砂海
どこまでも広がる砂海の真ん中を、女が一人彷徨っている。
彼女の纏う、砂漠特有の露出多めな衣装には砂粒一つついていないが、浅く焼けた肌には砂漠の砂がこべりついている。
艶のある妖艶な黒髪も砂埃を纏い、本来の輝きは失われている。
「はぁ…はぁ…は…は…」
国を追放されてから、彼女は既に三日をこの砂漠で過ごしている。
水も食料も、オアシスも雨も無い。
善き君主は、いつもろくな死に方をしない。
いつか、神官に言われたそんな言葉が女の脳裏に蘇る。
「…妾は…良き君主になれたのだろうか…」
力尽きた女は、遥かなる砂海に身を任せる。
「…何故ですか…兄上…」
女はかつて、デルガード王国を治める君主だった。
女は聡明な君主で、民からも厚い信頼を得ていた。
いわれも無い罪で追放されるまではの話だが。
「女王アフジェトホテプ…だな?」
「…?」
死神の声か。
父と兄の謀略に嵌められ全てを失った哀れな女王は、ゆっくりと顔をあげた。
かつての女王を見下ろしていたのは、厚手の軍服に身を包んだ背の高い女だった。
「…何者だ…」
「僕の名前はサヨ。貴女の国に幾つか通帳を送ったのだが一向に返事が来なくてな。様子を見に来たんだ。」
そう言ってサヨは、懐から水筒を取り出した。
表面には結露が浮き、蓋の隙間からは微かに霧が漏れている。
「貴国から流入してくる大量の難民について協議したいと思ってな。皆口を揃えてこう言うのだ。無能な女王のせいでまともに暮らせなくなったと。」
サヨは水筒を開け、アフジェトホテプの口に冷水を流し込む。
三日ぶりの水分と冷却によって元気を取り戻したアフジェトホテプは、最後には自分で水筒を掴んで飲んだ。
「で、民から重税を巻き上げ享楽に溺れる稀代の大悪女が、どうしてこんな処で干からびているんだ?」
「…違う!あんな法令、妾は知らぬ!全部兄の…」
「相当訳ありの用だな。」
サヨはアフジェトホテプに手を差し伸べる。
「話を聞こうか。女王様。」
不意に地面が揺れだす。
遥かなる砂海を突き破り現れたのは、正面部分に巨大なドリルが付いた重戦車。キャタピラの代わりに、動物の様な四足が付いている。
ハッチが開き、中からは小さな頭がひょっこりと出てくる。
「サヨさん?その方は?」
肌にぴったりとくっつく、迷彩柄で薄手のノースリーブを着たコトリンである。
「砂漠で迷子になってしまったらしい。お客様の為にシャワーと着替えを用意してくれ。」
サヨは数歩戦車の方に歩み、アフジェトホテプに再度手を差し伸べる。
「おぶっていきましょうか?女王様?」
戦車の中に入るには、はしご代わりに据えられた鉄の突起物をよじ登っていく必要がある。
数分前まで生死を彷徨っていた女王には酷では無いかと、サヨはそう思った。
「気遣いに感謝する。だが、命の恩人にこれ以上の手間はかけさせぬ。」
アフジェトホテプの身体が一瞬だけ光に包まれ、白銀のハヤブサのものに変化した。
「ほう。変身系か。」
(すっげー!初めて見た!かっちょいー!)
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「あ…あの…えっと…」
サクラは困っていた。
目の前には、ピンクのパーカーに短ジーンズを着たマリーザが居る。
「気弱そうな黒髪の東洋人って…君の事だよね?」
「えっと…サヨさんがそう言うなら多分私ですけど…」
「じゃあ、あんたが今日から私の上司だね。よろしく。」
「えぇ…?」
サクラは困っていた。
朝起きたら、突然知らない人が部下になっていたからだ。
ザラマチ政府にザラロスカ消滅の報が入ったのは、ココナ討伐より半日後の事だった。
それから一週間、政府は新たな国土の整備や倍増する難民の対応に追われていた。
そしてサクラは戦闘よりも頭脳労働に長けていたので、いつのまにか副総統にまで昇進していた。
「私も、あんたのボスの噂はかねがね聞いてるよ。機械魔法を操る破天荒な野心家。あんなのを敵に回す相手が可哀そうだよ。」
サヨの抱える壮大な夢は、少しでも彼女の事を理解しようとした者は直ぐに理解できる。
世界征服。サヨが追い求めているのは、子供の戯言の様なそれだった。
「それで…サクラさん、だっけ?」
「え?あ、はい。」
「あなたはあの女の事、どう思ってるの?」
「え?」
「だって世界征服って事は、いつかあなたの故郷にもあの機械達が攻め込んでくるかも知れないんだよ。」
「それは…」
サクラは少し考える。
いつも暖かい握り飯を作ってくれたおばば様。優しく聡明な両親。いつか見た、なんて事の無い街の風景。
そう言ったものが脳裏に浮かんできては、蜃気楼の様に消えて行った。
全ては過去の思い出。
クーデターが起こった今、最早今の故郷はかつての面影すら無いだろう。
「…多分私は、あんまり気にしないと思います。」
「へぇ。」
「だってザラロスカからは、一般市民の犠牲は全く出なかったんですよね。それどころか犯罪から足を洗って、今は殆どの人が真っ当な職業に就いているとか。」
「つまりあの女には能力があるから、あの女の支配を受け入れるって事?」
「それで私の国も良くなるなら、それも良いかなって。」
「ふぅん。」
それを聞いたマリーザは、にいと笑顔になる。
「あなたとは仲良くなれそうだよ。よろしくね、日和見主義者さん。」
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クーラーの効いた戦車の中。
「ふぅむ。内装と外観の広さが明らかに符合しておらぬ。さてはお主も…」
「素敵だろ?この力があれば、兵器を作るのにわざわざ鉛や鉄を調達する必要が無いんだ。」
地の底を潜り進むこの重機には、【掘削者】と言う名が与えられていた。
車と同じ操作感だが地中なので交通事故の心配は無いし、地中を掘り進む車に適応できる交通法も無く、そして何より大した速度も出ない。
つまり、操縦に運転免許が要らなかった。
「えっと、後ろ向きにする時は、ハンドルを目いっぱい切ってアクセルを…」
コトリンはサヨに運転の練習だと言われて運転席を任された、と言うか半ば強引に押し付けられた。
サヨは極度の面倒臭がりで、自分以外でも出来る事は極力人任せにした。
「あれ?このレバーってなんだっけ。…わわわ!ドリルが逆回転に!」
暴走する戦車の中は驚くほど静かだ。
揺れも無いし変な遠心力が発生する事も無い。
談笑するのに丁度良い環境である。
「それにしても女王様、本当にそんな恰好で大丈夫なのか?」
テーブルを挟みサヨの向かえに座るアフジェトホテプは、必要最低限の場所に白いシルクの布を巻くだけと言う、実に簡素な格好をしていた。
「我らデルガード人は外気温の変化に強い。だがその反面、物理的な刺激には極端に弱いのじゃ。お主ら砂外の民の様な格好をしてしまうと、半日も経たぬうちに全身の肌がボロボロになってしまう。」
「ふぅん。」
そういうものかと何となく納得しながら、サヨはコーヒーを一口。
「これから僕達は貴女の祖国に行くつもりだけど、着いて来るか?」
「安心してください。サヨさんの目の届く範囲が、この世界で一番安全な場所ですから。」
サヨの提案にコトリンがフォローを入れる。
「ありがたい提案じゃが、遠慮しておく。命の恩人にこれ以上手間を掛けさせる訳には行かぬ。それに、もうあそこは妾とは関係の無い場所じゃ。」
「そうか。では事が終わったら我が国に来ると良い。衣食住に困らない、豊かでモダンな生活を保障しよう。」
その時、サヨの携帯電話が鳴る。
「僕だ。」
それはザラマチが、ザラビアとデルガード王国からほぼ同時に宣戦布告を受けた知らせだった。