22.疑問
目の前で松浦がむさぼるようにご飯をかき込んでいる。
特別うまい飯ではない。
いや、旨い。間違いなく旨い。何しろ俺が最近ハマっている冷凍チャーハンだ。
マズいわけがない。
でも、ここまで貪り食うほどでもない。
身体からそうとうな異臭を放っていた事を考えると、ロクなものを食べていなかったのは想像に難くない。
松浦に初めて会ったのは一週間くらい前だったか。
その時はそれほど異臭を放っていなかったし、寝不足気味なのは感じたがもう少し人間としてまともな生活をしていたはずだ。
この一週間、松浦はどこで何をしていたのか。
ストーカーさえひれ伏すほど、西垣の執拗な探索にも引っかからない、その身の隠し方を是非とも伝授してほしい……、じゃなかった、身を隠さなければならない理由はいったい何なのか。
西垣が帰った後、身体から湯気が出るくらい温まった松浦が風呂から出てきた。
松浦に事情を聞こうと問い詰める間もなく、松浦はふらふらと力なく倒れ込んでしまった。
ようやくキーパーソンに出会えたのに、ここで倒れられたら厄介だ、そう思っていたところ、部屋中に響き渡るほどの盛大な腹の虫の鳴き声が響いた。
仕方なく、買い占めてあった俺の大事な冷凍チャーハンを与え今に至る。
まだ何ひとつ松浦から事情を聞けていない。
泰雅といえば俺の隣に腰を降ろし、依頼人、黒崎学のネコを抱えている。
ネコも話が通じる相手だからなのか、気持ちよさそうに頭を撫でられている。
チャーハンを口いっぱいに頬張る松浦の視線が、出しっぱなしになっていたイチゴに向けられた。
掃除を終えてひと段落したとき食べようと思って出したイチゴ。
その後心臓を撃たれた泰雅が来てそれを追って松浦が、そして西垣が来たせいで食べるタイミングを逃していた。
そそくさとしまうのもカッコ悪い。
断腸の思いで松浦に勧める。
「よかったら……、こちらもどうぞ」
するとすかさず泰雅が松浦に耳打ちする。
「ああ言ってはいるけど、手を付けないほうが身のためですよ。僕銃を突き付けられたことあります」
ギョッとして泰雅を見つめる松浦。
これから重要な話を聞きだそうとする相手を怖がらせるな。
「あの時は勝手に人のものを食べようとしたからでしょ。今はこうして勧めてるんだから、怒りませんよ」
ニコニコニッコリ。
笑顔を浮かべたのに、それを台無しにする泰雅。
「え、でもさっきも女の人がイチゴを掴んだだけでブチ切れてたじゃん」
「ブチ切れてなんていませんよ」
思わず声のトーンが上がる。
「あ、あの! チャーハンを頂けただけで十分です。ありがとうございます」
エスカレートしていく俺と泰雅のやり取りを終わらせるように、松浦が会話に割って入ってきた。
泰雅と話をしていると何故か調子が狂う。
場を取りなすようにコホンとひとつ咳払いして、改めて松浦に向き直る。
「そろそろお話を聞かせていただいてもいいですか?」
許可を得る聞き方ではあるが、俺の冷凍チャーハンを食った以上嫌とは言わせない。
「ありがとうございます。こんなに良くして頂いて何とお礼を言ったらいいか」
「先日私を車に乗せていただいたお礼です。お気になさらず」
その時のことを思い出したのか、松浦はチラリと泰雅の方を見た。
今だに泰雅が生きていることが信じられないようだ。
まあ、それが普通なのかもしれないが……。
それでもよほど腹が減っていたのか、チャーハンを口へ運ぶ手は一向に止まらない。
挙句の果てにゴホゴホと咳き込む始末。
ペットボトルの水を差し出すと、松浦はペットボトルが凹むのも気にせず半分以上を一気に飲んだ。
息をするのも忘れるくらいの勢いで食べていた松浦の箸の手が、ようやく止まった。
「ありがとうございます。一週間以上まともな食事をしていなくて」
それは松浦の食べっぷりを見ていればすぐにわかった。
風呂に入ってさっぱりしたものの、目の下のクマは食事のみならず睡眠も満足に取っていないことがうかがえる。
「あなたがデータを改ざんして闇の組織と取引しているってことであってます?」
まどろっこしいのは嫌いだ。
真っ向から松浦にぶつけてみた。
松浦は俺の言葉に大きく目を見開いた。
「ゴホッゴホゴホゲホ……ゴホッ」
「大丈夫ですか?」
半分残っていた水を空になるまで飲みほすと、ふうっとひと息ついて口を開いた。
「だ、大丈夫です……けど、なんでボクが闇の組織と取引してるって……どうしてそんなことになってるんですか?」
松浦の反応からすると、自分が疑われている事すら知らなかったようだ。
いったい今までどこに潜っていたのやら……。
これは一から説明しないとダメそうだ。
ちょっと面倒くさいけど仕方ない、これも仕事だ。
「データを流出させたのはあなた、で、研究に携わっていた人間の口封じ――」
「ちょっ、ちょっと待ってください。何ですかそれ! え? 口封じ?」
「ええ、同じ開発チームの人間が次々と。三浦さんは交通事故にあい今も意識不明の重体。赤井さんは階段から転落し半身不随となり、事故以来外へ出られなくなってしまったようです」
「清水は? 清水は無事ですか?」
せっついたように聞く松浦。
「彼は無事ですよ」
その言葉にホッと胸を撫でおろした松浦だったが、すぐに顔を曇らせた。
「清水も危ないんじゃないですか? 襲われる前に警察に」
松浦は警察へ連絡しようと、ポケットからスマホを出したが、画面は真っ暗なままで電源は入らなかった。
充電切れ。
ずっと逃げ回っていたんだ。無理もない。
清水は一度襲われている。
あれはどう見ても事故ではない。
それが失敗に終わったとなれば、相手は必死になって清水を消そうとするだろう。
また襲ってくるに違いない。
とはいえ、スマホの電源が切れていなくても警察に連絡する必要はない。
彼は警察の人間であり、襲われた事はすでに彼の上司である須賀に報告されている事だろう。
須賀が何も手を打たないはずがない。
清水のとこを気にかけるより、気にかけるべきことが他にある。
「警察に連絡したら、真っ先に拘束されるのは松浦さん、あなたですよ」
「え?」
松浦は何を言われているのか分からないというような、不思議な表情を見せた。
「データを流出させ、研究チームのメンバーを襲っている犯人があなただからですよ」
「違う! ボクじゃない」
まさか自分が犯罪者になっていたとは露程にも思っていなかったのか、松浦は目を1.5倍くらいに見開いた。
まあ、最初から松浦の仕業ではないことは分かっていた。
では、なぜ松浦は姿を消したのか。
なぜ恋人である黒木由奈も姿を消したのか。
研究チームの仲間を襲うことが松浦への警告だと思っていたが、松浦はそのことを全く知らなかった。
これでは警告にすらなっていない。
襲った側の過剰な攻撃とも思わなくもないが、行動を起こせばそれだけ自分へと繋がる証拠を残すだけだ。
プロなら無意味な行動はしない。
そう考えると、研究チームの人間が襲われたことにも何か大事な意味があるのかもしれない。
「ボクはただ、西垣やよいの不正を告発しようとしただけなのに」
何故か苦虫を噛みつぶしたような表情で呟いた松浦。
そもそも松浦の行動には謎が多すぎる。
なぜこうも逃げ回らなければならないか、俺には理解できなかった。
「告発するにはそれなりの証拠が必要ですが、それを持っているという事ですよね。何故それを持って警察に行かないんですか? 警察に行かなくとも会社に訴えればいいのでは? これまでのあなたの勤務態度を見れば、皆あなたの言う事なら例え証拠がなくても信じてくれたのでは? 姿を隠し逃げ回っていては疑われても仕方ないのでは?」
「逃げ回ってなんか……」
これまでこちらの質問には比較的すんなり答えていた松浦が言葉を濁した。
そして、松浦はごまかすように口を開いた。
「ひとつ聞いてもいいでしょうか」
こちらが質問したいところだが、ここは大人の対応と言うヤツだ。
おおらかに言葉を返す。
「何ですか?」
「何故、ボクを西垣やよいに差し出さなかったんですか?」
何だそんな事か。
単に西垣やよいが気に入らないというだけの話だが、それじゃあなんだかつまらない。
「あなたを見つけたと報告すれば報酬をもらえましたね。今からでも――」
ちょっと意地悪なことを言ってみたら、思いの外松浦が青ざめた。
「エッ!」
イジメても徳はなさそうなので、早々に本音を話す。そうしないと話が進まないからだ。
「ウソですよ。報告しなかった理由はいろいろありますが、西垣やよいが気に入らないというのが一番大きな理由でしょうか。香水の臭いは会社でもあんなにきついんですか? 一緒に働いている人は地獄ですね」
松浦は苦笑いを浮かべた。
「それはさておき、あなたに聞きたいことがあるというのが本当の理由です。黒木結奈という女性をご存じでしょうか」
ようやく本題に入った。
「ボクの彼女です」
聞くまでもなかったが、黒木結奈が松浦の彼女であると確証が取れた。
でも、西垣やよいが松浦の彼女を連れ去った理由が今ひとつわからない。
「西垣やよいが黒木結奈さん、あなたの彼女を連れ去り監禁しているようですが、それはなぜですか?」
松浦にとっての弱みが彼女なのだろう。
彼女を人質にして松浦に『何か』を要求しているのは、想像がつく。
でもその『何か』まではさすがに分からなかった。
松浦は一瞬驚いた表情を見せたが、隠したところで徳がないことを察したのか、意を決したように口を開いた。
「西垣やよいの不正データをボクが持っているからです」
やはり松浦は証拠を持っていた。
ではなぜ逃げ回っていたのか、とっととデータを渡せばこんなに大事にはならなかっただろうに。
「何故渡さないんですか?」
「渡せるものならとっくに渡しています。西垣が余計なことをしたからッ!」
これまで穏やかに話していた松浦の口調が、急に荒くなった。
「余計なこと?」
「……」
ここまで話しておいて、何故か口ごもる松浦。
いったい何を隠しているのか。
すると再びインターホンが鳴った。
一瞬西垣が戻ってきたのかと思ったが、インターホンの音ですら人格を現すのかと感心するほど、その音は西垣が押すインターホンの音とは全く違っていた。
どことなく遠慮がちな音に、ある人物の姿を思い出す。
時計の針がきっかり三時をさしていた。
そういえば、黒崎少年に猫を渡す日だった。
来客は黒崎少年だろう。
泰雅が飛ぶように玄関へ走っていくのを見て、間違いないと確信する。
透視でもしたのか、泰雅は躊躇せず玄関を開けた。
やはりそこに立っていたのは間違いなく黒崎少年で、泰雅が抱いていた猫を見た瞬間不安そうだった表情がパッと笑顔に輝いた。
「チロッ!」
黒崎少年は泰雅か猫を受け取ると、猫に頬ずりをした。
猫も主人に会えて嬉しいのか、ニャンと小さく鳴いた。
「君の家の近くに青い屋根の家があるだろ? そこの家に飼われている白いネコが気になるみたいだから、ときどきチロを抱いて近くを通ってあげて。そうしたらもう逃げ出したりしないってさ」
本当にそんなことをネコが言ったのか確認する術はなく、相手が大人なら一笑に付されるだろうが、黒崎少年はサンタクロースの存在も信じている年頃だ。
泰雅の言葉に一瞬目をパチクリさせたが、すぐにとびっきりの笑顔で大きく頷いた。
そして、ポケットの中から飴を取り出し泰雅に手渡す。
「本当にこんなんでいいんですか?」
そう言ってポケットから出したのは、メロン味の棒付きキャンディだった。
先ほどまで笑顔だった黒崎少年の顔が不安に曇る。
すると泰雅が様子を伺うように俺の顔を見た。
「そういう約束ですから気にする必要はありません」
俺の言葉に、黒崎少年が安心したようにホッと胸を撫で下ろすと、泰雅に飴を渡した。
受け取った泰雅は、黒崎少年よりもあどけない笑顔でニッコリとほほ笑んだ。
黒崎少年は深々と頭を下げると、大切そうにネコを抱えて帰っていった。




