67 資質は疑いの根拠足り得ない(後)
ルッチ子爵家は決して裕福ではありません。
貴族とはいえ、所詮は小国の子爵家。多少の歴史はあっても、民からの信頼は薄氷で、大きなもめ事は寄り親の力を借りなければ解決できないような、そんな弱小貴族の一つでしかないのです。
自分はその三男として生まれました。
幼少の頃は……特筆するような出来事はありません。
当たり前のように貴族として育てられ、当たり前のように貴族として振舞っていただけです。
ただ……自分が生まれたルッチ子爵領の人々は、誰もが獣人を悪しざまに言っていました。当然、自分もそれが正しいと思い、人々と一緒になって悪罵を投げつけました。
転機と呼べるようなものがあったとすれば、それは成人した年のことでしょう。
自分は、領地に残って後継者である長兄に仕えるか、家を出て独り立ちするかの選択を迫られました。
どこの貴族でも当たり前のように行っていることです。
前者の道を選んだ次兄の苦労を見ていた自分は、家を出ることを選びました。
そして、王都ザンベグルへ行き、騎士となることに挑戦したのです。
自分と同じような若者は何人もいました。中には、もはや若いとは言えない人も……。
自分は、無事に騎士となることができ、ベーグル王国騎士団へと入団しました。
その後、面接を担当した騎士に再会したことがありました。その人から、自分を騎士にしてくれた理由について、こう言われたのです。
――君は真面目で誠実だ。だが柔軟なところもある。騎士に向いているよ――
決して実力は高くない自分が騎士となれたのは、人柄を評価されたからでした。
そして――そして、その評価が間違っていると気付くのに、さほど時間はかかりませんでした。
だってそうでしょう?
真面目で誠実だと評される他の騎士達は――誰も、獣人を悪しざまに言わないのですから。
いえ、そもそも、王都ザンベグルに住む人々は、誰もそんなことをしていませんでした。
当たり前のように笑い合い、当たり前のように手を取り合い、当たり前のように肩を叩き合っていました。
自分は間違っていたのか? と、そう思った時、気付いてしまったのです。
結局のところ、自分は、ルッチ子爵領の誰かが言っていたことを、そのまま繰り返していただけなのだと。
何一つ、自分の頭で考えてなどいなかったのだと。
しばらくして、騎士となったことを報せた手紙に対する返事の中で、父が自分の婚約者を探して見つけてくれたことを知りました。
寄り親を同じくする、トゥセン男爵家の次女でした。
当然、自分も会ったことがある人です。優しくて可愛らしい人だったことを覚えています。
しかし、なぜかあまり嬉しくありませんでした。……いえ、本当はその理由には気付いているのです。
その人も――自分と同じように、フルザキ公爵家に集った貴族達と一緒になって、獣人に悪罵を投げつけていた、その中の一人なのですから。
「……もうお気付きだと思いますが、ルッチ子爵家の寄り親はフルザキ公爵家です。自分は、本来なら敵側にいるはずの人間なのです」
「……だが、貴殿は王都ザンベグルに残ったわけだ。なぜだ?」
「恋人がいます。王都ザンベグルに。家族にも、騎士団の仲間にも、もちろん、婚約者にも秘密の――獣人の恋人が」
父はきっと、絶対に許さないでしょう。彼女にあらゆる悪罵を投げつけ、暴力をチラつかせて自分の前から消えるよう強制するはずです。
だから自分は、浅ましい人間なのです。
「自分は、陛下への忠誠と、フルザキ公爵への恩義を天秤にかけ、前者を選んだと言って残りました。――ですが違うのです! 自分は――自分は、本当は、家族や婚約者と――秘密の恋人を天秤にかけ、テーミンを選びました……!!」
つまり自分は、家族も婚約者も捨てたのです。
聞こえのいい「愛のため」という言葉すら言えないくせに。
誰にも言わなかったくせに。
秘密にさせていたくせに。
「そして――願わくば、この内戦で家族も婚約者も死んではくれないかと……!」
家族は何も知らないままで。
婚約者も何も知らないままで。
このまま、何もかも解決してはくれないか、と。
「そう、望んでしまった、浅ましい人間なのです……」
ザインザード殿は、自分の話を最後まで聞いてくれました。
騎士と名乗ることすらおこがましい人間の、懺悔のような話を。
「……だから間者と疑われても仕方がない、と? くだらんな」
「……!」
「仮に貴殿が、貴殿の言う通り浅ましい人間だったとして、それは貴殿を間者と疑う根拠には足り得ん。疑いとは、事実があって初めて成り立つものだ。では、この場合の事実とは何だ?」
自分は、反乱軍の筆頭と思われるフルザキ公爵家を寄り親とするルッチ子爵家の三男です。
しかし、王都ザンベグルに残りました。
そして、ベーグル王国軍側の騎士として参戦しました。
ザインザード・ブラッドハイドという人物の補佐と監視を命じられ、この数日、常に彼と行動を共にしていました。彼はジェシェフ伯爵が連れてきた男で、今は客将扱いとなっています。
ケルツェ平原の東の森で、フォカッチャ王国の「緋色の戦士団」と接敵し、矢を射かけられました。
東の森で捕らえたフルザキ公爵子飼いの密偵は、自分を目の前にしているにも関わらず、ベーグル王国軍に潜入した間者として自分の名を挙げました。
その密偵は自分の顔を知りませんでした。
自分には、婚約者とは別に、王都ザンベグルに恋人がいます。テーミン・ヴュステという名の獣人です。
彼女と添い遂げるために、この内戦で家族と婚約者が死ぬことを望みました。
「そしてそもそも、この内戦は、獣人に対する立場の違いから発生したものだ。……今、貴殿に関する事実と、貴殿の言を並べたわけだが、この中で貴殿を間者と疑う根拠と成り得るのは、貴殿がルッチ子爵家の三男であるということだけだ。そして、それは、貴殿の言うところの『浅ましい願い』によって相殺され、それ以外の事実によって否定されている。故に――」
――貴殿が間者であるなどあり得ん。
ザインザード殿は淡々と論証すると、短いため息を一つこぼし、自分に背を向けてさっさと天幕の中へ入っていきました。
それこそ、無駄な時間を過ごしたとでも言うように。
実際、ザインザード殿にとっては無駄な時間だったのでしょう。
しかし、自分にとっては、何よりも得がたい貴重な時間だったのです。
五里霧中の中、大きな味方を得られたも同然なのですから。
「……ところで、貴殿の恋人というのは影豹族か?」
「え……はい、そうですが……」
「そうか。……機会があれば、ツェザリ公にその恋人を紹介してみろ。面白いものを見られるかもしれん」
「はい???」
ベアトリーチェ王女が軟禁されている天幕の中は、意外にも殺風景でした。
組み立て式の簡易ベッドの他は、尋問時などに使う簡素な応接セットしかありません。
軍人としての道を選んだとはいえ、一国の王女であることに違いはありませんから、こうして虜囚の身となった時にも快適に過ごすため、もっといろいろと用意していると想像していたのですが……。
……いえまあ、自分の中の王女といえば、モニカ・ゾフィア・ベーグル殿下が真っ先に思い浮かびますが……何かその辺にいたからなどという理由でよくわからないものを騎士団に運ばせるような人を基準にしてしまっているなどとは認めたくありませんね……。あんな好奇心旺盛な王女が他にいるはずもないでしょうに……。
まあ、モニカ殿下のことは置いておくとして、ザインザード殿を呼び出したベアトリーチェ王女は、敵国の軍に軟禁されているというのに筋トレをしているような人でした。
……いえ、確かに、癖の強い黄色の長髪だとか、睨みつけるような目つきの蒼い瞳だとか、右側だけが大きく欠けた二本の細い巻角だとか、右額から左頬へかけての大きな傷跡だとか、描写すべき特徴はあるのですが、へそ丸出しのほとんど下着だけのような格好で片腕逆立ちのまま腕立て伏せをしていることに全て持っていかれてしまったのです。
「――へえ……オマエがあの黒い鎧の中身か。思ってたより細いな」
「……帰っていいか?」
「待て待て、わかった、すぐにやめるから、そうつれないことを言うな。よっと――ほら、やめたぞ」
さすがのザインザード殿も、片腕逆立ちのまま腕立て伏せをしている人とは話したくないのですね……。
正直、自分も、このままきびすを返して外に出たいと思いましたよ。
とはいえ、下着だけのような恰好は変わらず、目のやり場には困っているわけですが。
ザインザード殿はそちらには触れず、あいさつを交わし始めました。
「ザインザード・ブラッドハイドだ」
「ベアトリーチェ・ディ・フォカッチャだ。まあ、知ってるだろうがな」
「いや知らん」
「何!? あのベアトリーチェ・ディ・フォカッチャだぞ!? フォカッチャ王国最強と名高い姫団長だぞ!? ベーグル王国の誰かから名前を聞いたことくらいあるだろ!?」
「知らん」
「――…………」
「殿下……!?」
ザインザード殿に二度否定された瞬間、ベアトリーチェ王女は膝から崩れ落ち、四つん這いになってガクリと項垂れました。……そんなにショックだったのでしょうか……。
「――……ク……ククク……武芸の道に進むと決意して二十数年……、フォカッチャ王国最強とまで謳われるようになったってのに、まさかこのオレを捕らえた者がオレの名すら知らなかったとは……。滑稽とはまさしく、このことじゃないか……!」
「殿下……」
「……ところで、先ほどから合いの手を打っている貴様は誰だ?」
「これは失礼致しました。『緋色の戦士団』の副官、マルティーナと申します」
マルティーナは蒼い瞳に薄い茶髪の理知的な雰囲気の女性でした。
天幕の中には、ベアトリーチェ王女の護衛として、もう一人、黄色い瞳に明るい茶髪の女性もいます。ベーグル王国軍の規律は厳しいとはいえ、不埒な人というのはどこにでも現れるものですから。
もちろん、天幕の外にいるこちら側の見張りも女性兵士を採用しています。
「――で、自虐に忙しいところ悪いが、こちらも暇ではないんでな。さっさと用件を言え」
「ああ……虜囚の身というのは想像以上に暇でな。ぜひ話し相手になってくれ」
「…………」
ザインザード殿は何も言わず、ただベアトリーチェ王女と目線を合わせるように腰を下ろしました。
「嫌、とは言わないんだな」
「まあ、用があるのは俺も同じだしな」
「へえ……?」
「とはいえ些事だ、あとでいい」
「そうか。じゃ、まずオマエのことから教えてくれ」
「ふむ……何を知りたいんだ?」
「出身はどこだ?」
「……なぜ知りたい?」
「ククク……やはりか。あの夜までオレはオマエのことを知らなかった。いや、正確に言えば、オマエの存在は知ってたが、どういう存在かまでは知らなかった。『棺桶屋』のヤツらもろくな情報を持ってなかったしな」
「棺桶屋」……「緋色の戦士団」と行動を共にしていた彼女達が――エリオというあの子も――所属しているという闇組織ですが、聞けば本拠地はフォカッチャ王国のキコリッティ侯爵領にあるとか。
とはいえ、王侯貴族とのつながりは無いに等しく、ザインザード殿はフォカッチャ王国の獣人差別を緩和させるために取引しただけの相手だと言っていました。
自分は、あのジェシェフ伯爵が連れてきたというだけでザインザード殿を信用に値すると確信しましたが、ベアトリーチェ王女にとっては、闇組織の人に頼ってでも情報を得たい相手だったのでしょうか?
……いえ、先に接触したのは彼女達からだったと聞いています。その理由もかなり個人的なものだったとも。
「いや、それどころか、反乱軍やフォカッチャ王国軍の誰もがオマエのことを口にしなかった。オレらをああも容易く捕らえたオマエを、だ! なぜだ? ……だが、ベーグル王国軍の連中は何も教えちゃくれない。だから一晩考えた」
やはり……ベアトリーチェ王女は彼女達から初めてザインザード殿の名を聞いたのですね。
「侮ってた? 違う! 注目してなかった? 違う! 見逃してた? 違う! 知らなかった? ――そうだ、そもそも知らなかったんだ。オレらはオマエという存在がベーグル王国にいることを知らなかった。あの夜、オマエが突っ込んできたその瞬間まで」
それはそうでしょう。
自分達、ベーグル王国騎士団ですら、ジェシェフ伯爵が連れてくるまで知らなかったのですから。
知っていたと思われるのは、ジェシェフ伯爵以外では、モニカ殿下、カスペル殿下、クラネス公爵、そして陛下くらいのはずです。
しかし、ベアトリーチェ王女が言いたいのはそういうことではありませんでした。
「……有象無象ならそれでも構わん。だが、今、言ったようにオマエは強い。規格外と言ってもいいほどだ。そして国の軍ってもんは、実績のない国外のヤツを使ったりはせん。つまりオマエには実績がある。だがオレ達は知らなかった。これは本来、あり得んことだ」
小国とはいえ、国は国。一国の情報網は想像以上に広いものです。
同盟国はもちろんのこと、隣国のみならず、友好国や通商国、果ては敵国に至るまで、国はあらゆる手段を使って様々な情報を集めます。
フォカッチャ王国であれば、グリッシーニ王国、プレッツェル王国、ブリオッシュ王国、そしてベーグル王国といったところでしょうか。
「だが、一つだけ例外がある――オベリスク都市国家連合の港湾都市ヘケトの海賊。ヤツらから情報を買えるのは港を支配するツェザリ公だけ。北方小国家群の他国は手出しができん。逆に言えば、オマエがベーグル王国に入ったルートは、港湾都市ヘケトの海賊船以外にあり得んわけだ」
確かに、それならジェシェフ伯爵が連れてきた理由も説明がつきます。
「だから答えろ。オマエ、どこの国の人間だ? この戦争に関わって何を狙ってる?」
「…………プルー島だ」
「……………………は?」
「出身はプルー島だ」
プルー島……???
聞いたことのない島ですね……。
「あとは目的か……。目的は――」
「待て待て、どこだそこは!?」
「――……場所までは言えんな。知りたければ勝手に探せ」
「……オマエ、テキトウな嘘で誤魔化そうなどと……!」
「嘘ではないんだがな……。確かに俺は港湾都市ヘケトの海賊船でベーグル王国に来たが、その前はメビウス法国にいたし、さらに前はボルト獣帝国にいた。ヒバリかアルデバラン、あとはソレイユにでも訊けば――と言っても無理か」
「ヒバリ……?」
「ヒバリ・マニだ。貴様も知っているはずだが?」
「…………まさか……いや、だが……。……新法王のヒバリ・マニ猊下、か……?」
「それ以外に誰がいる」
「…………」
「で、目的は――」
「あっ!!」
「――…………」
二度も話を遮られてザインザード殿はうんざりしたような顔になっていました。
「……どうした、マルティーナ?」
「あ、いえ、その……」
「気付いたことがあるならさっさと言え」
「は、はい、殿下。まずは謝罪を。ヒバリ・マニ猊下の名を出されてようやく思い出すなど、未熟の至りです。申し訳ありません」
「ああ、謝罪を受け取ろう。それで?」
「ザインザード・ブラッドハイドという名を、私は以前、一度だけ見たことがあります。数か月も前の話です。法国で起きたクーデターに関する資料の中にその名がありました――そのクーデターの首謀者を自称した冒険者の名として」
「……! おいおい、それは……」
「誠に申し訳ありません!」
「いや、オマエを責めてるわけじゃない。オレだって法国の欺瞞情報だと思うさ。本人が目の前におらず、その実力を知らなきゃな」
確かに、港湾都市ヘケトの海賊を知らなければ、そう思うのかもしれません。
そもそも、フォカッチャ王国に流れる法国や都市国家連合の情報は、その大半が港湾都市ヘケトの海賊からジェシェフ伯爵が買ったものです。
そして、ジェシェフ伯爵曰く、「彼らは金に対して真摯だ」――売り物に混ぜ物があったことなど一度もなく、虚偽情報や欺瞞情報はそうだと明かした上で売るのだそうです。むしろ、あとで間違いだったとわかったらわざわざ金を払い戻しに来るとか。まあ、その上で正しい情報をまた売りつけてくるわけですが。
ですから、法国で起きたクーデターに関する情報も、虚偽や欺瞞は一切ないと見ていいでしょう。
あの人達は、港湾都市ヘケトの海賊であるという誇りを懸けて、それを確約してくれるはずです。海賊である誇りなどと、変な話ではありますが。
「…………帰っていいか?」
「ククク……まあ、そう不貞腐れるな。結果的にオマエの評価が上がったんだ、むしろ喜べ」
天幕の中に深々としたため息が響きました。
「……まあ、いい……。で、続きは?」
「そうだなぁ…………オマエ、オレの盟友にならないか?」
「はい……!?」
思わず漏れ出したようなその声が自分のものだったと理解したのは、視線が集中していることに気付いたあとでした。
「し、失礼しました」
慌てて謝罪しましたが、誰からも反応はありません。
……ま、まあ、自分はあくまでザインザード殿の補佐役ですから当然でしょう。名前すら訊かれませんでしたし……。
しかし、驚愕も疑問も確かにこの胸の内にありました。
フォカッチャ王国の王女の盟友になれとは、つまり――ベーグル王国を裏切れということなのでは……!? と。
「ふむ……何が欲しいんだ?」
「自由」
「…………」
「オレらは自由が欲しい。……オレが『緋色の戦士団』をつくった理由を知ってるか?」
「いや、知らん」
「自由を分け合いたかったからだ」
ベアトリーチェ王女の顔にある大きな傷跡がフォカッチャ王によってつけられたものであることは有名な話です。
そしてそのことによって、美しい姫として名を馳せていたベアトリーチェ王女の価値は暴落しました――王侯貴族の間では。
「どれだけ武器を振るっても、オレの価値はそこになかったのさ。――だからオレは最強を目指すことにした。個だけじゃない、群としての最強もだ。オレと同じようなヤツらを集めて『騎士団』を名乗った。このマルティーナも最初の一人だ。ところが、『女など騎士になれん』なんて難癖をつけられてな。仕方なく『戦士団』を名乗ることにしたんだ」
それが、「緋色の戦士団」の始まり。
最初は貴族の未亡人や娘だけだった十人にも満たない「戦士団」は、一人が知り合いの商会の娘を連れてくると、いつしか農民や貧民、娼婦、孤児の娘までもが集まるようになり――フォカッチャ王国騎士団ですら無視できないほどの勢力や知名度、人気を持つようになっていたのだそうです。
「そして気付いた。それでもオレらに自由はないと。……だから自由が欲しい――オマエら男が当たり前のように持ってる自由が欲しいんだ」
「………………」
「………………」
「……ブリオッシュ王国に先約がいる。そのあとでいいなら手を貸そう」
……いえ、どうやら裏切れと言っているわけではないような……?
ザインザード殿とベアトリーチェ王女が話しているのは、この内戦が終わったあとのことのようでした。
「ああ、それで構わん。で、見返りは何がいい? 地位か? 金か?」
「どちらも要らん」
「だよな。オマエはそういうヤツだと思ったよ。なら、見返りは一つだ――『オレら』が望む国を創ろう」
「「っ!!?」」
それは囁くような声でありながら、力強い響きをもって自分の耳を揺らしました。
息を呑む音は自分以外にもう一つ。マルティーナから発せられたようでした。
この人達は――いったい、何の話をしているのですか……!?
自分は今、一介の騎士が聞いてはいけない話を聞いてしまったのでは……!?
自然と顔が強張ります。
「うろたえるな、フェリクス。ベーグル王国にはさほど関係のない話だ」
「……! そ、そうなのですか……?」
「この内戦を契機にフォカッチャ王国との国交は一時断絶する。全てはその間に起こることだ」
「国交の断絶した国で何が起ころうと、それに関わるか否かはその時の状況次第。まあ、戦争の後処理に追われるベーグル王国には無理だなぁ」
よくわからないままに、どうやら自分にはどうにもならないことのようだと、そういう形で呑み込むしかありませんでした。
「オマエもだ、マルティーナ。案ずることはない。オレらが間違わん限り、コイツは信用できるぜ」
「殿下……」
「オレらが警戒しなくちゃならんのは、むしろ他のヤツから漏れることだ」
例えばコイツ、とでも言うように、ベアトリーチェ王女の視線が自分に向き、
「……! …………!!!」
慌てて自分はブンブンブンと首を横に振りました。
そもそも話の内容を理解できているとは言えませんから。
ベアトリーチェ王女の視線は、次にもう一人の護衛役へ。
「?」
しかし、彼女はわずかに首を傾げるだけでした。
「…………。どう思う?」
「俺が視線を向けた途端、自然と嫌悪感の表情に変わった。問題ないな」
「ククク……判断基準そこなのかよ」
「盗み聞きしているなら、今のやり取りで多少は強張るはずだ。もしやバレたか、とな。感情や表情をつくるのがどれだけ巧みになろうとも、一瞬のぎこちなさは消せん」
「へえ……」
「あとは外か……。エリオ、いるか?」
「――はいはい、いますよ」
「「「「!??」」」」
え……どこから!?
声が聞こえたと思った瞬間には、あの子の姿がザインザード殿の隣にありました。
「今の会話を盗み聞きしていた密偵は?」
「いたならとっくに報告してますよ」
「外の見張りは?」
「同じくです」
「そうか。では引き続き警戒しろ」
「了承です」
答えるや否やその体は宙に浮き、そのまま遥か頭上へ。
そして天幕の上に空いた穴から外へ消えていきました。
まさか……入ってきた時もあそこから……!?
いえ、ですが、今は日中……見張りは何を……?
「今のは、確か『棺桶屋』の……」
「無事に目的を果たせたようで何よりですね、殿下」
「ああ……。だが、まさか魔糸使いだったとは」
ちょっと欲しいな……、という呟きは、思わず漏れ出たもののようでした。
その瞬間、ベアトリーチェ王女の斜め後ろに立つマルティーナの目がキラリと光ったのは、努めて気付かなかったことにしました。
おそらく、「緋色の戦士団」の中から適性のある者を探すだけでしょうが、何となく触れてはいけない気がしたのです。
「なあ、他のはどうした? 『棺桶屋』のヤツらは?」
「戦利品扱いで俺が預かっている」
「この戦争が終わったらどうするつもりだ?」
「ブリオッシュ王国で解放する予定だが」
「よっし! なら、そのあとどうなろうと知ったこっちゃないわけだな?」
「ん? まあ、そうだな」
「ククク……吐いた言葉は呑みこませんぞ、『棺桶屋』……!!」
そう言ったベアトリーチェ王女の表情はどこか鬼気迫るものがありました。
い、いったい、彼女達は何を言ったのでしょうか……!? どんな言葉を投げつけられれば、ここまでの怒りを……!?
しかし、ベアトリーチェ王女の表情はすぐに元に戻り、
「ところで、オマエらベーグル王国はこの戦争をどう見てるんだ?」
「どう、とは?」
「オレらがこうして捕まったことをだよ。まさかこれでフォカッチャ王国が退くとは思ってないよな?」
「貴様を人質にしても退かんか?」
「さて、実はオレも確信がない。我が父上はオレに対して酷く弱いが、ある意味じゃ目の上のたんこぶだった」
確かに、自分もそこは半信半疑でした。
間違いなく、「緋色の戦士団」とベアトリーチェ王女の捕縛はこの内戦を終わらせかねない大戦果です。
しかし、いくらフォカッチャ王国最強と名高いとはいえ、フォカッチャ王にとっては実の娘。家族を人質にされる事態は避けたいはずなのに、フォカッチャ王はベアトリーチェ王女が最前線に出ることを止めませんでした。
ベアトリーチェ王女自身もフォカッチャ王の真意を測りかねているようですし。
実際、どうなのでしょう……?
騎士団長達はベアトリーチェ王女を何かしらの交渉に使うつもりのようでしたが……。
「ふむ……俺が貴様らを捕らえたのは、『緋色の戦士団』さえいなくなれば即応戦力が激減すると思ったからだが……」
「ああ、それは間違いじゃないぜ。フォカッチャ王国軍の大半は、デカすぎて動くのに時間がかかるしな」
「ならば問題はない」
「へえ……?」
「貴様らフォカッチャ王国はベーグル王国と戦争しているつもりのようだが、ベーグル王はこれをあくまで内戦で終わらせる腹積もりだ」
「……! だから中央で大きな動きがなかったのか……。それに、それなら、何でオマエがあの時まで出てこなかったのかも頷ける。あくまで内戦なら、ベーグル王国自身が決着をつけなきゃならんからな」
「そうだ。そして、反乱軍さえ壊滅させてしまえば内戦は終わり、反乱軍が無くなればフォカッチャ王国はベーグル王国に勝てん」
「オマエ……やっぱ知ってるのか……」
「ま、待ってください、ザインザード殿。まだグリッシーニ王国が参戦する可能性も――」
「来ねえよ」
「――っ!?」
「グリッシーニ王国は来ねえ。どこかのクソがフォカッチャ王国騎士団のフリしてグリッシーニ王国の民を大勢殺したからな。おかげで侯爵を一人処刑するハメになって、フォカッチャ王国軍の兵数も予定より千ほど少なくなった」
「……!!」
想定より敵兵が少ないという報告は、そういう理由があったからなのですか……!
いえ、しかし……騎士団長達はそのことについて特に触れなかったような……?
「で、オマエが知ってるってことは、当然、ベーグル王国軍も知ってるんだよな?」
「ああ。俺がヤったからな」
「「……!?」」
なん……!?
「…………やっぱそうか……」
「手を組むのはやめるか?」
「いいや、それはない。……オレだって同じことができればやったはずだ。何しろ効果的すぎる。多く死ねば多く死ぬほど……同盟関係のヒビは大きくなるからな。そして、結果としてベーグル王国の敵はほぼ半減した」
「…………」
いや、それは――!!
「――しかしそれは、結果論に過ぎません……!!!」
「それが戦争だ、若造。何人殺そうが、敵を多く減らしたヤツが『英雄』なんだよ」
「……!!」
その時、自分はザインザード殿があの密偵に言った言葉を思い出したのです。
「……殺戮者の……英雄譚…………」
「何だ、わかってるじゃないか。ならあとはそれを呑みこむだけだ。それだけでオマエも『英雄』になれる」
それでも……それでも、何の罪もない民を殺すなど……!!
「――まあ、本人がそう思ってるかは別だが」
「……っ」
「………………」
ザインザード殿は、黙して何も語りませんでした。
それは、何も言う必要がないと思っていたからなのか。
それとも――何を言っても言い訳にならないと思っていたからなのか。
自分には、どちらなのかわかりませんでした。
「さて……少し話し過ぎたな。そろそろオレのわがままも終わりにするか」
ベアトリーチェ王女はそう言って立ち上がり、水差しからコップに水を注いで一杯飲むと、再び片腕逆立ちの体勢になりました。
どうやら筋トレを再開するつもりのようです。
一方のザインザード殿も立ち上がると、いつの間にか抱えていた黒い鳥をマルティーナに渡し、何事か話していました。
自分はというと、また言いたいことが頭の中でこんがらがり、何を言えばいいのかわからなくなっていました。
「――あ」
ベアトリーチェ王女が何かを思い出したような声を発したのは、マルティーナがザインザード殿から離れた時でした。
「すまん、忘れてた。そういや、オマエもオレに何か用があるんだったな」
確かに……そういえば、そんなことを言っていましたね……。
「別に忘れられたままでもよかったが」
「そういうわけにはいかんだろ。オレのわがままに付き合わせた上に、いずれ協力する約束までさせたんだ。どんな些事でも遺恨になる」
「そうか。そう言ってくれると俺も要求しやすくて助かるな」
「待て……その言い方、何か嫌な予感がするんだが……?」
ザインザード殿が嫌な笑顔を浮かべたのを見て、ベアトリーチェ王女は若干、後悔がにじんだ声を発しましたが、時すでに遅かったのです。
ザインザード殿はまさしく些事のようにこう告げました。
「――左手の小指の爪をくれ」
「………………は!?」
「マルティーナのも」
「え…………え!??」
「まさか、ベアトリーチェ王女とマルティーナの爪をそう使うとは……。変な趣味ではなかったのですね」
「そんなわけないだろう、フェリクス……」
二人の女性から左手の小指の爪を手に入れたザインザード殿は、それをベアトリーチェ王女からついでにもらった私物のハンカチに包むと、拷問官用の天幕へと戻り、長時間の拷問で満身創痍な密偵の若い男にそれを見せて、こう囁いたのです。
「実はベアトリーチェ王女達にも間者について尋ねたんだが、本人と副官の小指の爪を剥いだだけで知っている全てを話してくれてな。西側にも情報を運ぶ密偵がいて、東西中央それぞれに数人ずつ間者がいるそうだな?」
「っ……へ、嘘だな…………。ベアトリ、チェ王女は……そんな、やわな方じゃねえって……聞いてるぜ…………?」
「ああ、そうだな。だが貴様の方はどうだ?」
「あ……???」
「貴様はベアトリーチェ王女が強いことを知っている。副官のマルティーナのことも知っているかもしれん。だが――ベアトリーチェ王女は貴様のことを知っているのか?」
「…………」
「単なる密偵の、しかも他国の公爵子飼いの男のことをどれだけ知っている? 何も知らん。故に、俺はこう告げただけだ。『貴様らと同時に捕らえたフルザキ公爵子飼いの密偵と思われる男は、拷問用の椅子に縛り付けられただけで間者の名を吐いた』とな」
「…………!」
「ああ、ちなみに、ベアトリーチェ王女から伝言も頼まれていてな。『やはり男など信用ならん』――だそうだ。さて、こうなると競争だな。貴様が先に吐くか、西側の密偵が先に吐くか。俺はどちらを生かすべきだろうか?」
そう言ってザインザード殿は男の目の前に紙を置き、全ての爪が剥がされ、全ての指が折られた右手に筆を持たせました。自分で「口さえ利ければ」と言っておきながら、声ではなく、文字にして情報を吐けと強要したのです。
そして、エリオが別の若い男を担いできて、ヴァルトウォミェイ殿がその男を拷問し始め――しばらくして、東側の密偵は紙に一人の名を書きました。
それは、西側の密偵が、「――わかった! 言う! 間者の名前を言う! だから――!!」と叫んだ瞬間のことでした。
しかし、西側の密偵が言った名は、またしても「フェリクス・ルッチ」でした。
東側の密偵は、そこでようやくはやまったことに気付いたようでしたが、全てはあとの祭り。
その時すでに、紙はザインザード殿の手中にあったのです。
あとは芋づる式でした。
二人の密偵は拷問に耐える訓練をしっかりと受けていたでしょうが、ただの間者は、バレないことを前提としているため、そうではありませんでした。
彼らは拷問に耐えかねて早々に音を上げ、フルザキ公爵が仕掛けた間者はベーグル王国軍から一掃されたのです。
その中には、まさかと思うような人物も含まれていました。
「貴殿と同じだ、フェリクス。資質が疑いの根拠足り得んように、資質は信用の根拠としても足り得ん。信用もまた――」
「事実があって初めて成り立つもの……ですか」
「そうだ」
確かにそうなのでしょう。
無辜の民を大勢殺したと明かされてなお、この人への信用はあまり揺らいでいません。
それはきっと、この人がそんなことをした理由が、ベーグル王国を勝たせるためだったからなのです。
「……もう一つ教えてください。あの時、なぜ、密偵の男は紙に名を書いてしまったのでしょうか……?」
「想像してしまったからだな。あり得んことを示されたあとに、わずかでもあり得そうなことを示されると、その可能性がさも高いかのように錯覚してしまう。そして、『もしかしたら……』という思いが、あの瞬間に溢れてしまったわけだ」
錯覚……。
その言葉を聞いた時、ふと、自分の心の内に、ある思いが生じました。
例えば、最初にある程度の信用を得ておけば、その後、決定的に決裂しない限り、相手は勝手に葛藤して、その信用を継続しようとするのかもしれません。
つまり。
もしかしたら、自分のこのザインザード殿への信用も――実は錯覚なのでは……?
――なんて、そんな思いが。
「――ブラッドハイド君! ブラッドハイド君はどこだ!?」
「ん……?」
「……! おお、ブラッドハイド君、ここにいたか!」
「どうした、ジェシェフ伯爵? そんなに慌てて」
「一大事だ! 今しがた、我らが軍に投降してきた者がいるのだけど――」
「まあ、まずは落ち着け」
「――いいや、落ち着くのは君だ。いいか、よく聞け。投降してきたのは――――フォカッチャ王国の第四王子だ」
「何?」「はい……?」
細かい話は活動報告にて。




