2.問題発生
資料の見方や分け方、来客時の対応の仕方や顧客からの要望のメモの取り方など、毎日様々なことを教わりながら、同時にあちらこちらへと忙しなく出かけて行く日々がしばらく続いて。気が付いた時には、すでに十日が経っていた。
(もう、そんなになるんだ……)
途中お休みの日もあったはずなのに、覚えることが本当に多く家でも仕事のことを考えていたせいか、この十日間がものすごく濃い毎日だったように思えてしまう。
オーナーからは、初めから読み書き計算が全てできる女性は珍しいから雇って正解だったと言われたけれど、逆にどうして十六歳という初仕事だと分かるような年齢で、こんなにも待遇のいい職場に雇ってもらえたのかがようやく理解できて、改めて両親に感謝する機会もあった。貴族相手だと必要になることもあるからと言われ、両親ともに大人になってから必死に学んだという話を聞いていたから。幼いうちに私たち姉弟にしっかりと教育を施してくれたことは、今後生きていくために本当に重要なことだったのだと実感した瞬間でもあった。
(それにしても)
どうして仕事中はずっと女性の格好をしていて、どうしてオーナー室にいる時以外は女性のように振舞っているのか。
依頼品の最終調整のために、今日は朝から作業部屋に籠もっているオーナーを思い出しながら。オーナー室にある顧客資料の整理をしている私は、この十日間ずっとそばで見てきたからこそ湧いてきた疑問を、今もまだ本人に聞けずにいた。
それまでは人柄をあまりよく知らなかったので、元々の性格がそういう人、つまり女性の格好をするのが好きで女性になりたかった男性なのだと思っていたけれど。素のオーナーは、どう考えても男性で。出勤時の服装を考えても、好きで女性の格好をしているというわけではなさそうだったから。
(そもそも女性向けだけに特化している理由も、よく分からないし)
ブティックのオーナーが男性の見た目をしていては、採寸時などやりにくいからかもしれないと予想することはできるけれど。それならばいっそ、男女両方の商品を取り扱えばよかったはず。
それなのに、オーナーはそうしなかった。きっとそこには、何か理由があるはずだけれど。
(十日程度しか一緒にいないのに、そんなこと急に聞く勇気なんてないよね)
もっと親しくなれば、もしかしたら疑問を問いかける機会も訪れるかもしれない。けれど現状では、私はオーナーの助手兼事務員兼お世話係になったばっかりで。仕事上の付き合いもまだまだ短いのに、そんなに踏み込んだことを聞けるような関係性になるなど、もっとずっと先の話でしかなかった。
なので今も疑問を胸の中に抱えたまま、ただ目の前の仕事にだけ向き合い続けていると、突然オーナー室の扉をノックする音が耳に届いて。
「あの……、オーナー、いらっしゃいますか?」
続いて聞こえてきた遠慮がちな声に聞き覚えがありすぎた私は、急いで扉を開けたのだった。
「エミィ? どうしたの?」
「あ。よかった! ライラがいるってことは、オーナーも……って、あれ? もしかして、今作業部屋?」
「うん。最終調整してるところ」
そう答えはするものの、普段営業時間内にオーナー室に従業員が足を運ぶことなど滅多にないので、よほどの緊急事態もしくは急ぎの依頼があったとしか思えない。なので少しだけ身構えながら、すぐにでもオーナーを呼びに行けるようにと意識を切り替えた私に。
「実は、初来店の貴族のお嬢様がいらっしゃってて……」
案の定エミィは、オーナー対応が必要な事態が起きていることを教えてくれた。
「オーナーの噂をどこかから聞きつけてきたらしくて、次のお茶会用のドレスを仕立ててほしいって言ってるの」
「使用人じゃなくて、ご本人がいらっしゃってるってこと?」
「そう。だから私たちで判断しながらの対応もできなくて、今先輩方が頑張ってくださってはいるんだけど……」
最後の歯切れの悪さから、おそらく面倒なお客様なのだと察してしまった私にできることは、一つだけ。
「少し待ってて。オーナーに話してみるから」
「うん、ごめん。お願い」
エミィの深刻そうな表情に私は一つ頷いてから、一度オーナー室の扉を閉める。今私が話しかけて男性のままの受け答えをされてしまえば、今まで隠し通せていたオーナーの秘密がバレる可能性が高い。私のせいでそんなことになってしまったら本当に申し訳ないから、エミィには悪いけれど部屋の外で待っててもらうのが一番だと判断した。
「オーナー、少しよろしいですか?」
作業部屋の扉をノックしてから、声をかける。最終調整ということはかなり集中しているはずだけれど、こればっかりはオーナーに対応してもらわなければならない案件だから、仕方がない。
「どうした? 何か問題でもあったのか?」
集中しすぎていて聞こえていなかったらどうしようと考えていたけれど、どうやらそれは完全に杞憂だったようで。すぐに作業部屋の扉が開いて、中からオーナーが顔を出してくれた。しかも事情は何も知らないはずなのに、なぜか真剣な表情でそう問いかけてくれたので。
「はい。店舗に新規の貴族のお嬢様がいらっしゃっているそうなのですが、どうやら少々問題が起きているようでして」
私はそれに頷いて、軽く説明だけを返す。もちろんオーナー室の扉の向こうには、知らせに来てくれたエミィがいることも伝えておいた。
「なるほどな。俺が出てくる前に呼びかけてくるなんて、どんな問題が起きたのかと思ったが。確かにそれは、こっちで対応しておいたほうがよさそうだ」
そう言ってオーナーは、自分の着ているドレスを見下ろす。おそらく布やレースの切れ端がついていないかを確認しているのだろう。しっかりとスカートの端を持ち上げて後ろまで確認していたので、私も念のためオーナーの背中側にまわって確認する。
「後ろは大丈夫そうです」
「そうか。じゃあ、行くか。ついてこい」
「はい」
店内での対応が不可能だと判断した場合に、オーナー室に案内する可能性も考慮してなのだろう。言われた通りオーナーの後ろについて、部屋を出た。
「あっ! お疲れ様です。あのっ」
「大体の事情は聞いたわ。他のお客様の迷惑になってはいけないから、急ぎましょう」
「は、はいっ」
颯爽と歩いていくその背中を、私とエミィで追いかける。その際に少しだけ見えたエミィの表情は、どこか安堵していたようにも見えて。けれど同時に、私にもその気持ちはよく分かるから。
(男性だからとか、ボリューム感のある型のドレスだからというのも、もしかしたあるのかもしれないけど)
この人ならば大丈夫だと安心させてくれるような、そんな何かを感じさせてくれるほどに。自信に満ちたその背中が、とても大きく頼もしく見えたのだった。