1.急転
ヴェルのためにオーナーが家まで来てくれたあの日以来、少しずつ以前のように自然に話せるようになってきていた。とはいえまだ予約分も多く忙しい時期なので、そもそも仕事中ですらあまり顔を合わせるようなこともない状態ではあるけれど。
ちなみに貴族の美女は、あれ以来見かけることはなく。もしかしたらあのあと二人で色々と話して、最終的にお店には来ない約束をしたのかもしれないと、出勤や退勤の際に裏口を通るたびに想像してしまう。
(お互い好きなのに一緒にいられないって、それはそれでつらいよね)
今日は発注していた布やレースが大量に届く予定になっていたので、少し早めに家を出てその準備をしようと思っていたのだけれど、いざ裏口を目の前にするとそのことを思い出してしまって、一瞬鍵を取り出すのを忘れて立ち尽くす。
その時だった。
「あの、この店の関係者ですか?」
後ろから声をかけられて振り向けば、そこに立っていたのは三十代くらいの背中が丸まっている男性。『スノードロップ』は基本的に女性のお客様ばかりなので、珍しいなと思いながらも素直に頷く。
「はい、そうです。まだ早いので営業時間外ですが、何かご用ですか?」
もしかしたらお店の中には入りにくくて、けれど女性にプレゼントをしたいという思いがあり勇気を出して話しかけてくれている可能性も捨てきれなかったので、こちらからも質問してみる。仮にこれで私の考えが合っていたとすれば、もしかしたら一着分売り上げが立つかもしれないのだから、かなり重要だろう。
(あれ……気のせいかな? 私、この人どこかで見たような……)
しっかりと向き合って顔を確認して、ふとそう思ったのだけれど、なぜかそれがどこだったのかが思い出せない。最近はヴェルの体調もよく、安心して休日に用事で街に出ることも増えているので、そこで見かけた可能性もあるが。ただ記憶をたどる限りだと、そこではないような気もしつつ、それでもやはり分からないまま。
顔には一切出さずに、頭の中だけで私が必死に記憶を呼び起こそうとしていると、先に男性が質問に答えてくれた。
「実は、その……例えばなんですが、貴族に贈り物をするのに最適な商品って、ありますか?」
「貴族……女性の、ですか?」
「あ、はい」
貴族そのものを嫌いなわけではないけれど、今この場所でその言葉は聞きたくなかった。あの妖艶な美女を、どうしても思い出してしまうから。
とはいえ、そんなことも言っていられないので。聞かれた質問には誠心誠意向き合うのが私が店頭に立っていた時のやり方だったからこそ、今もその時と変わらない気持ちでまじめに答える。
「貴族女性への贈り物となると、少し難しいかもしれませんね。店頭で扱っている商品は基本的に、平民向けのものばかりですから」
「ということは、貴族向きの商品は一切ない?」
「店頭の商品ではなく、ご本人様がいらっしゃってオーダーメイドのご予約をしていただけるのであれば、対応は可能かもしれませんが……。そうですね、店頭に貴族向けの商品はないかもしれません」
「なるほど」
ここで大切なのは、誰がどんなものを必要としているか、ということ。決して押し売りをするようでは困ると、先輩からもしっかりと教育されている。だからこそ、ここでは正直に答えているのだけれど。
(う~ん……。これはたぶん、購入とはならないかな)
それはそれで仕方がない。むしろ必要としていない人に購入してもらうよりも、商品を大切にしてくれるような人に購入してもらうことのほうが、ずっと大切なことなのだから。オーナーだって、きっとそう思っているはず。
そこまで考えた時、ようやく思い出した。
(そっか! この人、ワガママお嬢様のせいでお店を出て行っちゃった人だ!)
あの時、確かに珍しいと思ったのを覚えている。その時の人と、顔も背格好も全く同じだった。
ということは、あれ以来店頭に足を運びにくくなってしまっていて、だからこんな時間に従業員が出勤してくるのをわざわざ待っていたのかもしれない。プレゼント相手が貴族の女性ともなれば、あの場面を見てしまっている男性としては、二重の意味で足を向けづらくなってしまっているのは当然のことだろう。
そう一人納得している私とは対照的に、どこか難しい表情をしている目の前の男性は、その厳しい表情を崩さないまま。
「分かりました。ありがとうございます」
それだけ言って、大通りに続く道の向こうへと消えてしまった。
「……今度、オーナーに確認してみようかな」
期待に応えられるかどうかは、本人を連れてきてもらわなければ分からない。おそらくオーナーならばそう返答するだろうと、予想はついているのだけれど。それでも要望を叶えてあげられなかったことを申し訳なく感じてしまって、小さく呟きながら鍵を取り出した、その次の瞬間。
「ッ!!」
頭に強い衝撃を受けて、私はそのまま前のめりに倒れ込んでしまった。無意識に腕を伸ばして、なんとか顔から地面にぶつかることだけは避けられたとはいえ、それでも起き上がることはできそうになくて。そのまま私は、完全に意識を手放してしまったのだった。
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