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篠原忍(シノさん)と言う人物④



 場は現在、朋子ともこの放り込んだ昔のアメリカのニートの話で盛り上がっていた。その名も『ヒッピー』と言って、名前だけなら日本人にも馴染みはある筈。

 その内情だが、ヒッピーとは反戦や愛や平和を唱えるニート集団で、“自然回帰”を目指す独特な文化を持っていたとの話。その反面、麻薬やフリーセックスなど社会良識に反する事も行なっていたみたい。


 その運動は時代と共にすたれてしまって、今はヒッピー文化がわずかに残るのみ。その原因は不明だが、ニートが全ていなくなった訳ではないのだろう。

 まぁ、世界が愛と平和で満たされたから、ヒッピーが自然消滅した訳では無いよなと。充希みつきは毒のある物言いで、この問題に切り込んで行く。


「話を聞いていると、ヒッピーって何だか自然との調和を目指す宗教団体みたいだな。俺のイメージでは、ヒッピーって浮かれ騒ぐ若者集団って印象しかなかったんだが。

 映画か何かで見たんだったか、そんな印象が強いのは」

「そうかも、アメリカではそんな宗教団体が問題を起こした事件が、確か昔にあったもんね。自然と調和するにはお金はいらないから、全部教団に寄付しろと迫って。

 教団員は何も持たずに、毎日畑を耕したりする集団生活を送っているのに。教団のトップは、高級車を乗り回してそれが問題になって。

 最終的には、救おうとする警官相手に立て籠もったんだっけ?」


 新興宗教が起こす問題は、日本でも問題になった時代が度々あった。それのくくりで、和也もテレビか何かで目にした事があったそうだ。

 朋子はヒッピー集団は、宗教的な要素は無かったそうだけどと発言しつつ。自然回帰の目的で、西洋宗教を捨てて仏教やヒンズー教に傾倒はあったみたいねと口にする。


 瞑想とか、スピリチュアルの流れのはしりもヒッピーがになっていたそうで。そう考えると、良くそのまま宗教団体にならなかったなと思ってしまう。

 もっとも、1960年代は麻薬の規制も緩くて違法とまではなっていなかった。1970年代になって、ベトナム戦争の終焉と麻薬取り締まり強化の影響で、ヒッピー文化も段々と下火になって行ったそうだ。

 それでも、ファッションや音楽はいまだに根強いファンがいるみたい。


「なかなか興味深い事例だな、朋子。半世紀昔のアメリカのニート集団は、社会的な主張を自分達が職にかない事で行なって、反戦や愛や平和を主張してたんだな。

 そして働かずに空いた時間に、瞑想で己を高めたり文化活動を行っていたと。今の日本のニート集団とは、まるでアグレッシブさが違っててちょっと笑える内容かも」

「そう言われると確かにそうだな、だがまぁ……時勢も違ってるし、現代のニートとの比較対象にするには難しいんじゃないか、充希?

 今はネット時代だからな、独りで部屋にこもっても楽しい娯楽には困らないし。敢えて集団で何かしようって、そんな気勢は上がらないだろう」


 感心しながら、ヒッピーのアクティブさをしきりと持ち上げる充希に対し。基哉もとなりは別の考えと言うか、時代の要素も加味すべきと進言する。

 日本人も、学生運動なんかが白熱した時代もあったそうではある。とは言え、そのまま就職せずに社会的な主張を続ける勢力は、ごく少数にとどまった模様。



 そんな話で盛り上がる学生たちに、部屋の主のシノさんは引きった表情で固まっていた。話をしているのはメインの3名(充希+基哉+朋子)だが、和也も合いの手を入れたり分からない所を質問したりしている。

 結果、話し合いは盛り上がって外人さんの引き籠りは凄いなって事で落ち付いた。対する日本人の評価だが、時代なのか性格なのかあまりパッとしない。


 元から日本人は、そう言う所では真面目な性格なのかも知れない。政治的な運動を続けるより、己の生活の方が大事と言う判断も当然あったのかも。

 実際、ヒッピー活動をしていたのは、大半が裕福な中流階級の白人系人種だったらしい。彼らがどこまで反戦運動や、自己を高める活動に精力的だったかは今となっては不明。


 とは言え、現状の日本のニートより目的意識が高かったのは確か。ヒッピーの全員がそうだったのかも不明だが、話を聞く限り筋は通っている。

 対する現在のニートは、主に“逃げ”の手段として取られる事が多い印象だ。直哉なおやもそうだし、シノさんもそんな感じで引き籠っている模様。


 そんな事を、目の前の2人を見ながらつい考えてしまう充希。彼が今まで基哉と集めたニート像は、このシノさんなどはまだ良い方である。

 ネットに「死ね」とか様々な誹謗中傷を書き込む、クズなネット民の姿が第一に思い浮かんでしまう。これも情報収集の際に、基哉がニートのインタビューから発見したモノ。


いや、会社でのストレスで他人を攻撃する社会人も少なくは無いのだろう。とは言え、働かずに持て余している時間の使い方としては、余りに勿体無さ過ぎる。

 ネット内を徘徊する大多数は、大抵はニートなのでは無いかとの偏見はやっぱり存在している。そもそも真面目な働き手は、ニート程に自由に使える時間かないのは自明の理。


 シノさんみたいに、真面目過ぎて精神を病んでしまう引き籠りも確かに存在するのだろう。そうなると、やはり社会復帰は難しい問題になってしまう。

 日本人の性質的に、アメリカのヒッピーみたいに集団でバカ騒ぎとはなり難いのかも知れない。その辺の日本と外国の性格的な差を、充希は基哉に質問してみる。


「例えば将来、日本が戦争に巻き込まれたとするだろ? それで世間に反戦の機運が高まったとして、半世紀前のアメリカみたいにヒッピーみたいな集団は生まれるかな?」

「う~ん、それこそ学生運動レベルで終わるんじゃないか? 日本の学生運動は、最初こそ大学への抗議から始まったらしいんだけど。段々と過激になって、1960年代は反戦運動なんかも声高に叫び出してたみたいだぞ。

 それが過激になり過ぎて、死人なんかも出始めて徐々に下火になって行ったそうだよ。世間の評価を得られなくなると、抗議運動は成り立たないだろうからな」

「そうなんだ……それじゃあ日本は、元々ヒッピー文化は育たない土壌なのかな? 仮に現れたとしても、カルト集団みたいな目で見られて終わりかもだよね」


 朋子のまとめの話に、充希もそうかもなぁと同意の構え。過激な詩人の書いた詩から、そんな活動が始まるとは凄いと言うか夢はあるけど。

 アメリカは元から、長年の人種問題や戦争介入などの政治案件を抱えていた訳で。国民にしてみれば、その手に関する話題の発信源には敏感になっていたのだろう。


 対して日本は、島国で諸外国とは海で隔絶されていた環境となっている。性格が内向きになるのも否めず、その辺は仕方がないと言えるかも。

 日本人の気質として、その手の長年に渡る社会問題を仲間内で“議論”する機会は少ないのかも。テレビのワイドショーにしても、毎日舞い込むニュースに話題は次々と転換されて行く有り様だ。


 1つの問題をムーヴメントにする大変さを、充希は内心で思い悩む。朋子の提示した“ヒッピー活動”的な展開は、日本じゃ無理な気がしてならない。

 確かに、今までの案の中では一番ロマンにあふれてはいる。とは言え、今の日本は核家族化が進み過ぎて、しかも地域や隣近所との関わり合いも薄れている始末。


 こんな中で活動集団を作るのは、ハッキリ言って絶望的ではなかろうか。むしろ充希たちのように、学生である事が唯一の優位な期間なのかも知れない。

 社会に出てしまったら、仕事優先で友達などは出来ない環境にシフトされて行く。仕事は『お金を稼ぐため』にこなすのであって、仲間を作るためでは決してない。

 そう言う意味では、学生たちで『ニー党連合』を作ったのはタイムリーだった気も。



 当のシノさんに関しては、知り合いのニートなんていないし、いても手を取り合って活動なんてとっても無理みたいな顔付き。それは直哉も同様で、何でそんな大げさな話になるのって表情をしている。

 どうやら近場な所からの“ヒッピー活動”的な展開も、始める前から頓挫とんざしそう。まぁ、ヒッピーを全部パクるつもりはないが、集団化すれば出来る事も増えて行くのは道理ではある。


 半ば冗談で2人に圧力をかましていた充希だが、そう簡単に事は運ばない模様。2人ともニート生活で、時間は有り余っている筈だと言うのに。

 内心でそんな文句を並べ立てながら、充希はそれでもこの“所属”案を3つ目の候補に入れる事に。その苗床なえどこに、まずは『ニー党連合』がなれば良い。


 つまり今日だけでも、“感謝の芽生え”と停車駅となり得る“差し伸べる手”の2つに加え。3つ目の“所属先を作る”案を、見事に思い浮かべた事になる。

 それもこれも、やはり仲間達の発言あってこそだろう。


 そうは言っても、そこからどう展開して行くかはまだ何も決まっていない。この先も、仲間の助けが必要なのは当然だし、内心で頼りにしている充希である。

 それにしても、当時に流行っていた詩から“ヒッピー文化”まで広がりを見せるとは。例えば今のユーチューバーに、果たしてそんなカリスマ的な人物が存在するだろうか。


 現在の話題の発信源と言えば、やはりユーチューブを始めとするSNSに他ならないだろう。充希もたまに見るが、ペットが可愛いとか踊ってみたとか、大食いがどうのやら内容はほぼ無いモノが大半だ。

 基哉もとなりに聞けば、有意義な動画もあると教えては貰えるだろう。ただ、果たして自分達の手で、世間にムーブメントを起こす動画が作成出来るだろうか。

 そう言われると、思いっ切り自信の無い充希である。





 ――そう、まず取り掛かるのはやっぱり配信からがベターかも。








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