魔王軍に入った人間の巻
「私の代役たちが一人でも負けたらその時点で王座移動……だったらさっきのストイチさんので終わりじゃないの?あっ、これおいしいから食べてみて」
「い…いただきます。あの試合はさすがにノーカウントです……わあっ!おいしい!」
お城で作られたお菓子は、王国で最高の腕を持つ職人さんたちが最高の材料を使っている。味も見た目も食感も完璧だ。
「……ジャッキー様、そいつは敵です。油断したら何をしてくるかわかりません!」
「離れたほうがよろしいのでは……」
ラームとルリさんは警戒している。弱そうに見えてもダイは魔王軍、互いの肩がつきそうな距離で座って試合観戦なんて確かに普通ならありえない。
「平気だよ。不意打ちがやりたいなら何回もそのチャンスはあった。それに兵士たちがたくさんいるんだから、変なことをした瞬間に終わりだ」
「………」
「……そちらは問題ないとしても………」
ダイを一人にするほうがよくない。戦闘力は低いとしても、いろんな場所を同時に見ることができる不思議な石を出せる。それに全くの役立たずだったら六人組にも入れないし、王冠を管理する役を任されることもないはずだ。私のそばにいるのが一番いい。
「あっ…!試合が……動きました!」
「どれどれ……マーキュリーのリングだ!」
火山のそばで戦うマーキュリーと蝉のマヌー。熱気でとても暑く、二人ともすでに汗が目立っていた。
『勢いがあるのはマヌー!休まず攻め続け柱までマーキュリーを交代させた!』
「むむむ……マーキュリーが防戦一方だ」
「マヌーさんは速攻が得意ですから……相手は何もできないまま負けてしまう、それも珍しくない話です、はい」
あんな場所では長く戦うのは無理だ。短い時間で決着がつくとしたら、強いのは試合が始まってすぐに仕掛けるタイプだ。
「どうだ!どうだ!手も足も出ないか!?」
「……手も足も出なければ………」
リングの端に追い込んだことでマヌーの攻撃はますます威力の高いものになっていた。そのぶん動作も大きくなっていて、一瞬の隙をマーキュリーは見逃さない。
「ぐうっ!」
『マーキュリー、頭突きで反撃!マヌーがふらつく間に脱出、リングの中央に戻った!』
マヌーの見た目は普通の人間だ。ただしいきなり腕が出てきた蜘蛛のジュンのように、擬態している場合もある。決めつけるのは危ない。
「私が手も足もと言ったら頭を使うか……そんなおふざけができるやつとは聞いていなかった」
「………」
「ジャクリーン・ビューティと戦い、そして敗れたことで変わったようだな。自慢の闇は光に征服され、氷は溶かされてしまったらしいが」
オードリー族よりも私たちのことを調べてきている。魔王軍が近いうちに人間界を侵略するという噂は正しかった。
「そう。私は変わった。ジャクリーンと愛し合うことで……以前よりも強くなった!」
「どうかな……我々は弱くなったと思っている。スーパー闘技大会を簡単に優勝し、人間界でやることがなくなって魔王軍入りする……それがお前にとって理想の人生だった」
あの時のマーキュリーなら魔界に行ってもおかしくなかった。愛を知ることを諦めて、強さだけを追い求める毎日……私にはとても理想の人生とは思えない。
「強かったお前が来てくれたら魔王様も大喜び!ダイみたいな雑魚を追い出すこともできただろうに、ジャクリーン・ビューティなんかに負けるとは!」
たった一言で私とダイの二人にダメージを与えるとは、マヌーの攻撃には無駄がない。
「魔王軍に?私は人間、どれだけ堕ちてもそれは……」
マーキュリーにはその気は全くなかったようだ。魔界に行くだけなら誰でもできるけど、魔物の血が少しは流れていないと魔王軍に入るのは難しいか。
「そんなことはない。人間でも力のある者、そして魔王様への忠誠と魔族の発展を願う者であれば大歓迎だ!そう、この私のように!」
「………!」
「隠すこともない。私は人間だ!つまらない世界を見限り、魔王軍で刺激のある毎日を楽しんでいる!」
まさか見た目通り純粋な人間だったとは。王様や兵士たちも人間が魔王軍にいる事実を知り驚いていた。
「人間……!それならなぜ虫組に?」
「私はかつて蝉だった……そして寿命を全うして死んだ。しかしその時の記憶を持ったまま転生し、人間として生まれた!お前たちがこれを信じるか信じないかはどうでもいいことだがな」
私たちのそばにはエーベルさんという転生者がいる。大聖女だった前世の記憶があり、最近ではその時の力を少しずつ取り戻しつつある。だからマヌーの話も信じられるけど、蝉から人間になるなんて。
「数年間地中で過ごし、最後の一月だけ外に出る……その経験は役に立っている!いつ勝負の時を迎えてもいいように準備を怠らず、一秒も無駄にせず全力で生きる!それが私の強さの秘訣だ!」
マヌーがロープに走り、勢いをつけてパンチ攻撃だ。マーキュリーはすぐに氷の壁を作った。
「よし!いくら暑くてもあの氷は溶けない!」
「普通の氷じゃありませんからね」
最上級の炎魔法をぶつけないと溶けない氷だ。平凡なパンチで崩される壁ではない。
「……いえ………おそらくマヌーさんの攻撃が当たります。火山の力も借りれば……確実に」
「えっ!?」
私たちはまだ敵の能力を知らない。ダイの言葉を聞いても、何が起こるかわからずにいた。
「よし……来いっ!」
「………!?」
マヌーが誰かを呼んだ。どこかに隠れている仲間がいるのかとマーキュリーは警戒し、リングに近づく人影がないか見張った。ところが来たのは人ではなく、
「よ…溶岩!」
「自慢の壁もこの熱さには耐えられないだろう!」
火山が噴火して溶岩が飛んできた。しかもその溶岩は小さく凝縮されて、マヌーの右腕を覆った。
「これが私の能力!その氷ごと溶かしてやる!『ボルケーノ・パンチ』ッ!」
「………!」
蝉のマヌー……火山のそばで戦えば無敵だ。魔王軍として侵略に来たのだからレベルが高いのは当たり前でも、ここまでとは思わなかった。
「……いやいや、あの能力………蝉と全く関係ないよね」
「私もそう思いますけど……マヌーさんは蝉から生まれ変わったというだけで、それ以外は何もありませんから……」
そんなことを言ったら何でもありだ。他の蜘蛛やカマキリも、どんな攻撃をしてくるか予想するだけ無駄だ。
蝉のマヌー……蝉として生きた前世の記憶を持つ人間。火山を操り、溶岩の力を使って戦う。名前の元になったのはGSバンド『ゴールデン・カップス』の『マモル・マヌー』。ゴールデン・カップスはメンバー全員がハーフ(混血)という設定だったが、実は純粋な日本人が多かった。マヌーの本名も『三枝守』。




