月曜日の憂鬱③
その日の帰り道、充希は駅前のレンタル屋に寄ってみた。地元の皆とは途中で別れて、総合本屋のなれの果てのような店舗へと入って行く。
最近はレンタル屋ばかりか、本屋もCD屋もどんどん姿を消して行っている。ネット時代の弊害を街の景観に感じつつ、何とか頑張っているレンタル屋に内心でエールを送る充希である。
そんな充希の目的は、さっきの会合で話題に上がった『東のエデン』を借りる事だった。アニメコーナーには劇場版もあったのだが、充希は敢えてアニメ版を全巻借りる。
次の集会まで2日の猶予があるので、のんびりと余裕をもって観賞するつもり。そんな訳で、夕食と風呂を終えて見始めるが、リビングのテレビで観たのが不味かった。
なるほど、アニメ自体は各所に謎がちりばめられていて、飽きさせない作りではある。ところが岩尾家の父親と姉まで、リビングに居座って観賞し始めたのは予想外。
いやまぁ、家族もテレビを観る権利はもちろんあるのだが。
「あらっ、珍しくアニメなんか借りたの、充希? それにしても、1話目から主人公が真っ裸って……まぁ、最初の掴みとしては及第点かな。
ってかこのアニメ、随分と昔の奴じゃない? 確か、『ハチミツとクローバー』の羽海野チカ先生が、キャラ原案をしてた奴だっけ?
女性受けも狙ってたのかな、まぁ絵柄からしてそんな感じだよね」
「ホワイトハウスが出て来るって、何か政治的な意味合いを含んでるのかな? 充希がアニメを観るなんて本当に珍しいね、一体どんな風の吹き回しだい?
ふむっ、主人公は記憶喪失なのか……」
「ちょっと、今日の友達との会話で話題にあがってね……ニート関連の題材を取り扱っているそうで、観てみる事にしたんだよ」
ところが肝心のニートは、なかなか出て来ず数話が過ぎる流れに。その間のメインは、朋子も気に入っていたと言う主人公とヒロインの、微妙でモヤッとした恋の距離感みたい。
それが数話進んでも一向に進展せず、観ている方としてはもどかしい事この上ない。それよりニートに関しては、どうやらいきなり大量失踪して事件まがいな模様との情報だ。
その点も謎の1つなのだが、どうも主人公が1枚嚙んでいる臭い。話に聞いた通り、主人公は『ノブレス携帯』を所持しており、85億の電子マネーを使える身分との話。
変わっているのは、そのお金を“お願い”にも使える事か。
それにしても、充希の父親と姉はツッコミを交えて批評が騒がしい。アニメの設定に文句を言うのも、どうかと思うがこれが岩尾家の日常ではある。
仕舞いには、台所の片付けを終えた母親もリビングに合流を果たした。一層賑やかになった中、家族は仲良くアニメの視聴を続ける。
そのお金を使う際に、主人公たち12人の選ばれし者は、携帯で“ジュイス”と言う人工知能に語り掛ける模様。それを観た姉が、確か“Siri”の開発に携わった“オードリー・タン”も、学校に通わずネットで知識を身につけたそうだよと知識を披露する。
それが今や、政府に請われて台湾の『デジタル担当大臣』である。まぁ、この人物の場合は子供の頃から神童と呼ばれていて、溢れる才能あっての事だろうけれど。
そんな特殊な不登校児の話を交えつつ、両親も今やIT時代だからなぁと妙な相槌を打っている。そう言えば『ニー党連合』の会合でも、IT関係の職種は話題に出ていたような?
父親は、IT産業に関しては日本は完全に出遅れているねと残念そうな物言い。充希の代で世界に追いつけば良いけどと、やけに壮大な話をしている。
その出遅れの理由を姉の彩夏が訪ねると、企業の問題が大きいんだろうねとの返答である。父親の話によると、日本のIT産業は飽くまで総合家電メーカーの1部門として生まれたそうな。
そしてその発展と重要性を、企業のお偉いさんたちは見抜けず力を注がなかったのだ。しかも日本のメディアも、IT業界はお先真っ暗と報じて優秀な新入社員も寄り付かなかったらしい。
「結果、日本のIT産業と事務関連のIT化は、世界から大きく後れをとる事になった訳だ。今やどの家電にも必要な、半導体チップの不足はそんな企業やメディアの失態が尾を引いている形かもね。
ハードもそうだが、ソフトも旧態依然とした仕事のやり方の簡易化に一役買ってくれる筈なのに。なかなか社会に広まらないのは、本当にもどかしいね」
「確かにコロナ禍では、オンライン会議やテレワークがあんなに持てはやされたのにね。今じゃ元に戻って、満員電車に揺られる日々が戻って来ちゃってるよ。
時代とか価値観って、そんな簡単に変われるモノじゃないんだねぇ」
そんな相槌を打つ姉の彩夏も、充希とは7つ歳が離れていて今や立派な社会人である。毎日の会社通いを、相当ストレスに感じている模様。
アニメを観ながら私も大金欲しいわとボヤく姉だが、特に何に使いたいとかは無いみたい。精々が友達と旅行に行ったり、家族にプレゼントもするよと両親からのポイントを稼いでいる。
それを聞いて、ただのリップサービスなのに喜ぶ単純な両親だったり。
話の結末に達しないまま、時刻は既に10時を過ぎてしまっていた。明日も学校の授業がある身としては、あまり夜更かししてはコンディションに影響する。
こんな時はニートが羨ましい……とか、間違っても思っては駄目なのだろう。明日の時間割を思い出す充希は、体育が2限目にあるジャンとか思わず愚痴るのは仕方がない。
汗を掻いたまま次の授業を受けるとか、拷問でしか無いと充希は思う。
充希が今日はここまでにしようと言うと、家族もそれぞれ寝る準備を始める。この辺も、岩尾家のタイムテーブルと言うかいつも通りの流れではある。
そんな中、父親が疑問に思ったのか、ニートの勉強を急に始めた顛末について問うて来た。隠すつもりも無い充希は、先週からの一連の出来事を簡単に説明する。
「へえっ、昔の同級生が不登校になっちゃったんだ……まぁ、こういう言い方はアレだけど、今時じゃ珍しい事でもないわよねぇ。
私の同期にも、せっかく入社したのに1ヶ月で会社辞めた人もいるわよ。学生時代はどうだったかな、中学や高校の同じクラスにはいなかったと思うけど」
「うむっ、人の精神負荷の耐久度は、やはり人それぞれなんだろうなぁ……ストレスや環境変化に強い者もいれば、ついて行けずに精神を病んでしまう者も出るのは仕方がない事かも知れないね。
しかしまぁ、相談に乗ってくれる友達がいるのは有り難い事だよ。我々も協力するから、充希はその友達への助力を頑張りなさい」
「ありがとう、親父殿……ちなみに、もし俺が急に不登校になったら、親父殿はどうする?」
その発言に、何故か姉の彩夏は爆笑し始めてしまった。どうやら充希の傲岸不遜な性格では、どうやってもニートになどなれないと思っている様子。
確かにニート問題は、繊細な性格が根底にあるのかも知れない。ただの怠惰で何年も部屋に籠るのは、それはそれで大変な忍耐が必要になって来る気も。
ところが父親はそうは思わなかったようで、じっと考え込んでしまった。それから現在のニート問題は、家庭環境にも大きく依存してるんじゃないかと口にする。
それならウチは大丈夫じゃないかしらと、母親も就寝前のパックをしながら会話に割り込んで来た。どうやら今までの話は、会話に加わりこそしなかったが完璧に把握している模様。
父親の“家庭環境の要因”は、つまりはある程度の家庭の豊かさも含まれているとの事。要するに、両親の稼ぎの元に引き籠りは成り立つとの推測である。
それはそうだねぇと、父親の言葉に姉の彩夏も同意の素振り。とは言え、弟のニート化は微塵も無いと思っている節はアリアリである。
それから先ほどの充希の質問に、鷹揚に答える父親の雅紀。こういう親子間での問答は、定期的に行なってるので答え出しも割とスムーズである。
そんな感じで出した答えは、ある意味充希の予想を超えていた。
「その時は、私も会社を長期休暇してみるかな? 長い人生、煮詰まる事だってあるだろうさ……一緒に休暇して、山陰なり四国一周旅行なりするのもいいんじゃないかな。
どうだい、良いアイデアだと思わないかい?」
さっき見たアニメの内容は、途中まで観たが和也が語っていた通りに自分達の模範にはならないだろう。ただし、ニート問題を何とかしようと言う風潮は、スマホが折り畳み携帯の時代からあった模様だ。
だがその頃より、社会問題はより複雑化してしまっているのは紛れもない事実。経済格差はより広がって、学力を身につけても正規雇用も儘ならない現状と成り果てている。
大学を卒業した大半の若者が、奨学金の返済に追われて働き盛りを貧困で過ごす時代である。出生率の低下も当然だし、経済の停滞もそうなるなって感じ。
公務員は『なりたい職業』1位から、見事に転落して今やユーチューバーが上位の常連である。ガラケー時代の、一体誰がそんな未来を予想しただろう?
充希はそんな益体も無い事を、悶々と考えながらベットに入る。明日の学校の準備は既に完璧だし、後はぐっすり眠って今日の疲れを取るだけ。
部屋を暗くして、5分も経たぬうちに充希は夢の中へ。
――『ニー党連合』の船出は、こうして為されたのだった。