6.可愛い弟
その後は、ちょうど紅茶がなくなったタイミングで今日は解散ということになって。暗くなる前に、家路についたのだった。
ちなみに支払いの際にエミィが「今日は私が話を聞いてもらいたかったから誘ったの! だから私が払うから!」と言って、譲ってくれなかった。なので今回はその言葉に甘えてお願いすることにして、またどこかで今度はお返しができたらいいなと思っている。
「ただいまー」
安い集合住宅の一室の鍵を開けて、中へと入る。本格的に暗くなってしまう前に、急いでテーブルの上のランプに火を灯した。
玄関を入ってすぐ、ダイニングとキッチンが一体になった部屋があって、その奥にトイレと、私とヴェルの部屋がそれぞれあるだけの、本当にシンプルな造り。両親が生きていた頃の家から持ってきた家具たちばかりなので、実際にかかった費用はほぼ家賃だけというのはとてもありがたかったし、何より一人ずつ部屋がある家を借りられただけで私たちは満足だった。
「姉さん、お帰り」
「ヴェル! 起きて大丈夫なの? 体調は?」
奥から姿を現したのは、オレンジに近い癖のあるレッドヘアーと、淡いグレーの瞳を持つ私の弟。家からほとんど出たこともないからか、肌は私よりも白くて。同じグレーの瞳なのに、私よりもヴェルのほうが淡い色をしているのも、もしかしたらそのせいなのではと思ったことがある。
「今日は大丈夫だよ。体調もすごくよくて、お昼もしっかり食べきれたから」
そう言って笑うヴェルは、姉の私から見てもとても可愛かった。頬と鼻にあるそばかすも、可愛い顔立ちをより際立たせているような気がして。何より本当に元気そうにしてくれていることが、私にとっては一番嬉しいことだった。
「それならよかった。今から急いで夕食にするから、ヴェルは座って待ってて」
「うん。いつもありがとう、姉さん」
「可愛いヴェルのためだもの、当然よ!」
実際私は十四歳という年齢で、ここまで可愛い男の子を他に見たことがない。ヴェルの場合は病気もあるので、普通よりは成長が遅れている可能性も否定できないけれど。それでも可愛いことに変わりはないので、嘘は一つも口にしていない。私はただ、事実を言っているだけなのだ。
「……ねぇ、姉さん」
「ん? なぁに?」
誰にともなく、そんな言い訳じみたことを心の中で考えながら。キッチンのかまどに薪を並べて、枯れ枝や松ぼっくりを入れて火打ち石を手に取ったところで、後ろからヴェルに呼ばれた。
とはいえ火起こしの手は止めず、振り返ることもせずに返事をした私に、可愛い可愛い弟が。
「今日は夜に仕事、行く予定じゃないよね? もしかして、何かあった?」
心配そうな声で、そんなことを聞いてきた。
優しいヴェルは以前、夜にも仕事をすると告げた私に今と同じ心配そうな声で、そこまでしなくても大丈夫だよと言ってくれた。それなのに昨日は帰りも遅かったし、今日は今日で少し早めに家を出てしまったから、ちゃんと話をする時間をとれなかったのだ。心配するヴェルを説得して酒場で働いていたのだから、今回のことはこの子にもしっかりと話しておくべきだろう。
ただし、ランプのオイルもタダではないので。完全に日が暮れてしまう前に夕食は作り終えておきたいという思いもありつつ、私はその質問に答えるために口を開いたのだった。
「実は色々あって、『スノードロップ』でのお給料が上がることになったの。ただ、話すと長くなるから――」
「分かった。今日はボクも一緒に夕食を食べられるから、その時に教えて?」
「えぇ、ありがとう」
食事をとりながら、と私が言葉にするよりも先に、賢いヴェルは私の意図を察してくれたらしい。本当に気遣いと優しさにあふれた子で、こんなにもいい子に育ってくれていることが私は嬉しい。そんな思いを噛み締めながら、大きくなってきた火の上で鍋を温める。
昨日の残りのスープがまだあったので、今日はこれとパンとチーズだけの簡単な夕食にしておく。せっかくだからパンも軽く焼いて、挟んだチーズを溶かしておいて。これだけで少し豪華に見えてくるのは、さすがに貧乏くさいだろうか。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
「うん。ありがとう、姉さん」
食べたらすぐに寝てしまうつもりだから、このくらいの量でちょうどいい。新しいスープは明日の朝に作る予定だし、卵や塩漬け肉も朝食に焼いて出しておけば、最悪ヴェルの調子が悪くて食べられなかったとしても夜に私が食べられる。だから我が家では、常に夜は少なめに調整しているのだ。
「それで、話の続きは? もう聞いてもいいよね?」
それぞれ、ひと口ずつスープを味わって。そうして先に口を開いたのは、ヴェルのほうだった。
よほど気になっていたのだろう。食べることよりも私の話を聞くことを優先しているようで、完全に手が止まっている。
ただ、それでは困るので。
「ヴェルは食べながら聞いてね?」
先にそうひと言添えてから、私は昨日からの出来事をかいつまんで話すのだった。当然オーナーの秘密については伏せた状態で、だけれど。
とはいえ、そもそもヴェルはオーナーが仕事中女性の姿をしていることも知らないので、そこを説明する必要もなかったりする。だからこそ特別嘘をついたりする必要もなく、おかげで気楽だったのも事実だ。
「そっか。……オーナーさんって、いい人だね」
「うん。だからヴェルも、今まで通りしっかりお薬飲んで、定期健診もしていかないとね」
「もちろんだよ。早く健康になって、ボクも姉さんみたいにしっかり働けるようになりたいからね」
本音を言ってしまえば、ヴェルは元気でいてくれるだけでいいのだけれど。それは私の願いであって、ヴェルの望みではないから。
何よりお給料が上がった今ならば、余裕を持って暮らすことができるようになるはずで。それはつまり、体にいいものをちゃんと食べさせてあげられるようになる、ということと同義のはずだ。
だから、きっと。
「楽しみにしてるね」
「うん!」
いつか本当にそんな未来が来るはずだと信じて、私が返した言葉に。ヴェルは満面の笑みで応えてくれたのだった。
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