深窓の盲目令嬢に、嫁になってくれと求婚した。他のものなんか何もいらないから、彼女に好きになって欲しい。
ーーーババア、やってくれたな。
ジメジメとした地下牢で、ギシ、と腕を両腕で自分を吊るす鉄鎖が鳴る。
ヘイズは、上半身を裸にされ、膝をついた姿勢で拘束されていた。
全身に走るミミズ腫れは、鞭で打たれた痕。
新鮮な傷は、血が滴って生臭い鉄錆の臭いを漂わせ、熱をもって不快な痛みが走っていた。
目の前に立つのは、冷酷な表情をした、さほど歳の変わらぬ青年。
貴族服に身を包んでこちらを見下ろしているそいつは、つい先日までこの国の第一王位継承者であり、新王として立ったルゥフゥという名のゴミだ。
ヘイズはかつて、第二位の継承者としてこの城に召し上げられた。
クク、と嗤って見せると、ルゥフゥはチリ、と目の奥に苛立ちを走らせ、鞭を振るう。
「……ッ」
「何がおかしい」
「おかしいね。そんなに真の王位が欲しいのかと思うと、愉快で仕方がねぇ」
こいつに、ヘイズは殺せない。
せいぜい痛めつける程度のことしか出来ないのだ。
もし殺せば、欲しいものが手に入らないから。
ーーー恨みたくなるぜ、クソババア……。
ヘイズは、こうなった元凶である女王に、再び悪態をつく。
ことの始まりは、国の守護を司っていたその女性……〝ヴェールの女王〟ミスティリアが身罷ったことだった。
この世の誰よりも醜悪な容姿を持つと言われ、顔を覆うヴェールなしでは決して人前に立たなかった女王は、膨大な魔力を備えており。
その魔力を【守りの指輪】に注ぐことによって国土ごと強力な結界で覆う、国家守護の要だった。
その女王が、突然死に、国の上層部は動転した。
早急に次の王を立て、結界を立て直さなければ他国の侵攻を許す事態になりかねない。
幸いにも、女王は自分を継ぐ者たち……高い魔力を持つ順に王位継承権を与えていた少年少女は、豊富に揃っていた。
この国では、【守りの指輪】を扱えるだけの魔力を持つ者が、王になるという決まりがあった。
平民だろうと貴族だろうと関係なく、だ。
ヘイズは、元は貧困街に捨てられた孤児だった。
あまりにも突然ミスティリアがいなくなったことで、ルゥフゥが仮の王として立った……のだが。
葬儀後に伝えられた女王の遺言で、彼の手にその地位がまだ不安定であることが、突きつけられた。
ーーー『隠された指輪を得た者に、正式な王位継承者を指名する権利を与える』
女王の身につけていたはずの【守りの指輪】が、どこにも見当たらなかった理由だった。
城中の捜索が、ルゥフゥの主導で行われ……指輪を見つけたのが、ヘイズ。
「口を割らぬか、逆賊が」
「逆賊? ……そいつはどっちだ? テメェみたいのが本物の王になったら、それこそ国の破滅だろうが」
ルゥフゥは、王に相応しくない。
魔力の強さを誇り、驕り、他者を虐げる者が、王位につくなど。
ミスティリアの治世ですら救い切れなかったスラムの惨状を知っている身として、到底容認出来るわけがなかった。
彼女とヘイズが出会ったのは、スラムにほど近い養護院の路上。
見るに堪えない醜悪な顔をしていると噂され、常にヴェールで顔を隠していたミスティリアは、慰労を欠かさぬ女で、王国の現状を憂いていた。
『あなたには、辛い役目を強いることになるでしょう。それでも、王城に上がりますか?』
見窄らしい子どもに対してすらも、その意思を尊重する優しい女だった。
だからこそ。
「テメェに指輪は渡さねぇよ。ババアは、テメェの王位を望んじゃない」
ヘイズは、ミスティリアの書斎にあった隠し棚から、鍵を見つけていた。
捜索の際に、かつて幼い頃、たった一度だけ彼女から教えられていたことを、思い出したから。
『わたくしの身に何か起これば、ここを見るのです。あなたを導くものが、見つかるでしょう』
その言葉通りに隠し棚に入っていた鍵を得たヘイズは、あの場所に赴いた。
書斎の奥にあった、鍵を持つ者にだけ見える隠し扉。
奥にある階段を下った先、美しい森の中にある屋敷の中庭で、彼女に出会ったのだ。
この世のものとは思えない美しさを持つ、盲目の姫に。
※※※
ーーー何で、城の奥にこんな場所があんだよ。
心の中で悪態をついたヘイズは、手にした鍵をシャラン、と音を立てて回した。
その音に気づいたのか、視線の先で、薄いヴェールの天幕に覆われた揺り椅子に座った少女がこちらに耳を傾ける。
「……じいや? どなたが来られましたの?」
「女王陛下が以前にお約束されていた、お客様にございます」
「お母様の? そう……」
この場所まで自分を案内した老家令と彼女のやり取りに、ヘイズは剛毛の黒髪をガシガシと掻く。
正直、意味が分からなすぎてイラついている。
城の奥にこんな場所があるなんて、誰も知らないだろう。
ましてそこに、王女が住んでるなんてことも。
ーーー荷の重さが、ちょっと半端じゃねぇぞ。
ミスティリアの遺言と、この状況。
継承争いなんか、もうちょっと慎重にやり過ごすつもりだったのに、とんでもないモン放り込んで来やがって。
これでは、ルゥフゥの野郎と真正面から対決しろと言われているようなものだ。
そんなことを思いながら、ヘイズは共にこの場を訪れた従者の青年、ヒートに目をやる。
だが、自分によく似た背格好の赤毛の彼は、こちらの視線に気づかなかった。
ヒートの目は、少女に釘付けになっている。
ーーーおいおい、しっかりしろよ。
気持ちは分かるが、未知の場所で呆けていて、もし突然背後を襲われたらどうするつもりなのか。
そんな風に思いながら、ヘイズも改めて少女に目を向ける。
淡い日の差す天幕の中にいる彼女は……まるで、この世のものとは思えない儚い雰囲気と美貌を備えていた。
肌は青く感じるほどに白く、閉じられたまぶたを彩る豊かなまつ毛も、梳かれて長く垂れた髪も、金とも銀ともつかないほどに色が薄い。
小さく整った顔立ちの中で、薄い唇だけが桜の花片のように色づいている。
華奢な四肢を覆うドレスは、少女自身の白さと対照的に漆黒で、飾りの少なさが、まるで妖精のような彼女の気配をより一層際立たせていた。
そしてそんな彼女の、左手の薬指に嵌まっている指輪。
あれこそ今、城中の人間が血眼になって探している【守りの指輪】だった。
ーーーマジかよ。
ヘイズは、嫌な予感がして口元を引き攣らせる。
ただ王女に指輪を持たせているだけ、ではないだろう。
「お客様。お名前は?」
どうやら、目が見えないらしい少女は、明後日の方向を見たまま微笑みと共に問いかけてきた。
「ヘイズだ。俺は、ミスティリアに娘がいることなんか知らなかった。あんたは何者だ?」
「ルナフィリアと申します。わたくしのことをご存じないのは、そう、その通りでしょうね……」
ヘイズが近づきながら答えると、あっさりと名乗った少女は、するりと自分の指に嵌まった指輪を撫でる。
「わたくしは生まれてから今まで、このお屋敷を出たことがありません。そしてお母様が身罷った後、この指輪を守る役割を与えられております」
そこで、ルナフィリアは少し悲しげに顔を伏せた。
ミスティリアが亡くなって、まだ半月も経っていないのだから、娘だというのなら気落ちして当然だろう。
「お母様の死とともに指に収まったこの指輪を、わたくしは自分の意思で抜くことは出来ません」
ーーーだよな。
こんな弱そうな姫様に、そんなもんをタダで渡すわけがない。
何もなけりゃ、あっさり奪われて終わりなのだから。
「そして、例えば無理に、あるいは指を切り落として引き抜こうとしても、わたくしが誰かの剣などで命を落としても、指輪は壊れます。お母様が、そのように計らいましたので」
「ミスティリアの遺言は、指輪を手に入れた奴が継承者、ってことだが。指輪が抜けないとなると、さて、コイツは困ったな?」
そう言いながら、ヘイズは安堵と不安がないまぜになった複雑な心情になる。
ミスティリアの魔力は、この国の誰よりも、歴代の王たちよりも強いと言われている。
「そうなると、あんたがこの国の女王か?」
「いいえ。わたくしには、国の王となれるほどの魔力はございません。あくまでも、指輪の守護者としてここに在ります」
「そいつは良かった」
ミスティリアの魔法や結界が、たとえここを見つけたとしてもルゥフゥ如きに破れるわけもないので、少なくとも状況は完全に悪いわけではない。
そして不安の方は……奴から、ヘイズとヒートが、彼女を守らなくてはいけないと言う責務が増えたこと。
ーーーとことん俺らを嵌めやがって、クソババアめ。
優しくも厳しい、ミスティリアはそんな女だったが、逃げ道まで塞いでくれるのはやり過ぎだろう。
ルナフィリアを守ろうと思えば、必然的に城から逃げて時間稼ぎをする選択肢は消えてしまう。
ヘイズのそんな内心を知るよしもないルナフィリアは、淡々と言葉を続けた。
「どうすればこの指輪が抜けるのか……それは、わたくしの知り及ぶところではありません」
あくまでも微笑みを消さぬまま、彼女は小首を傾げる。
さらりと流れる色の薄い髪が、花の香りをふわりと漂わせた。
「ただ、抜く手段はあり、それを為した者に指輪は与えられるそうです」
「そうか……なら、まだ安心だな」
「と、いうと?」
「誰も外し方の答えを知らねーなら、誰かに奪われる心配もねーってことだからな。そんで俺は、そんな指輪に、ちっとも興味がねぇんだ」
「え……?」
ニヤリと笑ってヘイズが答えると、ルナフィリアは戸惑った表情を浮かべる。
「興味がない……?」
「そうだよ。ーーーこの国の在り方は、おかしい。国を守るのに指輪と王様一人の力に頼るなんて、そもそも異常だろうが」
ヘイズの答えに、ルナフィリアは今度こそぽかん、と口を開けた。
「あなたは、何を仰っているのですか……?」
「指輪なんかいらねーって話をしてるんだよ。だから抜けないなら都合がいい。永遠に抜けなくてもいい。……国を守りたいなら、別に他の国同様に兵を鍛え、守る力を養えばいいんだ」
あるいは、指輪がなくても、魔法の結界を維持できるだけの人材を育てればいい。
それを怠けてきたのが、この国なのだ。
そして、ミスティリアや歴代の王に責務を押し付けた。
王位継承者として振る舞う役目を無理やり与えられた時から、ヘイズはずっとそう思っていた。
ーーーだから、変える。
「指輪なんか、ない方が国は育つだろうよ。なぁ、ヒート!」
従者であり、同時に幼馴染でもある青年に声を掛けると、彼はようやく呆けた気分から覚めた様子で、うなずいた。
「……そう、ですね」
「ルナフィリア、せいぜい長く、この屋敷で平穏に過ごしてくれ。俺は、指輪は見なかった。偶然見つけた鍵で、あんたに会った。それだけだ」
「……外の者は皆、貴方のようなお考えなのですか?」
ルナフィリアの戸惑った表情は、未知のものを目の前にしたような怯えに変わっていた。
ーーービビらせちまったか?
どうも女性の機微というものに疎いヘイズは、軽くアゴを撫でる。
「いや、俺の方が変わりもん扱いされてるよ。外の連中は皆、そいつを欲しがってるからな」
「そうですか。では、このお役目に意味はあるのですね」
どこかホッとしたように、ルナフィリアが息を吐く。
そして、いちいち全ての仕草が可憐と呼んで差し支えないほど素直で、洗練されている。
その素直さは、あの内心苛烈な女王の娘と言われてもにわかに信じ難く、洗練されている面に関しては、流石あの女王の娘といったところだ。
顔をヴェールで隠していること以外は全てが完璧な女王ーーーそれが、ミスティリアだった。
「さて、要件が終わったところで、あんたに言いたいことがある」
「はい、何でしょう?」
ヘイズは、ルナフィリアの前に跪くと、そっと指輪の嵌った手を取り、口づけを落とした。
手の甲への口付けは、求婚だ。
ルナフィリアは、その感触で何をされたのか理解して、固まっている。
「〜〜〜ッ!?」
「俺は、指輪はいらない。でも、あんた自身には、めちゃくちゃ興味を持ってる。多分、一目惚れとかいうやつだ」
「ひと……!?」
「だから、話をしよう。俺はあんたの中身を知りたい。絶対に可愛い確信がある。そして俺のことを知って、ルナフィリア、あんたにも俺を気に入って欲しい」
口をパクパクさせる可愛らしいルナフィリアに、ヘイズは目を細める。
「初対面でおかしいかもしれないが、もし、話をして、俺のことを気に入ってくれたら」
驚きに固まった後、一瞬で頬と耳を染めた彼女の様子を眺めながら、ヘイズは言葉を重ねた。
「ーーーどうか、俺の嫁になってくれないか?」
※※※
それからさらに月日が流れ、【守りの指輪】が見つからないことに焦り出した周りを放っておいて、ヘイズは何度もルナフィリアの元へと通った。
「あんまり姿が見えないと、サボってると思われて、ルゥフゥ様に怒られますよ?」
そんなヘイズに苦言を呈する従者のヒートに、肩をすくめて皮肉な笑みを浮かべて見せる。
「ヒート。俺がそんなこと気にすると思うか?」
「思いませんが、その内、何か嫌なことが起こりそうな予感が……」
心配性だな。
そう思いながら、ヘイズは顎をしゃくる。
ヒートは、従者でもあるが同時に幼馴染みであり、言葉遣いこそ丁寧だが歯に衣着せるような間柄ではないのだ。
「良いから行くぞ」
結果として、ヘイズはルナフィリアと仲良くなれた。
もちろん彼女は、最初は警戒していた。
『なぁ、そんなに怯えないでくれないか?』
『い、いきなり求婚されて、普通になんて、出来ませんっ!』
『可愛いな』
『〜〜〜っ、だ、だから、そういうことをですね……!』
『事実なんだから仕方がない』
顔を赤くして答える彼女に、なるべく近づかないように話しかける。
『今日は贈り物を持ってきた。ヴィオラの曲を練習してきたから、聞いてくれないか?』
彼女は目が見えない。
感触を楽しめるものならともかく、物の贈り物なんて意味がないだろう。
だから、音色を持ってきた。
『音楽、ですか?』
『そうだ。得意ではなかったが、ルナフィリアの耳を楽しませたい』
ルナフィリアは、練習しても人並み程度のヘイズの音色に、それでも笑みを見せてくれた。
『どうだった?』
『所々、お間違えでしたわね』
『耳障りだったら、今後はやめるが』
『いいえ。……わたくしのことを考えて贈ってくれた音色は、心地よかったです』
『なら良かった』
そこから、何度か話をした。
たわいもない外の話や、御伽噺を提供すると、素直な彼女は花が綻ぶような笑みを浮かべて、それを楽しんでくれた。
逆に教養の面ではとても博識なルナフィリアは、庭に生えた薬草や花の効能や、この国の歴史に関する逸話などを披露してくれる。
そうして、初めての贈り物をもらったのは、出会って2ヶ月ほどもした冬のことだった。
『これを』
それは、飾り気はないが美しく編まれた毛糸のマフラーだった。
『これは?』
『わたくしが編みました』
言われて、ヘイズは目を見張った。
『目が見えないのに、綺麗だな。君はすごいな、ルナフィリア』
『指先の動きが分かれば、出来ることですもの。爺やが良いものと教えてくれたので、お贈りします。……迷惑でしたか?』
『いいや。すげぇ嬉しいよ。ありがとう』
それからさらに半月。
何気なく、ある日ルナフィリアがぽつりとつぶやく。
「わたくしも、外に出てみたいですね……」
そんな彼女に、ヘイズは笑みと共に答えた。
「その指から指輪を抜く方法が分かったら、どっかに捨てちまおう。そうでなくても、バカどもに指輪を諦めさせれたら、大手を振って歩けるようになるさ」
ルナフィリアを口説く間にも、ヘイズは裏で色々と手を回していた。
いつまで経っても見つからない指輪よりも、国務として結界を維持する方法を探るか、今まで手を抜いていた軍備に力を入れることを一人一人説得し、周知して回ったのだ。
それが、ようやく承認される過半数に達するかどうか、といったところで。
ーーーヘイズは、ルゥフゥに拘束された。
※※※
「玉座に対する叛逆の示唆。国の要である指輪の隠蔽。民を危険に晒す貴様の行動は、死罪に値する」
そう口にするルゥフゥは、最後にこう言った。
「指輪を渡せ、罪人ヘイズ。貴様は、その在処を知っているだろう」
ヘイズは、笑みを消さない。
「ルゥフゥ。テメェは結局、自分の地位が惜しいだけだろ。偽物の王様に、誰がそんなモン渡すかよ」
油断はしていなかったと思う。
だが、女王の部屋から出たところを待ち構えられて拘束されたヘイズは、鍵を取り上げられていた。
最初は焦ったが、ルゥフゥが口にした『この鍵は、女王の部屋の、どこの扉の鍵だ』という言葉で、気づく。
ーーーあの扉は、鍵の正当な所有者にしか見えねぇんだ。
いつだったか、ヒートがそんな事をポツリとつぶやいていたことがあり、それが真実だったのだ。
女王からあの鍵の場所を知り、託された時、その場にいたのはヘイズと従者のヒートだけ。
多分、自分と彼以外の人物は、ルナフィリアを世話するあの老齢の執事くらいしか、扉は見つけられないのだ。
だからルゥフゥは、こんなやり方をしているのだろう。
こいつが彼女に手を出せないなら、ヘイズとしては自分がいくら痛めつけられたとしても構わなかった。
根回しはほとんど終わっている。
自分が捕らえられたとしても、ヒートがいる。
そう思っていたのだが。
「入ってこい」
そう言って連れてこられたのは、あの日、別の用事を言いつけて別れて行動していた、ヒート。
赤毛の従者は、静かな目で痛めつけられたヘイズを見つめた。
彼のその視線の意味を、微かなうなずきを目にするとともに、正確に理解する。
ーーーこいつもルナフィリアに惚れてたはずだが、心配もしてねぇ。ってことは。
ヒートも、ルゥフゥがルナフィリアに手を出せないと気づいているのだ。
彼がヘイズを裏切ることは、ありえない。
そしてヒートは、いくら痛めつけたところで、ヘイズがルナフィリアの居場所を吐かないことを知っている。
彼がこの場に訪れるということは、彼が準備を終えたということだ。
ヘイズが捕まったことを知っているヒートが、むざむざとルゥフゥの従者などに捕まるわけがない。
おそらく、ルナフィリアの屋敷に繋がる鍵が必要なのだろう。
ーーーやっぱり優秀だ、ヒートは。
「そこの従者。指輪の在処を知っているか?」
「ええ」
正直に答えるヒートとルゥフゥのやり取りを、ヘイズは黙って見守る。
「指輪を得る方法も、その在処も知っています。指輪を所持しているのは、ミスティリア女王の隠し子である、ルナフィリア王女。ですが指輪は、彼女の指から抜けず、無理に取ろうとすれば壊れるように女王陛下の魔法が掛かっているのです」
「ほう。では、指輪は持ってこれないということか?」
「いいえ、陛下。私は知っております。彼女の指輪にかけられた魔法は、愛の魔法……」
ーーー彼女と相思相愛となれば、指輪は外れます。
そう、ヒートは告げた。
「なるほどな……だから、この罪人は、こそこそと隠れてそれを手に入れようとしていたわけか」
「そうです。ルナフィリア王女は、あと一言、ヘイズ様が愛を囁けばそれに応えるでしょう。そうすれば、指輪は手に入ります」
「ヒート……ッ!!」
その事実を、ヘイズは知らなかった。
ーーー愛の魔法だと?
だが、彼の目配せで、ここは演技のしどころだと悟る。
「テメェ、ルナフィリアのことは言うなと言っただろうが……!!」
「ヘイズ様。私は、貴方の従者です。貴方以外の者は、私にとって価値がありません」
ヒートはそう嘯き、ルゥフゥに対して言葉を重ねる。
「鍵には、最初にそれを得て扉を潜った者以外は、ルナフィリア王女の元へは辿り着けない魔法が掛かっています。故に、ヘイズ様ご自身が手に入れる以外の手段は、ありません」
ヒートが口にするのなら、指輪を外す方法は、おそらく間違いではない。
あの執事からでも聞いたのか、あるいは、自分とは別に女王から伝えられていたのか。
分からなかったが、歪んだ笑みを浮かべたルゥフゥが、ヒートに問いかける。
「いいや、違うな。貴様もそこまで知っているということは、あの鍵の先にいるルナフィリアとかいう女に会えるのだろう?」
「……ええ」
ルゥフゥはヒートの返答に、自分の従者に命じて小瓶を持ってこさせる。
それを、これ見よがしにヘイズに見せつけながら、鍵と共に彼に手渡した。
「これは変化薬だ、従者。貴様がこれを呑んでヘイズに化け、愛を囁き、王女とやらから指輪を奪ってこい」
「……それは」
「貴様は、ご主人様を開放して欲しかったんだろうが、甘いんだよ。貴様が取ってこなければ、ヘイズは殺す」
ヒートは息を呑む演技をしながら、チラリとこちらに目を向けた。
意図を悟ったヘイズはうなずき、彼に対して内心笑みを浮かべつつ、焦った顔で噛み付く。
「ルナフィリアに近づくんじゃねぇ!! あいつと指輪は、俺のものだッ!! これは命令だぞ、ヒート!!」
「……ヘイズ様。その命令は、聞けません」
「ヒートッ!!!」
ーーー良いぞ。もし指輪が抜けなくても、そのままルナフィリアを連れて逃げろ。
いかに魔法の扉と鍵に守られているとはいえ、あの屋敷は城のどこかには存在するのだ。
ミスティリアの魔法による隠蔽が、ルゥフゥや他の連中に見破れるとは思えないが。
もし万一にでも突破されれば、ルナフィリアが危険に晒される。
ヒートなら、彼女自身を悪いようにはしないだろう。
安心して任せられる。
ならば。
ーーーこの場で死ぬのが、俺の役目だ。そうだろ?
ヘイズは、去っていくヒートの背中を見送りながら、覚悟を決めた。
これでいい。
もしヘイズの〝守りの指輪に縛られた王〟を廃す計画が失敗しても、ヒートが指輪を手に入れれば、ルゥフゥではなく、彼が次の王だ。
何故なら、真の王位継承権第二位は、魔力を持たないヘイズではなく ーーー。
ーーーヒートの影武者は、きっちり役目を果たしたぜ、ババア。
※※※
真の第二王位継承者は、ヘイズではなく、ヒートだった。
そもそもミスティリアが魔力の強さを見出して声をかけたのは、ヘイズの幼馴染である奴の方だったからだ。
そして、ヒートは王位継承者として登城するのを承諾する代わりに、ずっと支え合ってきたヘイズを連れて行きたいと、願った。
だが、流石に女王とはいえ、魔力を持たない貧民の子どもを、無条件に連れて行くわけにもいかない。
城の者は、従者ですら魔力持ちであることが条件だった。
そこで出された交換条件が『ヘイズがヒートの影武者として過ごす』こと。
ミスティリアは、ルゥフゥの気質を危険だと、きちんと把握していた。
自分には及ばなくとも、頭ひとつ抜けて強い魔力を持つ彼を、手元に置いておくしかなかったのだ。
ルゥフゥをもし野に放てば、臣民を虐げる脅威になる、という意味で、監視していたのだろうと思う。
ヘイズは、もし彼に王位継承者が狙われた時に、死んでも良い駒。
ヒートはその従者として身を隠しつつ、ミスティリアの魔法教育を受けていた。
「なぁ、ルゥフゥ。お前、どうやってババアを殺した?」
どうせ死ぬことは分かっている。
ヘイズは、最後に聞きたいことを聞いておこうと思った。
ミスティリアは、準備をしていた。
いつ死んでも良いように、死んだら指輪がルナフィリアの指に収まるようにして、さらにヘイズとヒートに、鍵の在処を託していた。
それはルゥフゥに王位を継がせたくないという、明確な意思表示だ。
国を守るミスティリアの命を狙うとすれば、その座を欲する者しかいない。
「どうでも良いだろう。答えてやる必要があるのか?」
ルゥフゥは、下卑た笑みを浮かべたまま、そう返してきた。
質問に答えないことで、ヘイズに嫌がらせしているつもりなのだろう。
だが、その言い方だけで十分だ。
ーーー殺したことだけ、分かればな。
ヒートが指輪を手に入れれば、どうせコイツは処刑される。
ヘイズ同様、ヒートもミスティリアの意思を継いでいるのだから。
『わたくし亡き後の、この国の未来を、どうかお願い致します。重い荷を、背負わせてしまうことになりますが……』
そう言って、ミスティリアはヘイズとヒートの肩に手を置いた。
『人を愛して、守ってあげて下さい』
今思えば、あの言葉にはルナフィリアのことも含まれていたのだろう。
優しすぎてルゥフゥを殺せなかった女王と違い、ヒートとヘイズは、敵に容赦はしない。
そう思っていると、ルゥフゥの従者の一人が、焼けた鉄の棒を持って、この場に現れた。
下卑た笑みを深めた偽の王は、それを手にしてこちらに近づいてくる。
チリチリと、音が鳴り、熱を感じるそれ。
「さて、万一のことが起こらないよう、愚か者はこの世から消しておかねばな」
「……せっかちな野郎だ。その上、約束を破るのに罪悪感もないらしい」
「命までは奪わんさ。ちょっと苦しい程度だ。……お前が誰だかは、誰にも分からなくなるだろうがなァ!」
言いながら、ルゥフゥがヘイズの頬に鉄棒を押し付ける。
ジュ、という音と共に、皮膚が焼け溶ける灼熱の痛みが襲ってきた。
鞭など比べ物にならない苦痛に、ヘイズは目の前が真っ白になり。
意思とは無関係に、絶叫した。
※※※
ルナフィリアの居所に赴くのに、ヒートは言われた通りに変化薬を呑んで赴いた。
途中、姿見でヘイズそっくりに変わった顔を見て真似した笑みを浮かべたが、あの幼馴染の自信に満ちた無鉄砲な笑みとは似ても似つかない。
執事殿の目すら、誤魔化せる気がしながった。
それでも、ヒートは鍵を使って扉を開け、中に入り込む。
階段を降りた先で、いつも通りに待っていた老齢の執事が、軽く眉を上げたが、無言でヒートを通した。
「……いいんですか?」
何となく、ヒートは全てを知っていそうな執事に声をかける。
すると、彼は柔和な笑みと共に答えた。
「決めるのは、全てあの子の役目でございます」
その言い方に、ヒートは目を閉じた。
「貴方はもしや……」
誰よりも醜い容姿をしていると囁かれた女王ミスティリア。
だが、ヴェールに包まれたその素顔が、本当に醜かったのか、それを知っている者はいないのでないか、とヒートは思っていた。
ミスティリアとルナフィリア以外に、この屋敷の存在を知る者。
彼は何も答えず、屋敷の方を手で示す。
ヒートはうなずいて、屋敷に向けて歩き出した。
※※※
彼が通り抜け、屋敷の中へと向かう最中。
おそらくは、鍵がかかる前に侵入してきたと思しき者たちの気配を、執事は感知した。
軽く目を細め、階段の下側の扉をパタンと閉じる。
手を扉に当てた執事は、そっと指輪が嵌まっていた跡のある自分の左手の指先を撫でて、魔法を発動した。
無礼にも屋敷へ至る道に許可なく侵入した者たちは、永遠に階段を降り続ける迷宮を彷徨うことになる。
『子どもたちの未来を、どうか見届けてあげてください……あなた』
ミスティリアの言葉を、ふと思い出しながら、屋敷に入っていく『ヘイズに化けたヒート』の背中を見送った。
ーーー子どもたちは、強く育ちましたよ。手助け出来ない歯がゆい役目を負うのが、君でなくて良かったと思います、ミスティリア。
そうして、執事は……女王の王配は、ただ待った。
子どもたちの夜明けが来ることを願いながら。
※※※
「……ヒート様? ヘイズ様は、どうなさいました?」
いつもの中庭で、いつもの椅子に座ったルナフィリアの問いかけに、ヒートは苦笑した。
ーーーまるで意味がないな。
ヒートは、薄々気づいていた。
ヘイズには分からなかっただろうが、ヒートには魔力の気配が見える。
目の見えないルナフィリアは、常に自分の周りに魔力の波を放っていた。
「貴女には、近づいて来るのが誰の魔力なのかが、分かるのですね」
ヒートには、個々の魔力は大小くらいしか分からない。
魔力を持たない、と言っても、それは魔法を扱えるほどの魔力ではないだけで、誰しもほんの微かな魔力くらいは持っている。
彼に化けるために、その気配も極小まで抑えていたと言うのに、ルナフィリアにはまるで意味がなかった。
「……気づいておられたのですね、ヒート様は」
「ええ。私は今、ヘイズに化けています。それがまるで意味を為さなかったので」
「化けている? ……何のために?」
「話す前に、一つだけお伺いしたいことがあります」
「はい」
もし気づかなければ、本当に愛の言葉をささやいてみようと思っていたのだが、その微かな企みも、予測が合っていたことで潰える。
ーーーヘイズ、気づいてたもんなぁ。
ヒートも、彼女に好意を持っていること。
影武者として身を引くかと思えば、『女の取り合いは別だ』と、ルナフィリアを口説いた。
女性よりもヘイズとの仲がこじれる方が嫌だったので、ヒートは別にどっちでも良かったのだが。
ダメ元で、少しイタズラっぽく訊いてみる。
「もし私が、貴女に『愛している。共に歩んでほしい』と伝えたら、貴女はどうなさいますか?」
「え……」
ヒートの問いかけに、ほんのりと頬を染めたルナフィリアは、かすかに首を横に振る。
「お申し出は嬉しいのですが、わたくしは、その……」
「ヘイズに、好意を寄せておられますか?」
「……はい」
恥ずかしそうに、頬に手を添えてうなずく彼女に、ヒートは目を細めた。
ーーー眩しいなぁ。
彼女には、このままの彼女でいて欲しかった。
だから、ヒートは当初の予定通り。
ヘイズを、助け出すことを決める。
もしかしたら、今から伝えることは、ルナフィリアの心を一時的に曇らせてしまうかもしれないけれど。
彼女の存在が、ヘイズを救うためには必要だった。
「ルナフィリア様。落ち着いて聞いてください」
もう従者としての仮面は、必要ない。
ヒートは、説明した。
自分が、本当の第二王位継承者であること。
ミスティリアが残した書物から、指輪にかけられた魔法を解析したこと、その結果。
現在の、ヘイズの状況。
最後の現状を聞くうちに、ルナフィリアの顔がみるみるうちに青ざめる。
「ヘイズ、様が……」
「彼は、私の影武者です。おそらくヘイズは、自分を見捨てて今から私が貴女を連れて逃げるか、ヘイズとして愛をささやいて指輪を受け取ることを、望んでいるでしょう」
ヒートは、震え始めたルナフィリアの前に跪くと、その美しい貌を見上げて、真摯に願う。
「だが、私はヘイズを見捨てたくない。そのために、貴女の力が必要です」
愛によってしか、抜けない指輪。
その持ち主である彼女自身が、危険を犯さなければ、ヘイズを助けることが出来ない。
「ルナフィリア様。どうか私と共に、ヘイズの元へ。お願いします」
その懇願に、彼女は震えながらもうなずいた。
※※※
ヘイズは、ふと目を覚ました。
そして苦痛に朦朧とする意識の中で、そのやり取りを聞いた。
『ほう。来たのか?』
『はい。変化薬は無意味でした。ですが、彼女を連れ出すことは、成功……』
とまでつぶやいたところで、ふっつりとヒートの声が途切れる。
『ルゥフゥ様。……なぜ、ヘイズがあのような姿に……!』
『王に逆らった罰だ』
『ヒート様……ヘイズ様の気配が……一体なぜこんなにも弱っておられるのですか?』
『……顔を、熱した鉄で焼かれています……』
『そんな……!!』
顔面に入念に鉄棒を押し付けられて、もはや思考が纏まらない。
ただ、自分の顔が早い鼓動と共に苦痛に波打つのに、意識を手放さないように耐えるだけで精一杯だった。
自分の肉が焼ける嫌な臭いが、鼻を刺激する。
『ふん、罪人に何をしようとどうでもよかろう。そんなことより、姫は盲目か。だが美しい……指輪を手にした後、我が妃としてやろう』
ーーーんだと?
そこで、ヘイズは腫れすぎて開けない瞼の奥から、かすむ視界で声のする方を見る。
カチャカチャと牢の扉を開ける音。
そして近づいてくる、二人の人物を、見て。
『ヘイズ様……!』
その声を、聞いて。
思わず、悪態をついた。
「なん……で……きた……」
唇も上手く動かない。
分かることは、なぜかルナフィリアがここにいて、ヒートもこの場にいるということだ。
何故。
ヒートは、ルナフィリアを連れて、逃げるんじゃなかったのか。
指輪が外れなければ、彼女がどんな目に遭うか。
もし万一にでも外れてしまったら、奪われてしまったら、どうなる。
そうでなくても、目の見えないルナフィリアは一人でこの場から逃げられない。
何故。何故。何故。
逃げろルナフィリア。
何があっても、彼女だけはーーー。
散漫な疑問と焦燥が頭を支配するが、ヘイズにはどうすることも出来ない。
『ヘイズ様……』
俺なんか放っておけ。
何の価値もない、たまたま出会っただけの、スラム街のガキだ。
野垂れ死ぬのが路上か、別の場所かが変わっただけなのに。
お前とヒートのために死ぬなら、それで良かったのに。
何でお前は、そんな泣きそうな声で、俺の名前を。
ルナフィリアが、おそるおそる手を伸ばして、鎖に吊られた自分の左手の指先に触れる。
両手で包むように触れた彼女が、震える声で言った。
『ルナフィリアは、貴方を……お慕い、申し上げて、おります……』
その告白と共に、指先にぽう、と温かな何かを感じた。
同時に苦痛の波が引いていき、意識が少しはっきりする。
『どうか、お応え下さい……』
愛の魔法。
それが、今、発動しているのだ。
「俺も……愛してる、よ……ルナフィリア……」
まだ霞んでいる視界に、ぽろぽろと大粒の涙をこぼすルナフィリアが見える。
ヘイズは、左手の薬指に違和感を覚えた。
『指輪が二つ……だと……!? バカな、どういうことだ!?』
『なるほど。愛の魔法は、ミスティリア陛下がかけたものではなく、指輪そのものの力……! ルナフィリアと結ばれたヘイズが、次の王だ! 二人の愛がある限り、指輪は外れない!』
『ふざ、ふざけるなよ! 王は俺だ! 俺がこの国の第一王位継承者だぞ!!』
指先から、ルナフィリアの手の感覚が剥がれる。
『あ……!』
『指輪を寄越せ! それは俺のものだ!』
ーーーテメェ、ルナフィリアに何しやがる……!!
突き飛ばされた彼女を支えようにも、腕が拘束されていた。
『ルゥフゥを拘束しろ! 〝王〟に手を触れさせるな!』
ヒートが、おそらくはここに連れてきた衛兵に命じるが、間近にいるルゥフゥは無理やりヘイズの指から指輪を引き剥がそうとして……。
『ぎゃあああああああああっ!! なんだこれは、なん! 消えぬ! 炎が……がぁぁ! ァアア!! グァ、た、助け……!』
突如として、ルゥフゥが紫の炎に包まれた。
ヘイズには熱さも何も感じないそれによって、あっという間に火だるまになったルゥフゥが、指輪から手を離してのたうち回る。
顔にまで炎が回り、空気がなくなったからか、その悲鳴がふっつりと途絶えた。
無言のまま、苦痛と恐怖を全身で体現したルゥフゥは、皆が呆然としている間に見る見る炭と化し、灼き尽くされて跡形もなく消え去る。
指輪を無理やり手に入れようとした者の末路を目にして、ヒートも、衛兵も、ルゥフゥに従っていた従者も、青くなって動きを止めた。
ーーールナフィリアの目が、見えなくて良かった。
少なくとも、彼女が凄惨な光景を目にすることがなかったことに安堵したヘイズは、そのまま意識を手放した。
※※※
後日。
地下牢での一幕が終わった後、ヘイズは王城内にある治療院へ運び込まれた。
全身くまなく鞭で打たれ、顔の皮膚を入念に焼かれたにも関わらず、治癒魔法によってどうにか一命を取り留めた。
顔は完全に元には戻らないようで、今でも引き攣れた感覚があるし、ところどころ赤黒いままだが、ヘイズは気にしなかった。
どうせルナフィリアには見えないのだし。
ヘイズの横には、彼女がずっと付きっきりで居てくれて、第二王位継承者として事後処理に当たってくれていたヒートも、毎日顔を見せてくれる。
ヘイズは、大切な二人が無事だったので、それだけで満足だった。
そろそろ退院、という折に、ベッドの上で、ヒートやルナフィリアと今後について話し合う。
「俺は王にはならねぇ。お前がやれよ、ヒート」
ーーー『隠された指輪を得た者に、正式な王位継承者を指名する権利を与える』。
ミスティリアの遺言の意味を、ヘイズは正確に理解していた。
指名権を与えられたということは、自分が誰かを王にしていい、ということなのだ。
それにどう考えても、熱くなりがちなヘイズよりも冷静なヒートの方が向いていた。
「君はどうするんだ? ヘイズ」
ヒートの問いかけに、自分と同じ指輪をはめたルナフィリアの手を取り、笑いかける。
「あの屋敷で、ルナフィリアと死ぬまで一緒に暮らすさ。結界も、お前が『準備』を終えるまでは維持しておく」
その言葉に、彼女は頬を染めた。
可愛い。
「君がそう望むなら、そのように計らおう、兄弟」
「手伝いくらいはするぜ、兄弟」
ごつん、と拳を打ち合わせた後、ヒートは執務に戻っていった。
ミスティリアに拾われてから、ヒートとヘイズは、昔一つの約束を交わしていた。
一人の王に、頼り切らない国作りをすることを。
指輪による愛の魔法は、心を交わし合った二人を繋げ、大地から魔力を預かって強力な魔法を使えるようにする神具だった。
周りから悪様に陰口を叩かれ、孤独だと思っていたミスティリアも、愛で繋がった相手がいて、ルナフィリアを授かっていた。
だが、生まれた時から盲目のルナフィリアを想って、その責務や重圧を負わせないようにと、彼女が選んだのが、ヘイズとヒートだった。
『あなた達の理想が、この国をより良き方向へと導くでしょう』
ミスティリアの言葉が、思い出される。
だからヘイズは、王位をヒートに預けた。
執事は……王配であった誰にも存在を知られていない男は、一度ヘイズに付き添うルナフィリアに顔を見せた後、何処かへと姿を消した。
ヒートによると、ミスティリアの墓には毎日誰のものとも知れない花が飾られており、おそらく近くにはいるだろうということだった。
もしかしたら、本来強力な魔力を持っていたのは、彼の方なのかもしれない。
王として選ばれたヘイズが……指輪に認められる愛を得たのが、魔力を持たない自分であったように。
「そういや、ルナフィリア」
ヘイズは、横のルナフィリアにそっと手を重ねながら、尋ねる。
「何でしょう、ヘイズ様」
「最初に会った時、指輪を求める者がいないのかと不安そうな顔をしたのは、何でだ?」
「それは……わたくしは何も持たないのに、お母様に託されたことまで、無意味だったのではと、不安になって……」
恥じらうように頬を染める彼女に、ヘイズは思わず口元を緩める。
「ルナフィリアは、何でも持ってるよ。俺を助けに来る勇気も、色んなものを楽しむ気持ちも、人や自然を慈しむ心も、どれも綺麗だ」
「まぁ……」
ますます頬を染めるルナフィリアに、ヘイズは言葉を重ねる。
「俺が元気になったら、色んな場所へ行こう。結界を維持する必要がなくなったら、今度は国の外を見て回ろう。海の匂いや、山の音や、美味い飯。そういうものを、ルナフィリアと一緒に聞いて、感じて……楽しいことを、いっぱいしよう」
「はい」
「ルナフィリア」
「はい」
「……ルナ、って、呼んでもいいか?」
「……はい」
おそるおそる問いかけたヘイズに、ルナフィリアは花開くような、満面の笑みを浮かべてくれた。
Fin.




