篠原忍(シノさん)と言う人物①
それぞれ自己紹介が終わって、室内には何となく温まった雰囲気が漂って来た。それは幻なのかも知れないが、少なくともお互いに面識は得られた格好に。
それに勢いを貰った形で、学生たちは各自で持ち寄った質問を確認し始める。それから、質問する順番を決めての会合の始まりを基哉が告げた。
ちなみに朋子は書記役を務めるつもりか、メモ帳を手に真面目顔を保っている。この集まりを軽んじていないのは、恐らくこの部屋の主にも伝わっている筈。
話し合いの結果、議長(?)の基哉から質問をスタートする形に。
「それじゃあ最初の質問を、僭越ながら俺から……ええっと、シノさんは長い1日を何をして過ごしているのかを伺っていいですか?
生活のルーチンワークは、存在するのかを聞かせて下さい」
「あっ、質問が被っちゃったわね……まぁ、それは仕方無いか」
基哉の質問は、どうやら朋子と被っていたようで残念そうな表情を浮かべる朋子。若い学生さんから畏まってされた質問に、シノさんは何とも言えない表情に。
それでもモゴモゴと、真面目にその質問に答えてくれるシノさん。彼も昔はネットゲームばかりで時間を費やしていて、怠惰な生活を送っていたそう。
今もそれは大して変わらず、ゲームがネット小説や漫画やユーチューブなどの動画に変わっただけ。つまりは、ほぼネットに繋いでの時間潰しで日々を過ごしているみたい。
その答えを聞いた学生ズの反応は、うわって感じの時間の無駄使いへの批判の視線。もちろん彼らは、毎日平均6時間以上の学業に励んでいるのだ。
全く働きもせず、怠惰に過ごす年上の大人を見下す権利はあるのかも知れない。ただしそんな否定から入っても、相互理解には至らないのは確かな事実。
そこは親戚で、シノさんを紹介した和也があまり詰めないでとの念波をすかさず送って来た。さすがに紹介者の顔は潰せないと、その意を酌む形で追及をしない充希たち。
とは言え、その表情は隠しようも無く、若い面々の苦り切った顔は如何ともしがたい感じ。もっとも充希だけは、相変わらずのポーカーフェイスを保っている。
今はお金が掛からない娯楽が、ネットにいっぱいあるんだよとのシノさんの言い訳が続く。それに対しても、学生ズの間に賛同者は皆無の空気が。
せめて何らかの、有益な事をしているのかと考えていた一同の残念感は相当なモノみたい。最初から肩透かしと言うか、これではせっかく足を運んで来た甲斐も無い。
ただし、ニートの日常を知れたと言う点では大きいかも? まぁ、サンプルはたった1人分なので、データとしてはまだまだ弱いけど。
そこは、焦らずに最初の1歩を踏み出したって事で。
そもそもシノさんが、一般的なニートの生活の標準なのかは判然としない。たまに夜の散歩とかもするよと、雰囲気を察して挽回の発言をしようとするシノさんだったり。
それがどうしたとの学生たちの視線に、とうとう黙り込んでしまった部屋の主である。他に質問あるかなぁと、親戚の和也は何とか場を盛り上げようと必死。
それに対して、次は私がと朋子が名乗りを上げての2つ目の質問を投げかけた。そもそも部屋に籠った原因があるのなら、差し支えなければ教えて欲しいと。
女子高生のその問いに、何故かテンションの上がっている様子のシノさんである。色々あるけど、まぁブラック企業からのドロップアウトが原因かなと過去を振り返る部屋の主。
その辺は、和也も窺い知っていて嘘は無いよと隣で同意の頷きをしている。過労で精神を病んでしまったとの、あらかじめ聞いていた話とも合致する。
ただし、それを当人の口から聞くとそれなりの衝撃だった。
「まぁ、サービス残業は当たり前、上司のパワハラは言うに及ばずな会社を引いちゃってね。一時期は、死んだら勤めに出なくて済むなって考えが頭の中を占める様になったよ。
精神も病んだけど、体の不調も酷かったね……血尿に胃潰瘍、躁鬱も酷かった。無事に辞められて、逆にホッとしてるよ」
「えっと、シノさんはその後も何度か再就職はしたんだっけ? 最終的には、派遣の仕事で食いつないで、それも長続きしなかったんだよね?」
「派遣は最悪だよ、今は各種条件がようやく法的に整ったみたいだけどさ。昔は有休も無くて、首切りも派遣先の一言で一瞬だったりと人権なんて無かったからね。
派遣会社も、今は物凄い数が存在するだろう? それこそ雨後の筍のように、あちこちから参入してるのは何でだと思う?
派遣員と企業の橋渡しで、両方から楽に搾取出来るからさ」
そんなに派遣会社って、たくさんあるのかと充希が基哉に質問をぶつけている。バイトをした事の無い充希には、その辺の事情は難解で不透明だった模様。
首を傾げる両者に、バイト情報誌を見れば一目瞭然だよと勢いを増すシノさんのトーク。しかも派遣会社の間にも、優劣はバッチリ存在しているのだそう。
例えば同じ企業内に、別々の派遣会社から出向した派遣員がいたとして。その2人の契約内容など諸々、ぶっちゃけ時給すらも違う可能性があるそうなのだ。
全く同じ仕事をこなして、派遣先が違うだけで1日の給料が違って来るのは誰もが不公平だと思うのも当然。派遣会社によって、出向チェックが繁雑だったり給与の振り込みが面倒だったりと、それは実際に派遣会社に赴いてみないと分からない事。
勤め先をゲットする前に、派遣会社を選考する所から始めないといけないとか。働く側からすれば、2度手間と言うか本末転倒で働く気も失せる。
企業側も非正規雇用者を自ら管理する手間を嫌って、このシステムに全乗っかりするスタイル。何しろ、その非正規雇用者が変なコトをしたりバックれれば、派遣会社のせいに出来てしまうのだ。
そして不足分は、新たに複数の派遣会社に催促出来るメリットも。
こんな搾取の連鎖が出来上がってしまうと、損するのは派遣される側ばかり。シノさんの口調はどんどん滑らかになり、その不当性は正規社員との差にも及んで行く。
雇用体系が違うので、給与が違って来るのは当然ではあるのだが。派遣員から見れば、全く同じ仕事をしていての不平等さは如何ともし難い。
今は多少なりとも法律が整っているが、昔は有給の権利が全く無かった。そして現在も、同じ仕事をこなしているのにボーナスや長期休暇が無いのは当たり前。
法律がある程度改善されて、何とか会社の健康診断は受けさせて貰えるようになったとは言え。同じ仕事をしていて、どうしてこんな卑屈な気分にならないといけないのかとの思いは常にあって。
そんなメンタルでは、仕事への意欲も失せて勤労も長続きする筈もない。結果、短いスパンで派遣会社探しを含めて職を転々とする破目に。
そこで更に神経をすり減らし、次第にその努力に虚しさを覚える破目に。その後の結果は、君たちの目の前にあるよとシノさんは話を締めくくった。
「なるほど、シノさんの言いたい事は何となく分かったけど……でもゼロよりは、働いて給料を得る方がプラスだとは割り切れなかったのか?
普通に生活しているだけで、金が掛かるのが人生だろうに。食費や小遣いとか、年金や保険の支払い位はせめて自分で払うべきじゃないのかな?」
「ええっ……ニートの人達って、それら全部を親に支払って貰ってるの?」
充希の真っ当な正論の並べ立てに、驚いた表情での朋子の追従。シノさんの隣の和也は、そんな風に詰め寄らないでと必死に怖い顔を作っている。
基哉も友達の案に同意して、一時期話題になったニート問題を知らないのかと朋子に訊ねる有り様。それから直哉を助けるだけの単純な活動では無いぞと、『ニー党連合』の意義を改めて皆に唱える。
ついでにこの集会の意義も、極めて重要だぞと充希もその言葉尻に乗る発言。『ニー党連合』の話は置いといて、少しでもこの問題の切り口を皆で探し出さないと。
語り部のシノさんの問題もそうだが、それを上手く直哉の将来にも繋げたい。でないと、時間を作ってこんな場所までやって来た意味がないではないか。
そう大風呂敷を広げる充希に、何だか物凄く感銘を受けた風の朋子である。『ニー党連合』って、壮大な使命の元に生まれたのねと呟いて改めて決意の眼差し。
戸惑うシノさんは、何言ってんだこの学生共はの表情。こんな未成年の少人数集団が、世に蔓延る重大問題を解決しようと息巻いている姿はかなり滑稽である。
ある意味、現実感すらなく見えてちょっと笑ってしまう。
「それは本気で言ってるのかな、その何とか連合でニート問題を解決するって? 若気の至りにしても、ちょっと突飛過ぎて全くついて行けないんだが……。
人のポッケに、勝手に他人が手を入れて来るような世の中なんだぜ? 相手はバレてない顔付きだけど、その厚顔無恥な行いはいずれ自分にも返って来る。
いや、世の中の崩壊の方が早いかもな……まぁ、そんな考えも俺が働かないって理由には弱いのかも知れないけど」
「確かにニート問題がある種の病気だと捉えると、医師免許を持たない俺たち若造には手出しは出来ないだろう。だが、環境や考え方を変えて済む問題なら、幾らでも遣り様があるとは思わないか?
それこそ、ニートは推定70万人以上はいるって話だ。それらが1つに纏まりさえすれば、政党を立ち上げてシノさんの言ってた不平等だって改変出来るだろう。
最初から諦めて何もしないのは、最悪の現状維持に他ならないと思うがどうかな?」
――そう口にする充希は、態度だけは党首の風格が漂っていたり。




