3.模倣犯
「ってことは、ハズレか」
「あの……どうしてそんなに貴族にこだわるんですか?」
色々と気になることはあるけれど、質問に答えてもらえるのであれば、まずは怒りを買いそうにない部分から攻めてみることにした。ある意味で賭けではあったが、この状況を打破できる可能性があるとすれば、それしかないのも確かで。
「どうしてかって? そんなの、貴族が嫌いだからに決まってんだろ」
そしてどうやら、私は賭けに勝ったらしい。男性の目つきは先ほどよりもかなり鋭くはなったけれど、その分話をする体勢に入ってくれたから。ただ同時に、その表情だけでなく声色さえも硬いものに変化してからは、まるで人が変わってしまったかのようにも感じられて。その瞳の中には、憎悪のようなものが宿っているようにも見えた。
「貴族ってのは、俺たち平民のことなんて人とすら思っちゃいない。どこでどうなろうと、たとえ自分のせいで誰かがどこかで野垂れ死にしようと、どうでもいいと思ってる」
そうして彼の口から語られたのは、私が想像もしていなかった内容ばかりで。
「あいつは、俺の姉さんを見殺しにした。勝手に愛人認定して連れてったくせに、飽きたらゴミみたいにそこらに捨てやがったんだ。しかも病気まで移しやがったのに、一切治療もせずに……!」
「っ……。まさか、お姉さんはそれで……」
「……あんた、察しがいいな。そうさ、その病気で死んだんだよ。満足な治療も受けられないまま、最後まで苦しみながらなっ……!」
私が貴族と直接対面したのは、あのワガママなお嬢様が初めてだったけれど。あれはさすがに、特殊な例だと思っていた。少なくとも両親から聞いていた貴族のイメージは、そんなことをするような人たちではなかったから。
ただそれは、私たち平民が全員同じような性格をしているわけではないのと同じで、貴族の中にもいい人もいれば悪い人もいるのは当然のはずで。それなのに、私はこの男性の話を聞くまで、そんなことにも気付いていなかった。
「だから、決めたんだよ。絶対に貴族に復讐してやろうって」
「……」
その口調は静かなのではなく、相当な怒りを必死に抑えながら話しているのだと、強く言い切る表情からも読み取れた。それは言葉通り、復讐に燃える人間の決意を瞳に宿していて。
けれどそれならば、地道に貴族についての情報を手に入れようとして、最初にあんな質問をしてきたのだろうか? いやだとすれば、それはあまりにも遠回りをしすぎているような気がする。
(もしかしてその貴族の顔は知ってても、名前は知らない、とか?)
可能性としては、あり得る。私たち平民にとって貴族というのは、基本的に直接会うことのない存在なのだから。目の前に突然現れた人物の名前など、分かるわけがない。
どうやら普通に質問には答えてくれそうなので、その貴族についてとわざわざ話しかけてきたことがどう関係していて、そしてどうしてこんな状況にまでなっているのか、私は少しずつ聞いてみることにしたのだった。
「お姉さんにひどいことをした貴族の、顔や名前は知っているんですか?」
「顔は知ってる。俺の目の前で姉さんを連れてったあの憎い顔だけは、一生忘れない」
憎悪に染まるその表情は、当時のことを思い出しているのか一点を見つめていて。その両手は、強く握りしめられていた。
「ただ、名前は知らない。結局姉さんも知らないまま、使用人に教えてもらうどころか、口をきいてもらうことすらできなかったらしいからな」
つまりそれが彼の言う、貴族は平民を人とも思っていないということの証明なのだろう。確かにそうでなければ、勝手に連れてこられて誰からも無視されるという状況は考えにくい。ということはつまり、彼のお姉さんは悪いほうの貴族に捕まってしまった、と。おそらくは、そういうこと。
(運が悪かった、なんていうひと言では片付けられないよね)
私も両親を大火災で亡くした時に、大勢の人たちにそう声をかけられた。彼らはきっと仕方のないこととして、私たちが前を向くために励ますつもりも込めて、そう言ってくれていたのかもしれないけれど。当事者からすれば、そんなことは何の意味も持たない。それは私が、一番よく知っている。
「その貴族の名前を、どこの誰なのかを知ろうとして、私に話しかけてきたんですか?」
こういう時に必要なのは、安易な励ましの言葉などではなく。具体的なこれからを考えられるような、本当の意味で寄り添って、一緒に立ち上がってくれる人の存在だ。
ただ、時にはそれすら必要としていない人もいるのだと、私はまだ知らなくて。
「それもある。ただそれ以上に、平民だろうが貴族と関わるような人間は貴族と同罪だ。姉さんみたいな存在を生まないためにも、粛清しておく必要がある」
「ッ!?」
当然のように言い切る暗い瞳に、ここまできて初めて、私はこの男性に対して恐怖のようなものを覚えたのだった。
それまではなぜか、普通に話が通じるものだと思い込んでいたけれど。この瞬間、私は唐突に理解してしまった。この人はもう、ある意味で狂ってしまっているのだと。
「姉さんは、貴族が出入りしてる店に寄った時に連れてかれたんだ。そこの店主も周りの大人たちも、貴族には逆らえないからって見て見ぬふりしやがった……!」
先ほどまでは抑えられていたはずの怒りに支配され始めたのか、それとも初めからそういう人だったのか。男性はどこかうつろな瞳で、どことも分からぬ場所を見つめ続ける。
「だからっ、今こそ必要なんだよっ! 王都大火災の時みたいに、もう一度貴族とそれに関わる人間を消すための火が! それができる、勇気ある人間が!」
「っ!!」
それは、一方的な主張でしかなかった。彼の中では貴族は全員悪だと決めつけられていて、だからこそ放火の可能性があると今も言われているあの大火災が、正義の行為だったと結び付けられている。
けれど、私からすれば全く逆の意味しか持たないそれを肯定することなど、到底できるわけがなくて。そして同時に一つ、もしかしたら恐ろしい事実に気付いてしまったかもしれないと思いながら、私はそれを確かめるために口を開いたのだった。
「もしかして、少し前にあった靴屋の火事騒ぎは……」
「あぁ、知ってたのか。もちろん、あれは俺がやったんだよ。正義の火としてな」
「っ……!」
それはいわゆる、模倣犯というものなのだろう。先ほど「勇気ある人間」と彼が口にした際、どこか自分に酔っているようにも見えたからこそ、可能性は高いと感じていたけれど。まさかこんなにも簡単に肯定されるとは思ってもみなかった。
つまり、彼はもうすでに一線を越えた向こう側にいる人物なのだ。私の声など、今さら届くわけもないほどに遠く、隔たりのある場所に立っている。
(でも、私は貴族とは関係ないって証明したんだから)
どちらにせよ、正常な判断どころか正常な人格さえ保てているのか怪しい人物と、これ以上一緒にいるのは危険だ。どうにかして解放してもらうか、もしくは隙を見て逃げ出さなければと、先ほど以上に本気で考え始めた私はけれど、次の瞬間。
「まぁ、でも。ハズレでも顔を見られたんじゃあ、生かしておけないんだよな」
告げられた言葉に、絶望するしかなかった。




