2.理由と秘密
「王都の大火災で、両親を亡くしまして……」
「まさか、あの?」
「はい」
二年前に起きた、王都大火災。その被害は主に、貴族街にほど近い部分だった。そもそも火元自体が多くの貴族が出入りするオペラハウスだったこともあり、その夜も満員だったと聞いている。そして運の悪いことに、その日は両親ともそこで働いていたのだ。
貴族にも大勢の被害が出たことと、木造建築の建物だからこそ火の取り扱いはなかったというのに火事が起きたという不可解な点から、近年では最も有名な事件として今もなお新聞などに取り上げられることもあるが。憶測が憶測を呼んで、今では貴族に恨みがあった人物の犯行、いわゆる放火だったのではないかとまで言われているけれど、真相は今も謎のまま。
あの時はまだ私も働きに出る前だったので、突然両親を失ってどうすればいいのかと途方に暮れて、悲しむ暇すらなかった。その後『スノードロップ』で雇ってもらえるようになってから、ようやく涙が出てきたくらいだったのだから。きっと当時は相当追い詰められていたんだろうなと、今なら分かる。
「当時、両親ともオペラハウスの従業員として働いていました。なので、一般の家庭に比べれば多少の蓄えはあったんです」
「それなら、どうして今さら夜にまで働きに出てるんだ。ウチも給料はいいほうのはずだろ」
「もちろんです。だからこそ夜に働ける十八になるまでの間、それで何とかまかなえてきたんですから」
オーナーの言う通り、『スノードロップ』のお給料は相場よりもずっと高い。きっと普通の一人暮らしだったら、十分すぎる生活ができるはずだ。
でも、私はそうじゃなかった。法的に夜にも働きに出られるようになる十八歳になるまでの二年間、両親が残してくれた貯金を切り崩しながら何とかやってきていたけれど、それもそろそろ限界だった。
「ただ、その……。実は、弟が病気で。定期的にお医者様に診ていただいて、お薬を飲む必要があるんです」
「それは……」
貴族相手のオペラハウスで両親が働いて、私たちを養ってくれていた。それは二人ともお給料が格段に高い職場だったからこそ、可能だっただけで。私一人の稼ぎになってしまうと、途端に心もとなくなってしまうようなものだったのは、致し方ないことだったといえよう。
「だから、どうしてもお金が必要で……。幸い、ちゃんと定期健診とお薬を続けていれば、大人になる頃には完治する可能性が高いそうなんです」
事実、小さな頃はほぼ毎日のように熱を出していたけれど、最近ではそういったことも少なくなってきていた。でもだからこそ、ここで薬を飲むのをやめてしまうわけにはいかなくて。
「つまり、お前は弟の薬代のために夜も働きに出てたってことか?」
「はい」
ある日突然両親を失ってしまった私たちにとって、お互いだけが唯一の家族だから。あの子だけは、何があっても失いたくないから。そんな思いで、必死に働いてきた。
「なので、どうかお願いします! 私にはどうしても、お金が必要なんです!」
あの子が十八歳の成人を迎えるまで、あと四年。それだけの期間ならば、多少無理やり働いたところで何とかなるだろうと、そう思っていたから。
ここで辞めさせられてしまったら、本当に困ってしまう。それはどっちの仕事だとしても同じこと。
「数年だけ、見逃してください! お願いします!」
必死に頭を下げて、ただお願いすることしか私にはできない。それしか、方法を知らない。
でも、私にできることだったら何だってする。あの子と一緒に生きていくためだったら、どんなことだってできる。本気で、そう思っている。
「……なるほど、な」
二年前、仕事が見つからなかったら最悪体を売るしかないと、本気で考えたくらいだから。それに比べたら、昼も夜も働くなんてずっと健全のはず。
だからどうか、どうか解雇だけはしないでくださいと心の中で願いながら、頭を下げ続けていた私の耳に。
「家族のためって言われちゃあ、なぁ。一方的に否定はできないよなぁ」
この短い時間に聞き慣れてしまった、男らしいオーナーの声で呟かれた言葉が聞こえてきた。それに希望を見出して、急いで顔を上げる私だったけれど。
「だからって、昼も夜も働き続けるのが許されるなんて思うなよ?」
先ほどとは違って、腕を組みながら見下ろしてくるオーナーの言葉に、一瞬で絶望に突き落されたような気分になった。
事情を話した上でのそれは、つまり事実上の続行不可を表しているのだから。昼か夜か、どちらの仕事なのかは分からないけれど、少なくともどちらかは辞めさせられてしまうと。きっと、そういうことなのだろう。
そうなってしまえば、もう私に残されている選択肢はただ一つだけ。大人と認めてもらえる年齢になったのだから、きっとどこの夜のお店も理由もなしに断ってきたりはしないだろうし。
(体を、売るしか……)
二人で生き残るには、それしか道はない。そう考えて、思わず涙が込み上げてきそうになる。
俯いた私の表情は、きっとオーナーからは見えなかったに違いない。店内とは違って暗い中なので、本当に涙を流したところで気付かれなかったとも思う。
けれど、それよりも先に降ってきた言葉は。
「っつーか、俺が普段は普通に男だってことを知られた時点で、お前と俺は共犯者だ」
「…………はい?」
今の私には、少し理解するのに時間がかかるようなものだった。
というか、この状態ではなかったとしても、きっと理解するのにしばらく時間を要していただろう。そのくらい、予想なんて一切できなかった言葉で。
思わず涙も引っ込んで、顔を上げてしまった私だったけれど。目線の先ではオーナーが、どこか不敵な笑みを浮かべていた。
「本性が女じゃないってのは、俺にとって仕事を続けてく上で一番の秘密にしなきゃならない部分なんだよ。だからそれを知られないために、今までは助手もつけてこなかったが」
「え、っと……?」
「顧客も増えてきて、俺一人の手だけじゃ追いつかなくなってたし。ちょうどいい。お前、俺の助手兼事務員兼世話係になれ」
「……はい?」
いきなりのことに、全く頭が追いつかない。というよりも、どうしてそんな流れになっているのかが、そもそも分からない。
今私は、仕事を辞めさせられてしまうのではないかという窮地に立たされていたのではなかったのだろうか? それともこれは、都合のいい夢?
「もちろんその分、給料は今までの倍以上出す。当然忙しくなるから、夜の仕事は今日限りで辞めだ。俺からも店の人間にそう話しておく」
「え? え?」
「じゃあ、明日からよろしくな」
それだけ言い残して、オーナーは酒場の裏口から中へと戻っていってしまった。私を一人、この場に残したまま。
「…………え……? どういう、こと……?」
何が起きたのかも分からないまま、その場に立ち尽くしていた私は。このあと女将さんたちに怒られ心配され、そして本当に今日限りで酒場を辞めることになってしまい。
かくして、たった一夜で私の『スノードロップ』内での立場が激変してしまったのだが。この時の私は、まだこれが本当に現実なのかどうかすら、よく分かっていなかった。