4.オレンジティー
オーナー室を出て、言われた通りに裏口から外に出てみる。実はこちらの道を使ったのは今日が初めてで、迷ってしまうのではないかと少しだけ心配だったのだけれど、実際には建物内はほぼ一本道で、裏口から出た先も想像していた以上に広く、資材の入った箱などを運び入れるのにも困らないほどだった。おそらく本当に、ここから大量の資材を運び込むこともあるのだろう。
「さて、と」
『スノードロップ』の店舗に沿って歩けば、普通に大通りに出られるはず。そう考えて、私は一度壁沿いに歩いてみることにした。
貴族街に比較的近い、平民街の中でも一等地と呼べる場所に立っているこのあたりのお店は全て、入り口が大通りに面する形で立てられている。それはオーナーのように馬車を使う必要がある人物が多いというのもあるけれど、どちらかといえば商人や貴族の御用達になっている店舗がいくつもあるので、顧客のためという意味合いのほうが強いのかもしれない。
「あ! ライラ、いた!」
予想通りの場所に出たと同時に、貴族街に向かって走り去っていく馬車が目の前を通って。今日もどこかのお店に貴族が通っていたんだなと一人それを見送っていたら、後ろから聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
「エミィ! ごめんね! 遅くなっちゃった!」
「そんなこと、どうでもいいのよ!」
振り返れば、そこに立っていたのは思った通りの人物で。癖のあるブラウンヘアーをいつも真ん中で分けて、耳の横で三つ編みのおさげにして仕事の邪魔にならないようにしている『スノードロップ』のお針子の一人で、同時に私の同僚でもあるエミィ。
髪の毛よりも少しだけ明るいブラウンの瞳を向けてくる彼女のことを、私は親友だと思っている。今日も仕事終わりに、少しお茶しに行こうという約束を以前からしていたのだけれど。
「それよりも、どういうこと!? 急に異動って、何かあったの!?」
約束の時間に遅れてしまったことを私が謝ると、そんなことと言いながら心配そうに駆け寄ってきて、すごい勢いでそう聞いてくる。
気持ちは、分かる。ある日突然同僚が、オーナー直々に異動を言い渡されたのだから。逆の立場だったとしたら、私だって心配していただろう。
ただ今回に関しては、心配させるような内容ではなかったことが救いだった。
「あったといえば、あったんだけど……」
ただ、こんな大通り沿いの、しかもお店の目の前で話すような内容でもないので。少しだけ濁すように答えながら、あたりを見回す私の様子に気付いたエミィは。
「そうだよね、こんなとこで立ち話するようなことじゃないよね。とりあえず、カフェに移動しよう」
そう言って、目的地に向かって歩き出してくれた。そのことに私は内心ホッとしながら、その後ろをついていく。
実は今日の本当の目的の一つは、新しくできたカフェが気になっているから一緒に行ってほしいという、エミィのお願いを聞くことだった。そしてもう一つ、別の理由もあったのだけれど。
「最近、オレンジティーっていう看板が出てるのを見たの。それが気になっててね」
おそらくそれよりも先に、私に起きた出来事を話すことになるのだろうと予想しながら。どこまで話すべきかと、私は少し頭を悩ませていたのだった。
とはいえ、時折貴族も訪れているという噂のカフェ。当然大通り沿いにあるので、『スノードロップ』から歩いてもそんなに距離はない。しかも今の時間はちょうど空いていたみたいで、よく並んでいると聞いていたのに全く待たずに入店することができてしまい、逆にあまり考える時間の余裕はなかった。とはいえ、オーナーとの約束もあるので。
(オーナーの秘密については、触れないほうがいいよね)
オシャレなカフェの内装を眺めながらスコーンと、新作だというオレンジティーを注文して到着を待つ間。
「で? 先にライラの話を聞いてもいい?」
予想通りそう切り出したエミィに、私は昨日からの出来事をかいつまんで話すことにしたのだった。
「夜もお仕事することにしたって、前に話したでしょ?」
「弟さんの薬代のためってやつでしょ? 仕方がないって分かってるけど、やっぱり私はライラが倒れちゃわないか心配だよ」
十八歳の誕生日を祝ってくれたのは、弟のヴェル以外ではエミィだけだった。だからその時に、夜も働きに出る予定だということを彼女には告げていて。最初は反対されたけれど、弟のためにどうしても必要なのだと話せば、しぶしぶ納得してくれたのを今でも覚えている。
「実は、酒場で働き始めてたんだけどね」
「え!? もう働いてたの!?」
「うん。でも昨日、それをオーナーに知られちゃって……」
「えぇ!? ちょっと、色々情報多すぎない!?」
オシャレなカフェの店内なので、声量は抑えてくれているけれど。色々と驚きが隠せないらしいエミィの明るいブラウンの目は、どんどん見開かれていく。
正直、当事者である私も驚いてばかりで状況がつかめていなかったので、少し安心した。やっぱり誰でもこういう反応になるんだな、と。
「で、『スノードロップ』のお給料じゃ満足できないのかって言われちゃって」
「いや、まぁ、うん。オーナーとしては、そうかもしれないけど……。でも、そこ気になっちゃうんだ!?」
「でも普通に考えて、すごくいいお給料をもらっているでしょ? だから私、両親のこととか弟のこととか、全部話したのね。そしたら、助手兼事務員兼お世話係が欲しかったからちょうどいいって、オーナーが」
「え!? オーナーって、ライラの家族のこと知らなかったの!? そこにも驚きなんだけど!」
エミィはそう言うけれど、面接時に家族について聞かれることはほぼないだろうし、その後もオーナーと直接話す機会があったとしても、あまりそういったことを自分から話すことはないような気がする。だからむしろ私としては、オーナーが事情を知らなかったことはあまり気にならなかったのだけれど。どうやらエミィは、そこが気になってしまったらしい。
と、ここで頼んでいた紅茶たちが到着した。
「ご注文のオレンジティーとスコーンです」
高そうな専用のティーカップが、私たちそれぞれの目の前に置かれる。次に一杯ずつ紅茶を注いでくれたあと、これまた高そうなティーポットがテーブルの上に置かれ、ティーコジーという中の紅茶が冷めてしまわないためのカバーがかけられ、最後にスコーンの乗ったお皿が真ん中に置かれた。当然、ジャムとクロテッドクリームと一緒に。
基本的に紅茶はまだまだ贅沢品なので貴族たちのように毎日は楽しめないけれど、私たちのようにお給料がいいお店で働いている一般市民にも少しずつ手が届く嗜好品にはなってきている。だからといって一人一種類ずつ頼むことは、まだまだできそうにはないけれど。
「とりあえず、先に新作を楽しんでから。話の続きは、そのあとで聞かせてね」
「うん」
こうやって友人と二人で、新作を一緒に味わえるのだから。これはこれで、楽しくて嬉しい時間でもあって。
ちょうどいい温度で淹れられているオレンジティーを、ゆっくりと口に含んでみると。ふわりと香る爽やかさに、少しだけ癒されたような気がしたのだった。