1.歓迎
私が目を覚ましたのは、それから丸一日以上たったあとの夕方のことだった。心配そうにのぞき込んでいたヴェルは、その場で泣き出してしまって。なだめるのも大変だったけれど、その後しばらくの間何もさせてもらえなかったのも、それはそれでヴェルが心配で仕方がなかった。
ありがたいことに、仕事終わりに様子を見に来てくれたエミィのおかげで、すぐにお医者様を呼んでもらうことができて。ただその結果、数日は安静にしつつ療養していなさいと言い渡されてしまったせいで、ヴェルだけでなくエミィにまで心配と迷惑をかけてしまうことになったことは、本当に心苦しかった。
「オーナーがね、すごく心配してたの。でも無理に出てこなくていいから、ちゃんと元気になってから出勤しなさいよって言ってた」
ヴェルが席を外している時に、エミィがそう教えてくれたけれど。私にとってはそれだけでも、すごく嬉しかった。
他にも色々と話してくれたけれど、どうやら大勢で押しかけるとかえって迷惑になるからということで、エミィが代表で来てくれていたらしい。実際『スノードロップ』に入って色々と教えてくれていた先輩たちや同僚たちからの伝言も、エミィが全部教えてくれたから。
そうして、安静にすること数日。ようやくお医者様から許可が下りて、久々に出勤した私は鍵を失くしてしまっていたので、お店の表から入って。迷惑をかけてしまったことを謝るよりも先にあたたかく迎え入れられながら、泣いている先輩や同僚たちを慰めていると。
「ライラ……!」
「オー、ナー!?」
なぜか、奥から出てきたしっかりと女性の姿をしているオーナーに、それはそれはきつく抱きしめられてしまって。
「よかったっ……本当によかったわ、あなたが無事でっ……」
「そ、の……ご迷惑を、おかけしました……」
「いいえ! あなたのせいじゃない!」
「え、っと……」
助け出してくれた本人を目の前にしてそのお礼が言えないもどかしさと、この状況をどうするべきかが分からないという思考がごちゃ混ぜになって、なんと口にすればいいのかすら思いつかない。
そんな私に気付いて、というわけではないと思うけれど。
「さぁ、ライラの無事が確認できたところで、仕事に戻りましょう。ほらほら、泣いてないで笑いなさい」
オーナーが全員に向かってそう声をかけて、言葉通り仕事に戻らせてから、お店の奥に向かって歩き出す。なぜか、私の腰に手を回して。
「……え?」
「ほら、行くわよライラ」
「え、あ、はい」
「あなた、鍵を落としていったでしょう? アタシが持ってるから、あとで渡すわ」
そう言いながら、誰からも見えなくなった場所でその腕はさらに私を引き寄せてから。
「ホント、無事でよかった」
「っ……!」
本当に小さな素の声で、耳元にそんな言葉を落としてくるから。予想もしていなかったこの状況に、妙にドキドキしてしまう。
とはいえ、ここで黙ってしまうのも変に映るだろうし、それでは困るので。
「あの……ありがとう、ございました」
誰にも聞こえていないであろう場所だと分かっていても、念のため同じくらい小さな声でそう伝えると、綺麗にお化粧をしているその顔が柔らかい表情に変化した。
念のため、オーナー室に着くまではそれ以上会話はせずに、ただ黙々と歩く。とはいえ、もうすぐ先にその扉は見えていたので、ほんの数十歩の距離ではあったけれど。
「ところで、どうしてあの時私のいる場所が分かったんですか?」
だからこそオーナー室の扉が完全に閉じたことを確認してから、先に気になっていたことを聞いてみることにしたのだ。まだ腰に回されたままの手も意識してしまっているので、気を紛らわせるためでもあったことが否定できないのは、悲しいところでもある。
「言っただろ、鍵を落としてたって。裏口に鍵が落ちてて、なのに出勤してないのはおかしいと思って、一度家に行ったんだよ」
そうして出てきたヴェルに確認をしたら、もう家を出ていると言われて。これはおかしいと、急いで探しに出てくれたらしい。
「まだオープン時間じゃないのに、見たこともない男がウチの店の裏口に続く道から、布をかぶせた荷車を押して出てきたっていう話を聞いて、おかしいと思ったんだ」
この周辺は基本的に店舗の変化が少ないので、基本的に隣近所が顔見知りになっていたりする。その関係で、出入りする人間の顔も覚えられていたりするのも当然のことだった。
にもかかわらず、おかしな時間帯に見ず知らずの男という完全なる不審者の目撃情報があったことで、もしかしたら私が何らかの事件に巻き込まれてしまっているのではないかと予想してくれたらしい。
「鍵を落としてくれてなかったら、もしかしたら気が付かなかったかもしれないけどな」
つまり本当に偶然が重なったことで、私はあの時オーナーに助け出してもらえて、今もこうして生きてここにいられるということのようで。まさか普段のお店同士の関係性が、防犯対策にもなっているとは思ってもみなかったけれど、おかげで本当に助かった。
「運が良かった、んでしょうか?」
「いや、連れ去られてる時点で運は悪いだろ、普通に考えて」
少し困ったように苦笑しているオーナーが、私をソファーに座らせる。そうして自分もテーブルを挟んで、反対側のソファーに座ると。
「ってことで、一応今俺が知ってることを話しておくべきだと思ったから、仕事の前に少し時間をもらうぞ」
真剣な表情でこちらを見つめながら、そう口にする。それに私が頷くと、ソファーの背に体を預けながら腕と足を組んだ。
ただ、今のオーナーは女性の姿をしているので。
(足を組むと、スカートが……)
マキシ丈のスカートなので、中まで見えるわけではないけれど。それでも普段は見えないはずの素肌が少しだけ見えてしまって、中身は男性だと分かっているのにハラハラしてしまったのは、なぜだったのだろうか。




