閑話 歴史を見た者の言葉は重い
「古の大国は太陽を信仰の象徴としていました。故に君臨していた神は太陽神です。これは間違いありません」
薄暗い部屋に男の声が響く。
「しかし、数少ない当時の記録を読むと、記録によってその名はまちまちになっています。ですが、使われている音は『ラ』『ム』『ル』の三つのみ。もっと言えば、『太陽神ラムル』という記述もあります」
灯りは四方の隅にあるかがり火のみ。窓がなく、上へと向かう階段しかないことで、そこが地下室であるとわかる。にもかかわらず酸欠にならないのは、どこかに空気穴があるからだろう。
「ここから導き出されることは、すなわち古の大国において太陽神は三柱いたということ。正確に言えば、三柱で一つの神だったのではないでしょうか」
男の目の前にはさらに下へと続く大扉が床にあり、彼はそこへ向かって話しているようだった。はた目には独り言にしか見えないが、彼の認識では決して独り言などではないのだろう。
「ところが、ある時、何らかの理由によってこの三柱のうち一柱が失われました。当然、古の大国は大混乱に陥ります。さらに支配者層の死も相次ぎ……。そこに台頭してきたのが、神々の言葉を人々に伝えていた巫女――すなわち極限の運命神ラプラスでした」
濃い金髪をオールバックにまとめ、銀縁の眼鏡を光らせるこの男の名はカシャーサ・ガストといった。その姿形は一言で言って異様である。こめかみからは後方に向かって角が生えており、背中には黒い羽、腰の付け根には細長く黒い尾があった。コルピタゲム大陸に暮らすどの種族とも特徴が一致しない。
カシャーサがコルピタゲム大陸にまつわる歴史を語っているのは、大扉に刻まれた文言が理由だった。
――滅亡の歴史を知る者のみに扉は開かれる――
「彼女は『太陽神の力が失われた』と喧伝し、『教えが間違っていたからだ。新たなる神を奉り、新たなる教えの下で生きよう』とうたいました。多くの民が彼女の言葉を信じ、多くの民が彼女の元に集いました。かくしてラプラス教が誕生したのです」
その文言をカシャーサは「古の大国が滅んだ経緯を語ること」と解釈した。なぜなら、この廃墟らしき地下室があるのは――
「ところが、彼女に反発する者が現れます。支配者層の一人であった彼は、ラプラスのことをよく知っていました。たかが巫女が朕らに成り代わろうとは片腹痛い――支配者層にとって巫女とは人々を円滑に支配するための装置でしかなかったのです。『確かに太陽神の力は失われた。だが、それはあの巫女の陰謀に他ならない。騙されるな、自分が国の頂点に立つための戯言だ。新たなる神は必要だが、教えまで変える必要はない』――そう喝破した彼は、ラプラスに対抗する集団を組織しました。すなわち彼こそが叛逆の宿命神メビウス。そしてそれこそが後のメビウス教です」
かつて繁栄を極めたそこに、もはやその面影はなく、ただ昔日の残骸だけが残っている。生命の息吹は全く感じられず、蠢くのは死人ばかり。奪還のため幾度となく軍が送られ、その度に拒んできた古の都――廃都プランク。その最奥にそびえる神殿の地下こそがカシャーサのいる場所だった。
「一方で、どちらにも加わらない人々もいました。『異なる種族が共に生きようというのが無理だったのだ。それぞれの旧き神、旧き教えに帰ろう』と唱えた者達は、争いを嫌って大陸の外――いくつもの島々が浮かぶ海域へと渡りました。これがゴルトン同盟と呼ばれる国々の始まりです」
カシャーサがこの場所へ来た理由は、第一には自身の知的好奇心を満たすためである。だが、それが全てというわけでもない。そのための力を与えてくれたとある存在に頼まれたことも、ついでではあるが目的のうちに入っていた。
――歴史の生き証人がそこにいるわよ――
そんなことを言われては、聞かないわけにもいかなかったのも確かだが。
「かくして古の大国は三つに分裂し、滅亡したというわけです。ラプラス教とメビウス教の衝突により、首都はアンデッドの巣窟に。両教の対立は今日に至るまで続いて――」
「はい残念、不正解なのですー」
「――くっ……!」
「ほれ、さっさと回れ右して、またプランク中を駆けずり回って記録をあさってくるのですー」
絶妙にイラっとする声に歯噛みしながら、カシャーサはくるりと扉に背を向けて階段を上がる。気持ち良く語っていたところを最後の最後でぶった切られたことがより一層苛立ちを募らせる。
(基本的なことは合っているはず……だというのに、なぜ不正解なのですか……!?)
これまでに四度同じことを繰り返し、四度とも正解だと確信していたにもかかわらず、不正解と告げられていた。
あの地下室までの謎解きは、古の大国についての知識や知恵を問うもので、答えは廃都プランクのどこかにある記録に書かれているような明確なものしかなかった。考古学者を自負するカシャーサにとってはさして苦ではない。だが、いよいよ最後の謎解きというところで、推理推測しなければならない問いを出された。
(…………やはり、太陽神の一柱が失われた理由を推測しなければならない、ということなのでしょうね……)
カシャーサは廃都プランク中をひっくり返す勢いで捜索したが、記録にはただ「失われた」としか書かれていなかった。
なぜ、どのようにして失われたのか――神という存在が自然に失われることは考えにくい。古の大国の記録を読めば読むほど、その確信は強まっていく。
ラプラスとメビウス。
今や大陸における二大宗教で神と崇められている二柱は、記録の上では確かに「人」として描かれていた。だが、カシャーサはその両方が未だに生存していることを知っている。古の大国が滅んでから、およそ五百年が経っているはずだというのに、当時の記録と変わらない姿のまま。
これはつまり、人が神になれるという証左なのではないか――とカシャーサは考えていた。
ラプラスとメビウスが神になったのは、明らかに古の大国が滅亡したあとである。
だとすれば、最も重要なのは信仰があること。逆に言えば信仰さえあれば神は神として存続できるのでは――そう考えたところで、
(つまり誰かに殺され、復活する前に信仰を奪われた……当然、最も怪しいのはラプラスですが、彼女は神の言葉と偽って支配者層の言葉を伝えていただけに過ぎません。太陽神に直接会うことが許されていない以上、不可能ですね)
カシャーサの思考はまたしても同じところで八方塞がりになった。
(古の大国滅亡後、台頭してきたのは他にメビウスのみ。ですが、メビウスは支配者層の一人でした。太陽神を殺す動機がない……)
ならば誰が殺したのか?
最後の扉を開いて歴史の生き証人と会うため、カシャーサは五度目の調査を開始する。
とはいえ、廃都プランク中の記録をすでにひっくり返したあとだ。気の向くままに歩きながら記録の内容をつぶさに思い返し、引っかかったものを確認しに行くくらいしかできない。
(……そういえば、一つ曖昧なまま放置していたものがありましたね……)
ふと脳裏によぎったのは、当時神殿に逗留していた客人のリストだった。
カシャーサは周囲を確認し、今来た通路を少し戻って左に折れる。
(他は人名であるにもかかわらず、一人だけ妙な記載のされ方をしていた者……。書いてあったのは確か――)
「――竜と砂糖」
「まぁた湧いて出てきやがったのかよ、てめぇら!!! いい加減飽き飽きしてきたぞぉらぁ!!!」
廃神殿に男の絶叫が響く。
「どいつもこいつもアァアーウゥウー唸りながら数任せに押し寄せてきやがってよぉ!! ちったぁその空っぽの脳みそ使って学べってんだよなぁ!!?」
通路の先には無数の人影があった。だが、答える声はない。
当然だ。
生きている者など、一人もいないのだから。
「気付いてねぇとでも思ってんのか、ネクロマンサ―ぁ!! てめぇがいることなんざとっくにお見通しだぜ!!」
やはり答える声はない。
反響する男の絶叫の他は、アンデッド達の呻き声が聞こえるだけだ。
一転、男は黙った。そして深々とため息をつく。
「…………あぁ、そうかよ……あくまでチマチマと邪魔しようってんだな? ったく、五百年も経ってるってのに律儀な奴らだぜ……」
ボサボサの濃い金髪。鋭く光る黄緑色の瞳。ピンガというのが男の名だった。その姿形は一言で言って異様である。こめかみからは後方に向かって角が生えており、背中には黒い羽、腰の付け根には細長く黒い尾があった。大陸に暮らすどの種族とも特徴が一致しない。
ピンガが苛立ちを募らせているのは、もちろん通路を塞ぐ無数のアンデッド達が理由である。これまでに四度襲撃を受け、四度とも鎧袖一触に蹴散らしたにもかかわらず、またしてもアンデッド達に行く手を阻まれた。すでに何度も通った通路であるというのに。
「だが残念!! 俺の前じゃアンデッドは無為なゴミ!!! てめぇがネクロマンサーである限り、決して俺には勝てねぇのさ!!」
(何しろ、そのためだけの力を欲したんだからなぁ……!!)
ピンガが廃都プランクで蹴散らしたアンデッドの総数は、おそらくすでに万を軽く超えている。
そもそも人の死体というのは野ざらしでは五百年も形を保てない。ピンガが蹴散らしたアンデッド達も、古の都の住民達ではなく、奪還するために攻めた軍人達だったものだろう。
となれば、ネクロマンサ―がどれだけのアンデッドを継承してきたかにもよるが、そろそろ打ち止めである可能性は非常に高かった。
ちなみに、アンデッドという存在が自然発生することはない。アンデッドとは、あくまでネクロマンシーによって動かされている死体を指した言葉である。にもかかわらず一部がモンスター扱いされているのは、ネクロマンサーが死んだあとも、生物を襲って魔力を補給し続けるアンデッドがいるからだ。つまり、五百年もの昔からアンデッドが跋扈する死都として認識されてきた以上、当時からずっと廃都プランクにネクロマンサ―(あるいはその一族)が住みついていることは疑いようのない事実だった。
「さて、んじゃ終わらせっかねぇ……!!」
ついに蠢くアンデッド達がピンガまで数歩の距離に至る。
もちろん、わざとだ。
ピンガがラプラスから与えられた力は、対アンデッド特化のピーキーなもの。その分、効力は広範囲に及ぶため、ピンガは一度で全滅させることを好んでいた。
両腕が上に大きく広げられ、その体内で魔力が高速循環する。
「吹けよ風! 満ちよ雨! 天の牙を大地に突き立てるがごとく! ――テンペスト!!」
直後、ピンガを中心に暴風が吹き荒れる。
のそのそと前進し続けていたアンデッド達が風に押されて後退する。
そして――
「さ、くたばんな。汝、死を忘るるなかれ!!!」
――その全てが、一瞬にして塵と化した。
彼女の言った「歴史の生き証人」の正体に、カシャーサは薄々感づいている。おそらくは、残る太陽神の二柱のうち、どちらか一柱だろう――と。
一つの大陸を支配した古の大国について知りたい、と欲するカシャーサに対しての言葉である以上、その者が五百年以上前から存在し続けているのは確実だ。となれば人ということはあり得ない。
そして、彼女の頼み――その生き証人を決して廃都プランクから出さないでほしい。
太陽神ラムルは三柱で一つの神である。ならば、それぞれに役割があり、その権能は三柱が揃って初めて完結するものだと想像がつく。ここまでなら、一柱が欠けていては意味がないのだろう、という理解に留まっていた。
だが、その上で彼女の頼みを反芻すると、どうにも薄ら寒いものを感じずにはいられない。まるで太陽神が廃都プランクから出ることを恐れているようではないか。
では、残る二柱を殺さないのは、何らかの理由で残しておきたいからなのか。
それとも、単に殺せないからなのか。
(……いえ、恐れているのならば、殺さない理由はないはず。となると後者ですね……)
断定し、カシャーサは推測を進める。
どれか一柱だけを恐れているのならば、残る一柱は手元に置けばいい。だが、彼女からそんな話は聞いていない。
二柱ともを恐れているのならば、分けて封じればいい。だが、彼女は廃都プランクにしか言及しなかった。
そして、廃都プランクで過ごすうちに生じた疑問が二つある。
なぜ、彼女は生き証人が廃都プランクのどこにいるかまで教えてくれなかったのか。
なぜ、アンデッド達は太陽神を守るかのように動き、自分を襲うのか。
(結論は一つしかありませんね……)
太陽神を廃都プランクに封じたのは彼女ではない。さらに言えば、彼女はもう一柱の行方を知らない。
いったい誰が?
何のために?
そして、もう一柱はどこに?
同一人物から五度目の解答を聞き終え、ムーは内心でため息をついた。
「……はい、不正解なのですー。正直、そろそろ諦めてほしいのですー。でも、挑戦は何度でも受けるのですー」
「――くっ……!」
足音が充分に遠ざかったのを確認し、ムーは深々とため息をつく。
「…………にしても、五回とか執念深過ぎなのですー……。さすがにめんどいのですー……」
どうせわかるわけないのに、という言葉がこぼれた。
男は古の大国が三つに分裂して滅亡したと確信しているようだったが、正解は四つである。
ラプラス教。
メビウス教。
ゴルトン同盟。
そして――ブラッドハイド家。
扉に刻まれた文言をクリアするには、それらが分裂した理由を知らなければならない。だが、三つまでは記録を紐解けば理解できるが、最後の一つは記録に書かれていないことまで予測して考えなければ辿り着けないようになっている。
最大のヒントは、客人リストの「竜と砂糖」。
「まあ、古の記録を解読できるあの頭の良さなら、ヒントくらいは得ているはずなのですー」
その上で、ムーは確信する。
神が実存するこの世界において、独力でブラッドハイド家の思想に至る者は皆無だ――と。
それは、一つの大陸を支配する大国が滅亡に追い込まれた、混迷の時期だからこそ生まれた思想なのだから。
先ほどの男ならば、説明されれば理解できるかもしれない。だが、賛同する可能性は限りなく低いだろう。
とかく彼は先鋭的だった。
叡智ある者を惹き付けた。
そんな青年を思い出し、ムーは独り微笑みを浮かべる。
ブラッドハイド家の祖を指して、当時の人々はこう呼んだ。
――異端の星。
そして、それでもなお――ザインザード・ブラッドハイドには届かない。
細かい話は活動報告にて。
これにて北方小国家群編は終了です。しばらく最新話の更新はありません。ゴルトン同盟編を始める時は活動報告に書きます。