1.初めての採寸
「おはようございます」
「あぁ、おはよう。今日も早いな」
だいぶ仕事にも慣れてきて、最近では朝にオーナー室の掃除や整理をすることにしているので、必然的に私のほうが出勤時間が早くなっている。オーナーもそれに慣れてきているのか、今日もと言いながら呆れるでもなく、その不思議な色合いの瞳を優しく細めてくれていた。
「そうだ、これ」
「……?」
普段であれば、そのまま作業部屋へと向かって仕事着に着替えてお化粧までバッチリしてくるはずのオーナーだが。今日はなぜかシンプルなダークブルーのベストのポケットから、コルクで蓋をされている透明な小瓶を取り出して、私に渡してきた。薬瓶よりもずっと小さなそれの中には、色とりどりの小さな丸いものが入っていて。
「え、っと……。オーナー、これは……」
「コンフェイト、いわゆる砂糖菓子だ」
「え? いいんですか? これ今結構人気で、なかなか手に入らないって聞いてますよ?」
「得意先の商人からの礼で、まだ家に大量にあるんだよ。だから一つ貰ってくれ」
その顔は、珍しく少々困ったようにも見えて。大量にということは、きっと消費しきれないくらいにはという意味も含まれているような気がした。
確かに『スノードロップ』のお得意様には商人の奥さまやお嬢様も多いので、今流行りの商品がオーナー宛てに送られてくることも多いけれど。まさか自宅にまでお菓子の類があるとは思っていなかったので、少し驚いてしまう。しかも話題すぎて手に入らないと、名前しか聞いたことのないものが。
「仕事中でも、この小ささなら持ち運べるだろ? 少し疲れたと思った時にでも口に入れとくと、少しは違うからな」
「あ、ありがとうございますっ」
これは素直に嬉しくて、思わず小瓶を握りしめながら頭を下げてしまう。まさか私が流行りものを手に入れられる日が来るなんて、思ってもみなかった。
「こっちこそ、貰ってくれて助かる。あぁ、それと」
「はい」
ただ、それ以上に。
「俺の助手としての認知も上がってきてるし、そろそろライラ専用の服を作るか」
嬉しい出来事に、あとでゆっくり見てみようと思いながら頭を上げた私に、オーナーはコンフェイトよりも予想外な言葉をかけてきて。
「…………はい……?」
けれど、あまりのことに頭が回らず、しっかりと反応できなかった私が思わずそう聞き返すと、オーナーは至極真面目な顔をしてこう返してきたのだ。
「得意先に行く時のことを考えたら、そのほうが相手も分かりやすくていいだろ。毎回同じ人間かどうか判断するよりも服装で判断したほうが、向こうも楽だし安心できるだろうからな」
「それは、そうかもしれませんが……」
そもそも専用の服と言われたところで、誰がそれを作るのかということになるのだけれど。
(どう考えても、オーナーしかいないよね……?)
オーナーの助手としてついていく時のための服装なのだから、当然イメージを持っているのはオーナーだけになる。そしてそうなると、オーナーが納得できるほどのものを作ることができるのは、結局オーナー本人しかいないことになるわけで。
案の定。
「ってことで、今から採寸な」
唐突にそう声をかけられて、手を差し出されてしまった。
「え……えぇ!?」
驚きのあまり、オーナーの顔と手を交互に見比べてから大声を出してしまった私だけれど。
「ほら、時間がないんだから。行くぞ」
「え、ちょ、えっ……!」
最終的には有無を言わさず、腕を掴まれて作業部屋に引きずり込まれて。そのまま採寸用の服を渡されて、衝立の向こうで着替えてくるようにと言われてしまえば。
(オ、オーナー命令には逆らえないですっ)
私には、採寸用の服を素直に受け取るという選択肢しか残されていなかった。
そしてこの時、私は初めて知ったのだ。
(は、恥ずかしい……!)
男性の姿のままのオーナーの前で、採寸用の服だけで立っているのが、どれだけ恥ずかしいことだったのか。
そもそも採寸してもらうこと自体が初めてで、それだけでも緊張でどうにかなってしまいそうだったのに。普段の仕事中の女性姿ではなく、素の男性のままというのがまた思っていた以上に羞恥心を煽っている気がする。
「ライラ、お前細すぎないか?」
「うっ……。そんなことは、ないと思うんですが……」
「そうか? 採寸自体は俺も割と長くやってるが、その中でも細いほうだと思うけどな。ちゃんと食べてるか?」
「た、食べてます。今日もちゃんと食べてから出勤してますし」
しかもこの、男性に体形のことについて心配されるというのがまた、初めてすぎる体験で。
(なんか、ちょっと分かった気がする……!)
仕事中のオーナーが、常に女性の格好をしている理由が。
どうしてだろうと不思議に思っていたけれど、今ならばものすごくよく分かる。だって男性の姿で採寸してもらうよりも、姿だけでも女性の格好をしてくれていれば、この恥ずかしさは幾分か軽減されていたはずだから。しかも口調が女性のものならば、なおさら。
「家族を大事にするのはいいが、自分のこともちゃんと大事にしてやれよ」
「は、はいっ」
採寸の様子は、今まで何度か目にしてきていたけれど。見るのと体験するのとでは、天と地ほども差があった。
真剣な表情のオーナーは、いつもと同じように仕事の感覚でいるのだろうけれど。残念ながら今回は私のほうが、仕事感覚ではいられなくなってしまって。
(ど、どうしようっ)
会話をするような余裕もなく、ひたすらオーナーにあちらこちらのサイズを測られては、それをメモする様子を目で追っていたら。採寸が終わってようやく服を着替える頃には、まだ何も仕事が終わっていないというのに気を張りすぎていたのか、すでにどっと疲れてしまっていたのだった。




