水曜日の馴れ初め②
その邸宅も、住宅街の中で特に目立った風貌では全く無かった。むしろ周囲に溶け込むような、何の特徴も無い小さな庭付き一戸建てだった。
表札には『篠原』と出ており、なるほど和也が言う“シノさん”は名字から来ているみたい。ところが彼の話では、名前が“忍”だからシノさんらしい。
チャイムを押して現れた母親らしき人物は、こちらの人数を改めて知ってギョッとした表情。和也が慌てて、みんな友達と紹介するとその態度も幾分か軟化した。
特に基哉や朋子の制服は、有名私立の権威を振るって信用感は半端無い。何故か世間は、ランクの高い高校=そこの学生は悪さをしないと考える風潮があるようだ。
そんな気配を察した和也は、ホッと一息ついて会えるかなと改めて親戚のおばちゃんに問いかける。その問いに、母親らしき年配の女性は2階へと視線を送った。
まぁ、相手はニートなので、勝手に出歩いてすれ違いなんて事は無いだろう。偏見かもだが、アクティブに出歩くニートなんて漫画の中だけの話って考えてしまう。
さすがの充希も、この場では出しゃばらず交渉は和也に任せる模様。ここまでセッティングして貰ったのだ、変に横からしゃしゃり出てセッティングを無駄にしたくはない。
そんな背後からの圧力に、和也も交渉に熱が入る。
「まぁ、忍にとっても良いカンフル剤になるかもねぇ……でもあんまり刺激しないでね、和也君。暴れる事は無いと思うけど、精神的な負担がどうなるかなんて分からないし。
本当にお願いね、私は居間にいるから」
「大丈夫です、話を聞くだけだから……まぁ、俺もシノさんと話すのは随分久し振りなんだけど。俺が小さい頃は、よく遊びに連れてって貰ったっけなぁ」
懐かしそうにそう話す和也は、決して演技だけでは無い柔らかな表情。それで母親も随分と安心したようで、話が終わったら声を掛けて頂戴と奥へと引っ込んで行った。
その後ろ姿は、なんだか長年の疲労が圧し掛かっているように見える。ニート問題って、ひょっとして本人だけでなく家族まで苦しめる大問題なのかも。
特に学生集団の一番後ろに佇む、直哉は身につまされる思いだったり。自分の母親が日に日にやつれて行って、その心的原因が自分だったらと想像すると何ともやるせない思いになってしまう。
そんな居たたまれない気持ちが沸き上がるも、その解決法は全く思いつかない。復学すれば解決はするのだが、簡単にそう出来たらこんなに思い悩みなどはしない。
頭の出来が、急に良くなるのなら話は別だけど。
それからコミュ力が急について、自分の短所が全部消え去れば全て上手く行くかも。現実逃避の妄想で、そうなったらもはやその人物は自分では無いってのは分かる。
そんな妄想にしか、逃げ場所が無い人間だって存在するのだ。恐らくは、今から会うシノさんとやらも、同類なのだろうと直哉は暗い気分でそう思う。
果たしてそんな会合に、目を見張る程のメリットがあるのかは不明だけど。同級生たちはあると思っているようで、まぁ何もアクションを起こさないよりマシなのかも。
そんな事を考えつつ、一行は用意されたスリッパに足を通してお邪魔しますと一言。それから和也の先導で、2階へとぞろぞろと上って行く。
そうして対面したシノさんは、長髪で髭だらけの凄まじい容貌だった。着ているスウェットだけは、辛うじて清潔でその点は良かった。
年齢不詳のその人物は、割とあっさりと和也の声掛けに応えて部屋の扉を開けてくれた。そしてやっぱり、待ち受けていた学生の多さにギョッとした様子。
遠慮の無い充希が部屋へと上がり込むと、他の面々もなし崩しにお邪魔しますと行動を同じにする。その中に可憐な女子高生が混じってるのに気付いて、シノさんは顎が外れそうな驚き顔に。
大急ぎで仲間の紹介を始める和也は、その場を取り繕おうと割と必死。最後に問題の不登校児、直哉を紹介するとやっとシノさんも理性を取り戻したよう。
それから、なるほど君がそうなのと同類を憐れむような表情に。俯くしか出来ない直哉だが、同情を向けて欲しくてここに来た訳ではない。
もっと前向きな解決策の筈で、それに多少なりとも勇気づけられる直哉であった。その感情に後押しされて、宜しくお願いしますと自然に挨拶が口から出る。
それに、やや虚を突かれたようなシノさんの表情。
その表情の変化も、無精髭のせいで実は良く分からないと言う。それは直哉も似たようなモノで、帽子やマスクが無いと外を歩けないような心理状況は後ろ向きな気が。
そんな世間に対する恥と言うか、負の感情を勝手に脳内で作り上げているのかも知れない。特に心配や面倒を掛けている、肉親に対しての顔向け出来ないと言う心情を含めて。
こうやって改めて対面して見ると、やっぱり思い知る事は色々とあったみたい。両者はさっそく何となくシンパシーを感じつつ、同時に居たたまれない表情に。
もっとも、他の学生たちは室内を眺めて勝手に寛ぎ始めていたりして。座る所を確保したり、充希に至っては臆面もなく家探しに興じている始末。
「ふむっ、やっぱりニートの日常はパソコンか読書での時間潰しなのか……外出しないのなら、自然とそうなっちゃうのは理解は出来るけどな。
昔のニートは、一体どうやって有り余る時間を過ごしてたんだろうな」
「昔の人はもっと大らかだったんじゃないかしら、そこまで後ろ指差される事も無くってさ。そりゃ、確かに肩身は狭かったかもだけど。
たまに家の手伝いとかして、お小遣い貰ったりとかしてたんじゃ?」
「なるほど、便利な世の中になった弊害で、引き籠り型のニートの量産に繋がったと。その辺の事情に関しては、物凄く興味深いよな。
例えば文明の発展で夜から闇が払われて、妖怪の類いが姿を消したみたいな理論かな。ひょっとして、昔の妖怪と現代のニートはイコールで結ばれるのか!?」
そんな充希の飛躍した推測に、そんな訳無いだろうと冷静なツッコミが隣の基哉から。いやでも、その推測はとっても面白いわと、何故か擁護の構えを見せる朋子である。
とにかくみんな座って話そうよと、この場を取り仕切る動きの和也の声掛けで。ようやく一同は、部屋の中央で車座になって腰を下ろす事に。
シノさんの部屋は、普段はどうかは分からないけど一応整理整頓は為されていた。不潔って程でもなく、唯一の女性の朋子が眉を顰めるレベルでも無く一安心。
とは言え、乱雑な生活感が顔を覗かせるエリアもチラホラ。幸いにも、部屋が8畳あってベッドも置いてないので、全員が座る空間が確保出来ている。
その点は、ホスト役をこなす和也もホッと胸を撫で下ろす。何しろ紹介した手前、友達に不審者レベルの人間を引き合併せるのはとっても不味い気がする。
特に今回は、女子高生も1人混じっているのだ……その点は、細心の注意を払わないと今後の自分の立ち位置が弱くなってしまう。最悪の場合、せっかく出来た友達の繋がりが消滅してしまう可能性も。
幸いにも、この両者の面会からの出だしはまずまずと言って良い。当のシノさんに至っては、同類の直哉にはシンパシーを感じているようで好印象の感じを受ける。
モロ女子高生の朋子のオーラには、何となく気もそぞろな印象なのはアレだけど。
恐らく、朋子本人には聞こえなかっただろうけれど、「その制服は聖和華女学院!?」との呟きは、和也の耳にはしっかりと届いていた。
それだけのブランド力を、その女子高は昔から持っていたのだろう。それはまぁ良い……変な事に及ばず、この場を穏便に過ごしてくれれば。
「おっと、勝手に部屋に入ってしまって申し訳ない……和也君から大まかな事情は聞き及んでるとは思いますが、改めて自己紹介からしましょうか。
その後に、本題に入らせて貰いますが宜しいですか、シノさん? おっと、自分は習志野基哉と申します。気楽にモッチーと呼んでください。
学校は一応、七都万高校に通ってます」
そこから順次、始まる学生たちの自己紹介であった。もっとも、和也だけはそれを免除されて、その代わりに親戚のお兄ちゃんのシノさんを軽く紹介する。
よろしくと軽く会釈するシノさんは、やはり基哉と朋子の存在にやや過敏な反応を示した。それから直哉の自己紹介には、同類を憐れむような表情に。
ただし、充希の自己紹介には特に何の反応も示さず。まさかこの人物が、この『ニー党連合』のトップだとはシノさんも全く気付いてはいない模様。
もっとも和也も、『ニー党連合』については一言も話してはいない。さすがに滑稽と言うか、不真面目に捉えられてしまう可能性が高いからだ。
それは良いのだが、肝心のシノさんの反応をこっそり窺っていた和也は愕然としてしまった。部屋の主のニートの視線は、あからさまに朋子に注がれてデレている有り様。
反応するのはそこかよと、何となく心の中でツッコミを入れる和也だったり。果たしてこんな人物に、人生の教訓を問い質して良いモノか。
既に充希や基哉は、聞く気満々でスタンバイに余念がない。朋子も書記役らしく、メモ帳を取り出して準備オッケーのサインを出している。
それじゃあ用意した質問を、ぶつけて行こうかと楽しそうな充希の音頭取り。
――和也の心配をよそに、質疑応答は始まってしまった模様だ。