3.厄介なお客様
「いいから、早くデザイナーを連れてきて。私だって暇じゃないのよ」
「当店のオーナーを呼びに行かせていますので、もう少々お待ちください」
「早くしてよ」
在庫置き場を抜け店頭に近づいた時に聞こえてきた声だけで、貴族のお嬢様だというその人物がどれだけ厄介なお客様なのかが理解できてしまった。確かにこの感じでは、ただの従業員が対応することを納得しないのだろう。
「アタシがお嬢様のお相手をしている間、従業員は他のお客様への対応をしてくれればいいわ。こちらは一切気にしなくていいと、全員に伝えておいて」
「はいっ」
けれどオーナーは面倒そうな顔一つせず、むしろエミィに指示まで出して真っ直ぐ前を向いて。そのまま店頭へと続く扉を開け放って、堂々とした態度で出て行ったのだった。
「お待たせいたしました。ブティック『スノードロップ』へようこそ。本日は、どのようなご用件でしょうか?」
しかもそのまま貴族のお嬢様だという人物に、自然に話しかける。さも、あなたのために出てきましたよという雰囲気で。
(ひと目見れば分かるとはいえ、これは特別感を演出するため?)
それとも面倒なやり取りの手間を増やさないためだったのかは、私には判断できなかったけれど。少なくともお嬢様相手に対応していた先輩従業員はオーナーの意思を汲み取ったのか、すぐに他のお客様対応へと回っていた。この連携には、さすが歴の長い方は踏んできた場数が違うと素直に感心してしまっていた私だったけれど。
「まぁ、あなたが?」
お嬢様からの疑うような声がオーナーに向けられて、私は意識をそちらに戻したのだった。
「えぇ。デザインのご提案や採寸といった部分から、お客様の大切な一着を作るお手伝いをさせていただいております」
「ふぅん?」
上から下まで、まるで見定めるようにじっくりとオーナーのことを見ているお嬢様。そばにいる女性は、おそらく使用人なのだろうけれど。
(止めるつもりはない、ということ?)
一切口も表情も動かそうとはしていないので、完全に主人の思うがままにさせているということなのか。とはいえ同じようにこちらも口を開くつもりは一切なく、なるべく表情にも感情を出さないようにと気をつけているので、案外お付きの人間という意味では私たちは同じなのかもしれない。
と、その瞬間。目の端に、珍しく男性客がお店の外に出て行く姿が映った。他の従業員が対応していたのか頭を下げているところを見ると、この状況の中で居づらくなって出て行ってしまったのかもしれない。
(もしかしたら、誰かへのプレゼントを買いに来てくれていたのかもしれないのに)
そう思うと、目の前にいるお嬢様に対して少し腹が立ってしまうけれど。私が怒りをあらわにしたところで何の意味もないので、小さく深呼吸することでこの苛立ちを治めておくことにした。
「私、次回のお茶会のドレスに新しいデザインを取り入れたいの。だからあなたがそのデザインを考えて、私のドレスを作りなさい」
「ご依頼ありがとうございます。では、こちらでご予約の日程を確認させていただいてもよろしいでしょうか」
そもそも、こんなにも上から目線の人間相手にオーナーは丁寧に接しているのだから、いち従業員の私がお嬢様のことをどう思おうと関係ない。
そう、思っていた。次の言葉を聞くまでは。
「はい? あなた、何を言っているの? 伯爵令嬢の私からの依頼なのよ? 誰よりも優先させて当然でしょう」
この瞬間、店内の空気がピリついたことに、誰もが気付いたはず。目の前にいるお嬢様以外は、おそらく。
そもそもドレスのオーダーということは、デザインや素材選びから必要になってくる大掛かりな内容で、そのどれもがしっかりとした日数調整をした上で契約が交わされるもの。それを貴族だからという身勝手な理由で先だとか言われても、正直こちらとしては困るだけなのだ。
とはいえ、貴族のお嬢様から依頼を受けてドレスを作るというのは、そのお店にとって箔が付くことと同じ。気に入られればお抱えになる可能性もあるのだから、千載一遇のチャンスでもある。だからこそ、その判断はトップであるオーナーにしかできないものなのだけれど。
(正直、断ってほしい)
私の個人的な希望としては、それが一番だった。そして同時に、周りの従業員たちも全員同じ気持ちだったはず。その中には、お嬢様からは見えない位置からオーナーに向かって、首を横に振る人物もいたくらいなのだから。
とはいえ、オーナー自身は一切そちらには目もくれず、目の前のお嬢様にだけ目線を向けていた。そしてそっと、口の両端を持ち上げると。
「失礼ですが、お客様。当店はオーダーメイドの場合は完全予約制となっておりまして、ご納得いただけた方のみご契約いただく形となっております」
私たちの願いが通じたわけではないと思うけれど、お嬢様に対して凛とした態度を崩さずに接してくれた。
「また現在の予約状況ですと、デザインの納品は数か月後となっております。ですのでドレスが完成するまでには一年ほどお時間をいただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
「あなた、聞こえなかったの? 平民の注文など、後回しにすればいいと言っているの。それに、一年後では間に合わないわ」
「申し訳ありませんが、お客様の大切な商談や結婚式のためのお手伝いをさせていただいておりますので、ご予約いただいた方への納品の期日は決まっております。なので後回しになどできませんわ」
笑顔のままだけれど、目は薄く閉じられているだけ。決して心から笑っているようには見えなかったのは、おそらくオーナーもこのドレス依頼を断りたいと思っているからなのだろう。
その証拠に。
「ご期待に沿えず申し訳ございません。ですが一年後のお茶会用のドレスのご予約でしたら、今からお伺いいたしますよ」
笑顔で予約用紙を差し出すその姿は、同時に今回の依頼の拒絶だった。つまり、もう間に合わないから諦めろということを、暗に伝えているも同然で。
「……っ、あなた、仕事が遅いのねっ。いいわ、二度と来ないから! 私の依頼を断ったこと、後悔するといいわ!」
それが分からないほど鈍感ではなかったのだろう。お嬢様は怒りをあらわにして顔を醜く歪めながら、そんな捨てゼリフのような言葉を吐いて、使用人の女性を引き連れて店舗の外へと出て行ったのだった。




