。いやでも、頂点に登り詰める根性や才能は、恐らく全く無いと思う。
それでも、週末に予定されたお出掛け行事は、実は少しだけ楽しみかも。気分転換になるだろうし、直哉には田舎の生活には少しだけ憧れが。
野菜を作ったり、野外活動をしたりとか心が浮き立つ感じがする。
――その時の直哉は、そんな呑気な思いに溢れていたのだった。