3.目撃
そもそも私がオーナーとあの日酒場で出会ってしまったのは、本当にただの偶然で。しかもその場で突然、秘密を知ってしまったのなら都合がいいと助手兼事務員兼お世話係に任命された理由はおそらく、私たち家族の境遇にオーナーが同情してくれたからにすぎないのだろう。
オーナーが実はちゃんとした男性だったということを、私が誰かに話してしまわないか見張っておきたいというのも、もちろん嘘ではなかったと思う。ただそれ以上に、同情心と親切心と心配からというのが大きかったはずだ。
「それなのに……」
無意識とはいえ勝手にあんな夢を見て、勝手に意識し始めて勝手に好きになっているなんて、オーナーにとってはいい迷惑でしかない。
それが分かっているのに、どうしてかそう考えると胸が締め付けられるように苦しくて、痛い。少しでも油断すると涙が出てきそうになってしまって、ベッドの中で小さくなってそれに耐えるしか、今の私にできることはなかった。
その日から毎晩のように、寝る前になるとオーナーのことを思い出しては一人ベッドの中で小さく丸くなって、胸の痛みや苦しみに耐えることになって。エミィの話を聞いていたので、そんな単純なものではないことを知識としては知っていたけれど、まさか恋がこんなにも苦しいものだとは思っていなかったから。もっと明るくて楽しくて、予想通りにはいかないことも多いけれど、それでも素敵なものだと思っていた私の認識は、完全に塗り替えられてしまった。
エミィはいつも明るくて、恋人のことを楽しそうに話してくれていたけれど。もしかしたら、お相手の両親に認めてもらえないかもしれないと話してくれていたあの時は、同じように苦しい思いをしていたのかもしれないと、今さらながらにようやく理解して。
「エミィは、本当にすごい」
恋心を自覚して、その恋を楽しんでちゃんと実らせて。今の私には、そんなことができる余裕もなければ、未来を思い描くことすらできないのに。
しかもこの恋は、明らかに誰にも相談できない。相談するということは、オーナーの秘密を話すことと同義になってしまう以上、親友のエミィにすら黙っていなければならないわけで。
オーナーにとって私が特別な存在でないことは、揺るぎない事実で。だからこんな感情はすぐにでも忘れてしまうべきだと、頭では分かっていても。私にとって初めての恋は、そう簡単に忘れられるようなものではない。
それを思い知らされる日が来るとも知らず。心の中では完全に意識していながらも、表面的には普段通りに見せようと必死にオーナーの前で取り繕う私は、仕事の面でミスをすることはなかったけれど。
「……あっ」
ある日の退勤後の帰り道で、ふと気付いてしまったのだ。あの疑似デートの日、オーナーからプレゼントされたアクセサリーをお店に置いてきてしまったことに。
通勤時は普段着なので身に着けるようにしていて、仕事中は失くしてしまうのが怖いので着替えの際に外しているのだけれど、今日はボーっとしていてアクセサリーの存在をすっかり忘れてしまっていた。特別今日何かがあったわけではないけれど、色々と考えてしまって最近寝つきが悪かったから、もしかしたら少し寝不足だったのかもしれない。
プレゼントされてからしばらくの間は、オシャレのためにと思って身に着けていたアクセサリー。けれど今では全く違う意味合いを持っていて、私の中では完全に失くしたくない物の一つになっていた。
「どうしよう……」
気が付いてしまうと、本当に失くしてしまっていないかどうかまで気になってしまって。しかも明日はお店がお休みで、前々からエミィの恋人を紹介してもらう約束をしていた日だったから、ちゃんとしたオシャレな格好をと思ってアクセサリーを身に着ける予定だったのだ。
どちらかといえば、もう家までの距離のほうが近い。ただオーナーが帰ってしまっていても、裏口の鍵は持っているので入れないことはないのだし、それ以上に明日は大切な日。そしてあのアクセサリーも、私にとってはとても大切な存在。
「……うん、やっぱり一回戻ろう」
そう決意した私は、むしろ気まずくならないようにオーナーが帰ったあとだったらいいなと思いながら、来た道を戻っていく。
最近はオーダーメイドのドレスの注文が立て込んでいるので、オーナーは作業部屋に籠もりっきりになっていることも多く、だからこそあまり顔を合わせる機会もないからよかったけれど。これで偶然鉢合わせなんてしてしまえば、きっと何を話せばいいのか分からなくてパニックになってしまう。そんな自信がある。
なんてことを考えながら、大通りに出なくとも直接裏口までたどり着ける、いつもの細い路地を進んだ先で。私は、見てしまったのだ。
「……え?」
『スノードロップ』の裏口で、仕事中のドレス姿のままのオーナーと、その姿に引けを取らないほど綺麗な女性が、向かい合って何やら話し込んでいる姿を。




