08.名前
路地裏に構えた隠れ家的な店『エスポワール』
重厚感のあるドアにはcloseと書かれた札がかけられていた。
その建物沿いに沿って歩いていくと、見過ごしてしまいそうな扉がある。
扉には鍵穴はなく暗証番号式の鍵になっていて、液晶画面にタッチすると数字がランダムに表示される。
四桁の数字を入力すると、ガチャっと鍵の開く音がした。
扉を開けると地下へと続く階段があり、下に行くに従ってひんやりとした空気が身体を包みこむ。
階段を降りると木製のアーチ形のドアが現れた。
そのドアには鍵はない。
開けて中に入ると、そこにはビッシリとワインが並べられている。
所謂ワインの貯蔵庫だが、用があるのはワインではなく、目的は別にある。
迷うことなく陳列されているワインの棚の1つに手をかけて手前にひく。
すると、先ほどまでワインの棚だったものは隠し扉で、その扉を開くと全く別の空間が現れた。
そこは学校の実験室を思わせる場所。
微かに薬品のニオイが漂っている。
「木南!」
部屋の主の名前を呼んだが返事がない。
たいして広くはないが、雑多なのもので埋め尽くされた部屋は死角が多すぎて、すぐには部屋の主を見つけ出すことが出来なかった。
けれど、人がいる気配はある。
注意深く部屋を見渡してみると、隅のほうで何やらゴソゴソと動く姿を発見した。
「おい木南、返事くらいしたらどうだ」
引き出しをかき乱している男の背中に文句をぶつけてみた。
「ああ……悪い。今探し物をしていて……。確かここに入れたはずなんんだよなぁ~……」
机の上には赤と黒の同線やら基盤があり、『何か』を作成している最中といった感じだ。
一瞬だけ爆弾を連想させたが、少し違う。
「何を作ってるんだ?」
「発電床。でも部品が足りなくて……おかしいな。一個だけ残ってたはずなんだけど……」
木南は一向にこちらを見ようともせずに、失せモノ探しに熱中している。
こちらの要件を聞いてもらうには、彼の問題を先に解決しないことにはムリそうだ。
木南が作ろうとしているモノが何なのかは分からない。
けれど、『発電』という言葉から、彼が探しているであろうモノの見当はついた。
ちょうど机の上にオイルが空になったライターが置いてあった。
「圧電素子が必要なら、このライターから取ったらどうだ?」
「おう、なるほどその手があった。さすが碩夢――」
引き出しをあさるのをやめて振り向いた木南の顔が、思いっきり不機嫌な顔に歪んだ。
「どういうつもりだ? 事と次第によっては……」
木南は白衣の内側に手を忍ばせた。
今にもナイフを突き出しそうだ。
俺の身長は180センチちょうどで長身の部類に入るが、木南は俺よりも5センチほど背が高い。
たった5センチの差だが、がっちりとした体形の木南にすごまれるとさすがに迫力がある。
俺が連絡もなしにヒューマノイドを連れてきたのを怒っているようだ。
それもそのはず、ここは木南の聖地みたいな場所で、知っているのは俺とここの家主だけだ。
そこへ見知らぬやつを突然連れてきたのだからムリもない。
俺だったら問答無用で撃っている。
でも、ここへヒューマノイドを連れてきたのにはそれなりの理由があったからだ。
「落ち付け、コイツはヒューマノイドだ。木南に修理してもらおうと思って連れてきた」
「ヒューマノイドだと? エイプリルフールはとうに過ぎたぞ。騙すにしてもお粗末すぎるだろ。確かに人間離れした容姿をしているが、どっからどう見ても人間にしか見えないじゃないか」
木南が信じられないのも無理はない。
銃で頭をぶち抜かれていなければ、俺も信じていないだろう。
「近くで見たらどうだ? これがどういうものかお前なら分かるだろ?」
ヒューマノイドに被らせていた帽子を取った。
赤黒く生々しい傷跡が露わになった瞬間、木南が息を呑んだ。
「うそ……だろ? 特殊メイクとかじゃないのか?」
「分析、してみたくないか?」
「い、いいのか?」
不機嫌そうだった木南の顔が、新しいおもちゃを与えられた子どものような喜びの顔へと変わる。
「本人に聞いてみたらどうだ?」
「その傷、見せてもらっても?」
木南の質問に、ヒューマノイドがコクリと頷いた。
ヒューマノイドを椅子に座らせると、しげしげとヒューマノイドの頭を見る木南。
「触っても平気か?」
その質問にもヒューマノイドは無言で頷いた。
はじめは恐る恐るといった様子で見ていた木南だが、次第に目の色が変わり胸ポケットにしまってあったピンセットを取り出すと傷口をいじりだした。
見ているだけで吐き気がしてくる。
視線を逸らし、木南が作ろうとしていた発電床を眺めていた。
しばらくして、木南は感心したような声を漏らした。
「き、君は本当にヒューマノイドなんだな」
その言葉にヒューマノイドはうんうんと何度もうなずいた。
すると、木南の瞳がキラリと輝きを増した。
「君を作ったのは誰だ? 造られたのは君だけ? もっとたくさんのヒューマノイドがいるのか? 君の得意分野は何だ? 介護用? 危険作業用? それとも医療用か……造られた目的は何だ?」
矢継ぎ早に質問する木南。
答える隙もないくらいに質問され、ヒューマノイドは驚いたように木南を見つめていた。
「なんだ、しゃべれないのか」
単に答えるスキが無かっただけだろうが、何も答えないヒューマノイドに木南は口を尖らせた。
「興奮するのも分かるが、相手に答える隙間くらい与えてやれよ。その傷のせいで若干抜け落ちている部分があるようだから、全てにおいて答えられるわけではないようだけどな」
「ああ、そうか。なるほど、済まなかった。まずは君の名前から教えてもらおう」
そういえば名前を聞いていなかったなと思ったが、ここまで関わるつもりもなかったから聞こうとも思わなかったのも事実。
「名前……」
戸惑うヒューマノイドに、木南が首を傾げる。
「いつも呼ばれている名前だよ。それも覚えていないのか?」
「いつも『おい』とか『ロボット』とかかな。あ、そうだ、たまに『V10Ti9A』って呼ばれることもあったかな」
当然ながら『モノ』としてしか扱われていなかったようだ。
アルファベットと数字の羅列は製品番号といったところか……。
今更ながら彼が『モノ』であることを自覚させられた。
あまりにも人間らしいからすっかり忘れていた。
「V10……Ti9Aか、それは名前じゃないだろ。名前だとしても呼びにくい。何か別の呼び名があるといいな」
木南はそこら辺にあった紙に『V10Ti9A』とメモしながらそう言った。
確かに。
ヴィイチゼロティーアイキュウエイ……舌を噛みそうだな。
木南はメモを見ながらブツブツと唱えはじめた。
どうやら木南は呼びやすい名前を考えているようだ。
けれど、こちらとしては名前よりもちゃっちゃと修理を済ませてほしい。
自分を探しているヤツと一緒に居たところで良い事は何ひとつないだろうから。
「そんなことより――」
「そんなことより? 名前は決して『そんなこと』ではない! 部品1つ1つにもきちんと品番があるだろッ!」
どういうわけだか木南がムキになって怒りだすから、こちらも黙っているのも癪に障るから言い返す。
「だったら太郎でいいだろ」
「彼になんの由来もないだろッ!」
何でそんなことまで考えなければならないんだッ! と返したくなるが後々の交渉のために、ここは大人しく木南のいう由来的なモノを考えたほうが得策とみた。
「だったら、語呂合わせのように呼び方を変えたらどうだ?」
「おお、愛称としての呼び名か、それはいい」
木南が納得したのはいいが、自分で言っておきながらそう簡単な事ではない。
「えっと……ヴィイチゼロ……ヴィ、ビ、ビジュウ、違うな……ジュウじゃなくて違う読み方にして……Ti9Aはティアイジィー、ジィーじゃなくてキュウか、いや9をGの小文字として読むと……タイガ! ビトウタイガ!」
何とか捻りだし名前にした。なんなら漢字もあてがう。
机の上にあったメモ紙に、適当に漢字を当てはめる。
「尾藤泰雅。これでどうだ!」
文句はないだろ、とばかりに木南につきつけた。
「語呂合わせか……ずいぶんと強引な気もするが、本人がそれでいいというのならいいんじゃないか?」
木南と俺の視線がヒューマノイドに注がれる。
「びとうたいが……それ僕の名前?」
戸惑いを見せるヒューマノイド。
「そうだ! V10Ti9Aをもじった、いわば君の愛称みたいなもんだな」
俺の代わりに木南が説明した。
木南の言う通りずいぶん強引だったが、そんなこと俺の知ったことじゃない。
俺は、とにかくコイツを直してとっとと終わりにさせたいんだ。
とはいえ、突然そんな愛称をつけられたところで嬉しくはないだろう。
今日初めて会ったやつに語呂合わせのような愛称をつけられるなんて、俺はイヤだ。
が、俺の心情は心の奥深くへしまっておく。
「これが僕の名前か……ありがとう!」
俺の思いとは対照的に、ヒューマノイド――泰雅は無邪気な笑顔を浮かべた。
まるで五歳くらいの子どものようだ。
俺が書いたメモを嬉しそうに眺めている泰雅に、木南が声をかける。
「よし、名前が決まったところで俺の質問に答えてもらおう」