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ヒーローは、オネェさん。  作者: 朝姫 夢
第三章 オレンジの香り
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6.新しい服と寝落ち

「ライラ、ちょっと来てくれ」

「はい」


 ここしばらくは、商品の打ち合わせや納品に向かう時以外は作業部屋に籠もってばかりだったオーナーが、扉の向こうから顔を出して私を呼んだ。珍しいことなので何か手伝う必要がある仕事なのだと、呼ばれるままに部屋の中に足を踏み入れて。


「これ、この間話してたライラ専用の仕事着な」

「……はい?」


 渡された一着の服を思わず受け取ってしまってから言われた言葉に、私の頭の中では様々なことが一瞬で駆け巡っていた。主に仕事が早すぎるオーナーへの、本当に人間なのかどうかという疑問ばかりだったけれど。

 確かに採寸をした覚えはあるけれど、それからまだひと月も経っていないはず。にもかかわらず、なぜか私の手にはオーナーのお手製の仕事着。こんな短期間でデザインから考え一着作り上げるなど、普通ならばあり得ない。しかもそれが仕事の合間での作業量で、なのだから。


「え。オーナーって、天才ですか?」

「そう呼ばれることはよくあるな」


 しかも否定しない上に、まるで当然とでもいうような雰囲気。それでいて偉そうにしているわけでもないところを見ると、オーナーにとっては本当にこれが普通のことなのだろう。改めて、そのすごさを実感した気がした。


「で、これも」

「はい?」


 その上でなぜかもう一着渡されたそれは、広げていないけれどおそらくライトブルーとホワイトのワンピース。仕事着はホワイトのシャツとフォーンのような色合いのスカートの組み合わせ。どちらも上下で色を分けるようにしているところが、まさに流行の最先端といったところだろう。


(え? いや、そうじゃなくて……)


 ブティックで働いていると、ついついそういった分析をしたくなってしまう悪い癖が出てしまったけれど。今はそれどころではない。


「あの……オーナー、これは……?」


 仕事着は、まぁ分かる。そのために採寸をしたのだし、できあがりは早ければ早いほどいいだろうから。

 ただ、このワンピースが、よく分からない。どうして急に、もう一着増えているのか。


「そっちのワンピースは、念のためだ。今後商人のパーティーに俺が呼ばれた場合、それさえあれば困らないだろ?」

「あ……。その場合は、私も一緒に出席する予定になるんですね」

「当然だろ。その場合は俺も仕事だし、時間外の場合は給料も上乗せする」


 どうだ? という表情をされてしまえば、私に断るという選択肢は当然あるはずがなくて。


「なるほど、分かりました」


 そう答えるしかなかった。


「ちなみに、どっちも今フィッティングできるか?」

「両方、ですか?」

「あぁ。最終調整を終わらせれば、今日からそれを着て仕事ができるだろ?」

「確かに、そうですね」


 そうして前回の採寸時と同じように、衝立の向こう側で着替えてきた私の周りをゆっくりと回りながら、問題がないか真剣な表情で眺めているオーナーという図ができあがったわけだけれど。不思議と前回ほどの恥ずかしさはなかったので、声も口調も男性のままだったとはいえ、やはり見た目が女性か男性かというのはかなり重要な部分なのかもしれないと、改めて認識したのだった。

 ちなみに。


「うん。やっぱりライラにはそのイメージがあるな」

「ワンピースの、ですか?」

「どっちかっていうと、エンパイアラインのワンピースのイメージ、だな。だから上下で配色の切り替えをしてるだろ?」

「流行りだから、だけじゃなかったんですね」

「俺が単純に流行りを取り入れるだけの人間だと思われるのは、かなり心外だな。むしろ、ライラに似合うのがエンパイアラインだと思ったから採用したんだ。あと、俺は流行を作る側な」


 というやり取りがあったのだけれど、どうやら私はちゃんと自分に合う型の服を選べていたらしい。それでいて仕事着用は、パニエまで使用したフレアスカートを採用しているのだから、そのあたりはしっかりとオーナーの中で使い分けがされているのだろう。

 そうしてようやく調整が終わったと思ったら、お昼過ぎからはその格好であちらこちらに出かけていくことになり。着慣れていないので多少気を遣うところもあったとはいえ、着ていて疲れるということは一切なかった。そこはさすが『スノードロップ』オーナーのお手製だと思う反面、あまりにも前回までとの落差が激しかったのか、それとも明らかにデザイン性が高すぎたからか、この服についてあちらでもこちらでも尋ねられてしまい、最終的には戻りが当初の予定よりかなり遅くなってしまった。

 着心地はいいはずなのに、どっと疲れてしまったような気がしているのは、きっと気のせいではないのだろう。唯一の癒しは、途中でお得意様からひと箱分のオレンジのおすそ分けを頂いていたので、馬車の中に戻れば常に爽やかな香りを楽しめたことだけだったように思う。


「ライラもオレンジもらって帰れよ」

「あ、はい。ありがとうございます」


 オーナー用に形と色が綺麗そうなオレンジを取り分けていたら、横からそう言われて。私もありがたく、いくつか頂いていくことにした。残りは全て箱に入れたまま、従業員用の休憩スペースに差し入れとして置いておけば、きっと数日後にはなくなっているだろう。

 フィッティングに外出にオレンジの移動にと忙しくしていたせいか、気が付けば今日の分の仕事があまり進んでいなかった。とはいえ明日以降に回せるようなものは後回しにして、せめて今日の新しい顧客データの整理だけは終わらせようとソファーに座って、資料と向き合って。


 私が覚えていられたのは、そこまでだった。


 自分で感じていた以上に疲れていたのか、初めて仕事中に寝落ちしてしまって。次に目を覚ましたのは、オーナーから「疲れたのなら、今日はもう帰って休めよー。資料の整理なんて、明日でもいいんだからな」と声をかけられた時だったのだから。

 必死で謝る私に、オーナーは笑いながら「いいから着替えてこい」と言ってくれたのだけれど。仕事中に、しかもソファーで寝てしまうという失態を晒したことにショックを受けた私は、この日誓ったのだった。もう二度と、こんな失敗はしない、と。



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